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「どうなる韓国大統領選」(視点・論点)

静岡県立大学 准教授 奥薗 秀樹

5月9日、韓国で第19代大統領選挙が行われます。本来なら12月に実施される予定でしたが、パク・クネ前大統領がスキャンダルによって弾劾、罷免されたことに伴い、7か月あまり前倒しされたものです。こうした事態は、韓国の憲政史上初めてのことです。
分断国家である韓国には、北朝鮮に対する政策の違い等で対立する保守勢力と革新勢力が存在します。2000年代以降の大統領選挙は、主に保守系候補と革新系候補の間で争われてきました。ところが今回の選挙は、保守勢力の象徴的存在であったパク・クネ前大統領に対する国民の怒りが爆発し、任期途中に罷免されたのを受けて実施されることから、保守系候補の当選は事実上困難な情勢です。選挙戦は、野党候補同士の戦いという、これまでにない異例の展開となっています。

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今回の選挙に、主な政党からは5人が立候補しています。中でも有力と見られているのが、当初各種世論調査の支持率でトップを独走していた共に民主党のムン・ジェイン候補と、急速な追い上げで、一時はムン・ジェイン候補を凌ぐ支持率を記録した国民の党のアン・チョルス候補です。

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故ノ・ムヒョン元大統領の盟友だったムン・ジェイン候補は、前回の大統領選挙で、与党セヌリ党のパク・クネ候補に敗北した後、再挑戦の準備を進めて来ました。

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医師でIT企業家、大学教授という異色の経歴を持つアン・チョルス候補は、前回、統一候補の座をムン・ジェイン氏に譲る形で立候補を取り下げましたが、その後国会議員として政界入りし、紆余曲折を経た末に国民の党を結成しました。選挙期間に入る頃からは、アン・チョルス候補が伸び悩む中、ムン・ジェイン候補は少しずつながら支持率を伸ばし、その差は徐々に広がりつつある状況です。
選挙戦では、パク・クネ前大統領の罷免で大きなダメージを負ったものの、韓国社会に厳然と存在する保守層の票の行方が注目点の一つとなっています。当初期待を集めたパン・ギムン前国連事務総長やファン・ギョアン大統領権限代行は不出馬を宣言し、保守勢力との大連立を唱えた共に民主党のアン・ヒジョン忠清南道知事は党内予備選で敗退しました。行き場を失って漂う保守票はどのような動きを見せるのか。選択肢の一つは、有力な保守系候補がいない以上、今回の選挙はあきらめて投票に行かないことです。二つ目は、死に票となることを覚悟のうえで、当選が見込めない保守系候補に票を投じること。そして三つ目は、気が進まないものの、革新のムン・ジェイン政権の誕生を阻止する為に、戦略的選択としてアン・チョルス候補に投票することです。
また、ムン・ジェイン候補をめぐって指摘されるのは、北朝鮮に対する行き過ぎた融和姿勢や、親ノ・ムヒョン勢力だけで全てを牛耳る排他的政治姿勢等から、与野党や、保守・中道・革新を問わず、「反ムン・ジェイン感情」が広く存在することです。ムン・ジェイン政権の誕生に拒否反応を示す勢力の横断的連繋が取り沙汰される所以です。
ムン・ジェイン候補は、周囲の状況に左右されない「親ノ・ムヒョン」の固い支持層を誇る反面、そこから支持を拡大していく伸びしろに欠けるのが弱点とされています。一方のアン・チョルス候補は、支持層が不安定で流動的な為、一つ間違えるとあっという間に逃げられてしまう恐れがあるものの、うまく「風」に乗りさえすれば、一気に支持を引き寄せる可能性を秘めていると言われています。

