NHK 解説委員室

解説アーカイブス これまでの解説記事

「韓国大統領選挙と今後の行方」(視点・論点)

東京大学大学院 教授 木宮 正史

国会による弾劾訴追と憲法裁判所による罷免を受けて、パク・クネ統領は残り1年の任期を全うできず失職、次の大統領を選ぶ選挙が5月9日行われました。

s170512_1.png

その結果、リベラルの共に民主党ムン・ジェイン氏が、保守・中道の対立候補を破って当選しました。当選後すぐに大統領職に就任、息つく間もなく、総理や閣僚の任命に取り組んでいます。
彼はその豊富な政治経験から「準備ができている大統領」であると自負しているので、順調な国政運営を進められるとまずは期待したいと思います。パク政権がもたらした政治的混乱を防ぐための政治改革、北朝鮮の核ミサイル開発に起因する安保危機への対応、若者の就職難や格差拡大などへの対処など、選挙で現れた分裂を克服していかに統合を実現するのかという困難な課題に立ち向かわなければなりません。

今回の選挙結果は、韓国政治を大きく規定した地域主義が弱くなったことを示しています。

s170512_4.png

リベラル勢力はチョルラ道から、保守勢力はキョンサン道から、それぞれ圧倒的な支持を獲得し、その他の地域で競争する構図が、20年以上韓国政治を規定してきました。元来釜山は保守地盤だったのですが、ムン候補の地元ということもあり、今回はリベラルのムン候補が勝利しました。
その代わり深刻であったのは世代による投票行動の違いです。55歳を境としてそれよりも若い層はリベラルのムン支持、それ以上の層は保守のホン支持ときれいに分かれました。

s170512_6.png

ムン候補は圧勝はしたものの、41.1%の得票率で民主化以後の大統領選挙で下から3番目の低い得票率でした。

s170512_7.png

与党議席は120で過半数150には遠く及ばず少数政権です。韓国の大統領は帝王的大統領と呼ばれるように大きな権限を持っていますが、国会の承認がなければ総理の任命さえできず、いかに多数派を形成するのかが課題です。ムン政権は中道の国民の党との協力や統合を視野に入れています。さらに、大統領の任期変更や権限縮小など憲法改正への取り組みも待ったなしです。しかし、改憲発議に必要な国会の3分の2以上の賛成を確保するハードルは高いです。またムン大統領が自らの権限を縮小する改憲を主導するつもりがあるのかという懸念もあります。

ムン政権にとって、若者の就職難とそれに起因する格差拡大への取り組みも喫緊の課題です。選挙公約では、公務員などを81万人増やして雇用機会を創出するという「大きな政府」を指向しています。それに対する財源が確保されているのかという懸念も含め、とても持続可能なものとは言い難いという批判が既に提起されています。

次に、選挙戦最中に緊張が高まった北朝鮮の核ミサイル開発に起因する安保危機にどのように対応するのかという課題に直面します。ムン大統領は、ノ・ムヒョン政権のナンバーツーで、キム・デジュン、ノ・ムヒョンというリベラル政権が主導した、積極的な対北朝鮮和解協力政策を指向するでしょう。ムン政権に関して南北首脳会談の実現や閉鎖したケソン工業団地の再開など対北朝鮮融和政策に前のめりに舵を切るのではないかと懸念されていることも確かです。ムン大統領自身、原則主義者としての側面を強く持っており、軍事的オプションをちらつかせながらも北朝鮮に対して体制保証や交渉というカードも提示するトランプ政権との間で、果たして柔軟に対応できるのかどうか、危ぶむ声もあります。しかし、韓国外交の選択の幅はそれほど広くはありません。北朝鮮が核ミサイル開発に邁進して核実験やミサイル発射を繰り返す状況で、韓国は、米韓同盟を強化し、中国の力を借りながら、北朝鮮の挑発を抑制するという選択肢しかありません。そのうえで、トランプ政権と金正恩政権との間で米朝が交渉局面になるという条件の下で、初めて、韓国主導で南北関係を改善するという選択肢を持ち出すことができるのではないでしょうか。したがって、北朝鮮に対する圧力包囲網に韓国が一方的に穴を空けて南北間の交渉を行うことで、対北朝鮮包囲網を台無しにしてしまうのではないかという心配は杞憂だと思います。ムン政権としては、トランプ政権が米朝交渉の局面を作り、それに北朝鮮が乗ってくることに期待しているわけです。本来であれば、ムン政権がトランプ政権に積極的に働きかけてそうした選択を誘導できればいいわけですが、ムン政権がそうした対米影響力を発揮できるのか、現状では疑問符がつきます。韓国の対北朝鮮政策はノ・ムヒョン政権の時のように韓国単独で何をやったところで効果はありません。キム・デジュン政権のように日米の協力、さらには中国の協力を取り付けることによって初めて効果を発揮するのだということを、ムン政権は肝に銘じる必要があるように思います。

