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「和菓子に託す 無病息災の願い」(視点・論点)

虎屋文庫 研究主査 森田 環

日本では、古くから無病息災や五穀豊穣を願い、四季折々にさまざまな菓子を用意してきました。今回は、5月5日端午の節句の菓子、粽(ちまき)と柏餅を中心に、年中行事にまつわる菓子をご紹介しましょう。

5月5日は、現在、子どもの健やかな成長を願う「子どもの日」ですが、もともと厄除けを行う日だったことは、ご存じでない方も多いのではないでしょうか。平安時代には、香りの強い菖蒲(しょうぶ)や蓬(よもぎ)を家の軒に挿して邪気を払ったり、流鏑馬(やぶさめ)などが行なわれたりしました。
菖蒲の読み方が、武を尊ぶ「尚武(しょうぶ)」に通じるとして、端午の節句はのちに武家でも盛んに祝われるようになり、江戸時代には、男子の節句として庶民にも広まり、武者人形を飾ったり、鯉のぼりを揚げたりするようになりました。
端午につきものの粽と柏餅ですが、粽は主に関西、柏餅は関東で親しまれています。なぜ地域に違いがあるのでしょうか。まずは、その歴史からたどってみたいと思います。

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粽の歴史は古く、中国が起源とされます。中国の文献『続斉諧記(ぞくせいかいき)』によると、紀元前3世紀頃、楚(そ)という国の王族、屈原(くつげん)に関する伝説にちなんでいるといいます。
屈原は、博識だったうえ、政治的手腕にも優れていたため、王に引き立てられますが、他の官僚の妬みにあい失脚してしまいます。王に見放された屈原は、楚の将来を憂いつつ羅羅(べきら)の淵に身を投げ命を絶ちます。その死を悼んだ里人たちが、供養として命日の5月5日に、竹筒に入れた米を汨羅の淵に投げ込むと、屈原の霊が現れ「淵には龍が住んでおり、供物を食べてしまう。厄除けに「せんだん」の葉で包み、五色の糸で巻けば龍は食べることができないだろう。」と訴えました。そこで人々は教え通りに供物を作るようになり、これが粽のはじまりになったといわれます。

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日本では、平安時代には宮中で端午の節句の厄除けとして用意されていました。粽が現在、関西でよく見られるのも、宮中行事で古くから用いられてきたからといえるでしょう。
ところで菓子の粽といえば、外郎(ういろう)や葛などの生地を笹の葉で巻いた甘いものを思い浮かべるかと思います。しかし、かつては笹ではなく、茅(ちがや)や菰(まこも)といったイネ科の植物がよく使われていました。粽という呼び名も、茅で包むから、あるいは千回巻いたことにちなむから、ともいわれているのです。
『和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』という平安時代に作られた漢和辞書によると、米を菰の葉で包み灰汁で煮るとあり、甘みもつけられていませんでした。葛や外郎の生地を笹で巻いたおなじみの甘い菓子として親しまれるようになるのは、端午の節句の風習が庶民にも広まった江戸時代以降のこととされます。

ちなみに、同じような形をしているものの食べられない粽があります。これも病や厄をよけるために用意されるもので、古くは平安時代の『伊勢物語』にも「かざり粽」の名で登場します。現在は、京都市で7月に行なわれる祇園祭で授与されるほか、滋賀県の大津で10月に行なわれる大津祭で撒かれるなど、厄除けのお守りとして信仰を集めています。

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一方、柏餅が作られるようになったのは、江戸時代のこと。柏は新芽が出るまで古い葉が落ちないことから子孫繁栄につながると、家の継続を重視する江戸の武家を中心に、男子の健やかな成長を願って用意されるようになりました。それが庶民にも伝わり広まっていったと考えられます。
現在は和菓子店などで購入するイメージが強い柏餅ですが、江戸時代は家で作るのが基本でした。『南総里見八犬伝』の作者として知られる滝沢馬琴の日記には、端午の節句にあわせ、家族総出で柏餅を作ったという記述が出てきます。多いときには200~300個あまり、特に数が必要になった孫の初節句の時には、さすがに家で作るのは難しかったのか、菓子屋へ頼んで作ってもらっています。できあがった柏餅は自分たちで食べたほか、親族や近所の人々、出入り商人へも配っているのですが、配った先からも手製の柏餅が到来し、この菓子が端午の贈答の定番であったことがうかがえます。

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柏餅に入っている餡(あん)といえば、小豆餡と味噌餡が知られます。それぞれ味わいに魅力があり、どちらを食べるか悩まれる方も多いのではないでしょうか。江戸時代後期の江戸・京都・大坂の庶民の風俗をまとめた『守貞謾稿(もりさだまんこう)』によると、いずれの町でも小豆餡で作るが、江戸では味噌餡もある。中身を区別するため、小豆餡の場合は葉の表、味噌餡は裏で包むとあります。現在では、生地に色をつけて餡の違いを分かるようにしたものが多いのですが、葉の表か裏かで見分けるようにした柏餅もあり、江戸時代の工夫が生かされているように感じられます。
ところで、柏の葉を使わない「柏餅」があるのをご存知でしょうか。柏餅に利用できるような大きな柏の葉が収穫できない地域で見られるもので、西日本では山帰来(さんきらい)、サルトリイバラの葉ではさんで作るため「さんきらい餅」などと呼ばれています。また、中部地方の一部では朴(ほお)の葉を使った「朴葉巻」や「朴葉餅」が作られていますが、愛知県の奥三河地方などでは「柏餅」と呼んでいるとのこと。代用の葉を使ってでも柏餅を作ろうという思いが感じられ、人々がいかに端午の節句を重んじていたかがうかがえます。
粽や柏餅に限らず、年中行事にかかわる菓子は、家族が健やかに過ごせるようにとか、たくさんの子孫を残せるようになど、さまざまな願いがこめられ、用意されています。これらの菓子の多くには、米や小豆が使われています。米は、稲作の象徴として神聖視され、餅にして食べれば、その霊力を体に取り込めると考えられてきました。鏡餅をお供えしたり、餅を入れた雑煮を食べたりする正月は、最も良い例といっていいでしょう。 
また、滋養が豊富で和菓子の原材料に欠かせない小豆も、体力をつけ、邪気を払うと信じられてきました。小豆の色は、古来神聖視された太陽の色、あるいは人の体をめぐる血を象徴しているといわれました。小豆を食べることで、病魔を退け、災いを避けることができると信じられていたのです。
6月30日に、疫病除けの行事、夏越の祓(なごしのはらえ)で用意される水無月や、土用の頃に夏ばて防止に食べられる土用餅なども、その一例といえます。

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水無月は京都を中心に作られている菓子で、三角形にした外郎などの生地の上に、甘く煮た小豆をのせて作られますが、小豆をのせているのは病除けになるから、また、三角の形は氷や神事に用いる御幣(ごへい)などをかたどっているから、といわれています。

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土用餅は暑さ厳しい土用の頃に作られる餡餅で、滋養に富んだ小豆餡を食べることで、暑さによって失われた体力を回復させるといわれています。土用の丑の日に鰻(うなぎ)を食べるのと同じような意味だといえるでしょう。
このように、年中行事の菓子には、単においしいというだけでなく、無病息災、子孫繁栄の願いが込められてきたことがわかります。

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