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ムン・ジェイン候補は選挙初日の初遊説を保守の牙城である大邱からスタートしました。保守既得権層の「積弊清算」を掲げて対立を煽ることで、革新支持層を固める当初の戦略から、「統合」を掲げて広く支持を集める戦略に転換したのです。党内でも、熾烈な予備選を戦ったアン・ヒジョン知事派の有力議員と和解して共同選対委員長に迎え入れる等、民主党支持層の一部が離反してアン・チョルス候補へと流れる事態を防ぐ手立てを講じました。ムン・ジェイン候補が徐々に支持を伸ばす傾向にあるのは、そうした組織的取り組みが少しずつ効果をあげつつあるからではないかと思われます。

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一方、アン・チョルス候補が勝利する為には、ムン・ジェイン政権の誕生を嫌う保守票や反ムン・ジェイン票を幅広く取り込む受け皿とならなければなりません。それには、ムン・ジェイン候補との事実上の一騎打ちの構図を作る必要があります。ところが、安易に保守勢力と接近すると、国民の党の支持基盤である革新勢力の牙城ともいうべき全羅道地域の支持を失いかねません。また、理念や政策の共通性がない政党同士が、特定の候補に反対する為だけに連帯することは、権力欲しさの野合であるとの批判を受けるのは明らかです。アン・チョルス陣営には、候補の一本化や選挙協力等、他党、他候補との人為的な連携ではなく、結果的にアン・チョルス候補が受け皿となる、目に見えない「事実上の反ムン・ジェイン連帯」をどのように作るかが問われているといえるでしょう。
準備期間が十分にとれないまま始まった今回の選挙戦では、具体的な政策論争が十分に交わされているとは言い難いのが実情です。そうした中で争点として浮上してきたのが、各候補間でその違いが際立つ「対北朝鮮政策」を軸とする安全保障問題です。北朝鮮の挑発的言動に対して、米国は、軍事行動を含む全ての選択肢がテーブルの上にあると、強硬姿勢を見せています。こうした軍事的緊張の高まりは、米国にもNOと言える外交を志向し、見方によっては弱腰とも映る対北朝鮮融和政策を掲げるムン・ジェイン候補に不利に働くとみる向きもありますが、これまでのところ、必ずしもそうなっているとはいえないようです。
過去にも、北朝鮮による軍事挑発が、危機の高まりを嫌う韓国の有権者意識を刺激し、それ以上北朝鮮を刺激しないよう融和政策を唱える革新勢力に追い風となったケースがありました。今回も、ノ・ムヒョン政権の中枢で積んだ豊富な経験に加えて、安定的な支持基盤と組織をもつムン・ジェイン候補の「安心感」が、安全志向の有権者の支持へとつながっていく可能性も否定できません。
また、一方のアン・チョルス候補も、米国の最新鋭迎撃ミサイルシステム(THAAD)の配備や、対北朝鮮政策のスタンスをめぐって、自身と党の見解の不一致が指摘されています。「安保は保守」とするアン・チョルス候補に対して、国民の党は所属議員の多くが全羅道地域を地盤としており、対北朝鮮融和政策の元祖ともいうべき「太陽政策」を推進した故キム・デジュン元大統領の系譜に連なるという事実は、アン・チョルス候補にとって少なからぬ負担となっています。ムン・ジェイン候補の弱点ともされる「安保観」や「北朝鮮観」に疑念を感じる有権者の受け皿となり得ていないのが実情です。
その結果、ムン・ジェイン候補が国軍の統帥権者となることに不安と抵抗を感じる保守層の支持は、より明確に対北朝鮮強硬姿勢をとる保守政党の候補者へと流れることとなり、保守票の分散を招いています。それは、反ムン・ジェイン票の受け皿となることでムン・ジェイン対アン・チョルスの一騎打ちの構図を作り、勝負をかけようとするアン・チョルス陣営にとっては大きな痛手であり、安定した固定支持層を持つムン・ジェイン候補の戦いを有利にしているといえるでしょう。
選挙戦も終盤ですが、投票日前に撤退する候補が出てくる可能性や緊迫する北朝鮮情勢等、まだまだ予断を許しません。選挙結果は日本にも少なからぬ影響を与えるだけに、最後まで注視していきたいと思います。

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