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「憲法施行70年② 改憲論議に必要な二つの視点」(視点・論点)

九州大学大学院准教授 井上 武史

日本国憲法は今年、施行から70年を迎えますが、これまで一度も改正されたことはありません。ところが、昨年7月の参議院選挙の結果、衆議院でも参議院でも改憲勢力が3分の2を超えたことで、憲法改正がにわかに現実味を帯びてきました。現在、衆議院の憲法審査会では、改憲項目の絞り込みに向けた議論が進められています。
これまで憲法改正をめぐっては、イデオロギーの違いを背景として、護憲派と改憲派が対立する構図で議論が行われてきました。しかし、憲法改正が政治の場面で取り上げられるようになった今、その議論は客観的かつ具体的に行われることが必要です。
そこで、本日は2つの事実に基づいて、改憲論議に向き合うための視点を提示したいと思います。一つ目は、日本国憲法が極めて短い憲法であること、二つ目は、制定以来一度も改正を経験していない憲法であることです。それぞれ具体的に見ていきましょう。

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まず第1点目に、日本国憲法の分量が国際的に見て著しく少ないことです。世界各国の憲法を比較したデータベースによると、日本国憲法の英訳の単語数は、調査対象となっている190の国と地域の中で、5番目に少ないことが明らかになっています。いくつかの憲法の単語数を比較すると、ドイツが約2万7000、イタリアが約1万2000、フランスが約1万、韓国が約9000であるのに対して、日本は5000にも達しません。つまり、日本国憲法にはドイツの5分の1以下、イタリア、フランスの憲法と比べても半分程度の分量しか備わっていないことになります。憲法の定め方はそれぞれの国の事情によって様々であり得ますが、これほどの分量の差はもはや誤差の範囲とは言えません。憲法の単語数が少ないということは、憲法が定めているルールの量が少ないことを意味しており、ここからは、日本国憲法が他国の憲法と比べて「小さい憲法」であることがわかります。

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問題は、この事実が何を意味するのかです。仮に憲法秩序の全体すなわち国家の運営に必要なルールの総量が国によってそれほど変わらないとします。そうすると、外国ではその中で憲法の占める割合が比較的大きいのに対して、日本では憲法の占める割合が相対的に小さいということになります。ここから次の2つのことが推測できるでしょう。

一つは、本来、憲法で定められるべきルールが日本国憲法には抜け落ちているのではないかということです。例えば、外国では憲法で定められることが多い政党や非常事態に関する規定は日本にはありません。また、地方自治についても、国と地方との関係を詳細に規定する憲法があるのに対して、日本国憲法の地方自治の規定は簡潔なものです。

もう一つの推測は、憲法の分量が少ないため、実際にはそれを補うために憲法解釈や法律が重要な役割を果たしているということです。例えば、これまでの内閣による衆議院の解散は、憲法に明文の規定がない中、解釈によって認められてきました。また、法律が重要な役割を果たした例は、1990年代以降の一連の統治構造改革です。衆議院議員選挙に小選挙区制を導入した1994年の政治改革を皮切りに、行政、司法、地方分権、安全保障の各分野で重要な改革が相次いで行われましたが、それらはすべて公職選挙法や内閣法などの法律改正で実現しました。しかし、憲法改正を経ずとも法律だけで大きな改革ができてしまうのは、憲法の存在理由を疑わせます。憲法の比率が高ければ、制度改革には多くの場合、憲法改正が必要となるはずです。先ほどの表で、憲法の単語数と改憲回数との間に緩やかな相関関係が見られるのも偶然ではないと思います。
見方を変えれば、憲法の分量が少ないということは、権力を規制する文書としては不十分である可能性があります。諸外国の憲法が長いのは、それくらいの分量を備えないと権力を適切に規制できないからだ、とも言えるでしょう。このような観点からは、現行憲法に条文を追加して憲法の規制力を高めるようとすることは、むしろ望ましいように思います。

2つ目の事実は、憲法が制定以来一度も改正を経験していないことです。この事実は、政治社会や国際情勢の変化にもかかわらず、憲法そのものは何の応答も示してこなかったことを意味します。

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諸外国では憲法制定後も改正を行っていますが、その内容は大きく3つに分けられます。
第1は、権力関係の不均衡など統治上の不都合を是正しようとするものです。例えば、フランスでは大統領と議会との「ねじれ」を回避するために、2000年の憲法改正で、7年だった大統領の任期を下院議員と同じ5年に変更しました。
第2は、現代的な統治技術を導入するものです。統治の制度や技術も時代を経る中で新たに考案されます。戦後普及した憲法裁判所はその典型だと言えるでしょう。
第3は、新しい原理や権利を追加するもので、環境権などがこれにあたります。また、ヨーロッパ諸国では近年、財政健全化原則や死刑禁止原則が憲法に書きこまれる傾向にあります。
興味深いのは、フランス憲法が定める男女均等原則、いわゆるパリテ原則です。フランスでは女性の社会進出が遅れていましたが、1999年の憲法改正で男女均等原則が新たに憲法に定められ、それに伴い比例代表名簿では男女を交互に配置することが法律で義務づけられました。実際、2015年の統一地方選挙において、女性議員は全体の約48%を占めるに至っています。
このように、諸外国では憲法制定後に生じた問題についても、憲法改正で対処していることがわかります。

それでは日本はどうでしょうか。近年では、衆議院と参議院とで多数派が異なる「ねじれ国会」の経験から、「強い参議院」という問題が認識されるようになっています。1998年の橋本内閣のように、参議院選挙の敗北によって首相が退陣するという現象が見られますが、これは本来、憲法が予定する事態ではありません。内閣の存立はもっぱら衆議院の信任に依拠するというのが憲法の考え方だからです。そこで、権力の調整という観点から、参議院のあり方や、二院制そのものの意義を見直すことには十分な理由があります。
また、環境権やプライバシー権など70年前には意識されなかった問題に対処することも必要でしょう。さらに、少子高齢社会という現在の日本が抱える問題への指針や原則を憲法で定めるという方法もあります。「世代間の公平」や「将来世代への責任」を憲法の基本原理に掲げて、均衡予算や世代別選挙などの具体的な政策を実現することも不可能ではないでしょう。
憲法の不備を補うためや、あるいは現在の日本政治の課題に対処するために憲法改正を行うかどうかは、憲法施行から70年を経た現在のわれわれが決めるべきことです。これからの改憲論議では、従来のように憲法改正を是とするか非とするかという二者択一に留まるのではなく、憲法の特徴や日本の問題状況を踏まえた冷静で着実な議論が求められるのだと思います。

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