最後に、日本との関係について展望し、話を締めくくりたいと思います。パク・クネ政権の初期、慰安婦問題を首脳会談の前提条件にしてしまうことで、3年ほど日韓関係は悪化を余儀なくされました。しかし、2015年末、劇的な日韓政府間合意によって慰安婦問題は一旦決着がついたように思われました。日本政府は、この問題について責任を認め、謝罪し、見舞金として10億円を韓国政府主導の和解・癒やし財団に出資することにしたわけです。しかし、韓国ではパク・クネ政権への批判の高まりと共に、この合意自体への批判も高まり、日本は何ら責任を認めず謝罪もしておらず、10億円で日本大使館前の少女像の撤去を求めただけだという誤解が韓国社会では瞬く間に広がり定着してしまいました。主要候補は、合意をそのまま認めることはできないという点で保守リベラルの政治的立場の違いを超えて一致していました。日本政府は、政府間合意という約束を守るのは当然だという立場であるのに対して、ムン政権は、合意自体正義にかなうものではなく、それをそのまま認めることはできず、再交渉するべきだという立場で、真っ向から対立しています。現状では、日韓両政府共に、互いの原則的立場を曲げて妥協に踏み込むことは非常に難しいように思います。安倍政権とムン政権との間の日韓関係は相当な困難が予想されます。しかし、この問題が日韓関係の全体を占めてしまうほどの重大な問題であるのか、今一度考えてみる必要があります。日韓の間の歴史問題は重要です。しかし、国交正常化から50年以上にわたって構築されてきた日韓関係が、この一つの問題だけで停滞してしまうほど薄っぺらな関係では決してありません。目の前の北朝鮮の挑発にどのように対応するのか、また、そのためにトランプ政権にどのように関与させるのかをめぐって日韓は協力しなければならない状況にあります。大国化する中国と東アジアの中でいかに共存していくのかという共通課題にも取り組まなければなりません。さらに、経済的にも、相互補完関係が依然として存在します。日韓が水平的な関係へと変化し、相互に競争的な側面を強く意識するようになるのは当然です。したがって日韓は共通課題に対してどちらの方がうまく対応できるのか競争する関係にあります。他方で、そうした共通課題が非常に困難なものであるだけに、協力して対応するという選択肢もまた重要だと考えるべきでしょう。ムン政権に対して、一部では歴史問題で殊更に厳しいという意味で「反日」政権だという警戒感が強いようです。しかし、ムン政権は、韓国を取り巻く困難な課題に取り組むためにも、殊更に慰安婦問題だけをクローズアップさせ対日関係を悪化させる選択はしないと思います。韓国を代表する知日派イ・ナギョン氏を総理に起用したことは日本に安心感を与えました。
また、ムン政権にそのような選択をしないように働きかけることが日本の安全保障を確保するためにも重要だと思います。そうした賢明な外交を選択することを日韓両政府に求めたいと思います。

キーワード

関連記事