NHK 解説委員室

解説アーカイブス これまでの解説記事

「出汁(だし)のおいしさの科学」(視点・論点)

龍谷大学 教授 伏木 亨

本日は、日本の特徴的な出汁(だし)のおいしさについて、科学的な視点を交えてお話ししたいと思います。
私は今から30年ほど前から、おいしさの研究を始めました。人間の健康や生きる喜びにとって、食べ物のおいしさは大変大きな役割をもっていると考えたからです。もうずいぶん前の話ですが、1か月ほど出張でアメリカに滞在しました。1週間ほどすると和食が食べたくてしかたがないのです。そばやうどんや鍋物が無性に食べたい。帰りにシアトルの空港で食べたうどんのおいしさは忘れられません。私はだしのおいしさにやみつきになっていたのだということが日本を離れてわかりました。これが、だしのおいしさを研究するきっかけになりました。

s170425_1.png

私はおいしさには4つの要素があると考えています。生きるために必要なものはおいしいという生理的なおいしさ、食べ慣れた懐かしい文化のおいしさ、見た目や高級感、CMなどの情報はおいしさに影響します。そして、油や砂糖のような、やめられないおいしさ、以上の4つです。
だしのうま味は生きるために重要なアミノ酸の味です。だしには食べ慣れたおいしさもあります。さらに私たちの研究では、だしは油や砂糖と同様に人間や動物を夢中にさせる快感を持っていることが明らかになっています。これがシアトルで食べたうどんのおいしさです。
平成25年にユネスコ無形文化遺産に「和食」が登録されました。和食のおいしさを支えているのが「出汁(だし)」です。
日本料理の料亭では朝から大量のだしを引くことから1日がはじまります。家庭でも、和食の料理のはじめには、まず、だしをとります。日本の料理は、だしをベースにして料理が作られます。だしのうま味によって全体の調和が生まれるわけです。
うま味を持つ成分にはグルタミン酸のようなアミノ酸と、イノシン酸やグアニル酸のような核酸と呼ばれる2つのグループがあります。これらのうま味成分は、食料になる動物や植物に多く含まれており、これを私たちは好ましく味わっているのです。
うま味は舌の上にある、うま味受容体というセンサーを刺激します。重要なことは、グルタミン酸などのアミノ酸のうま味と、イノシン酸などの核酸のうま味が一緒になると、うま味が何倍にも強く感じられることです。これはうま味の相乗効果と呼ばれており、合わせだしの原理です。合わせだしでは、昆布にはグルタミン酸が、動物性のかつお節や煮干し、焼き節などにはイノシン酸が大量に含まれており、これらが出会うと著しく強いうま味が現れるのです。

s170425_2.png

この図はうま味の相乗効果のイメージです。舌の表面にあるうま味の受容体にはグルタミン酸がくっつくのですが、イノシン酸のうま味が同時にくっつくと、受容体の形が変わって、グルタミン酸が離れにくくなります。このようにして強いうま味の信号が脳に伝わるのです。これが相乗効果のメカニズムです。
相乗効果でうま味の強さは7倍にも8倍にもなるとも言われていますが、正確な数字を出すのは、実は簡単ではありません。

s170425_3.png

相乗効果が7倍程度という根拠になる実験と、その結果です。十分にうま味を感じる濃度のグルタミン酸の一部をイノシン酸変えてゆきます。グルタミン酸とイノシン酸の合計の濃度はすべて同じす。イノシン酸の割合が増えて行くと、うま味がだいたい7倍くらいにまで増加します。この7倍というのが相乗効果の倍率として一般に使われている数字です。
日本のだしは外国のスープとは大きく異なります。フレンチや中国料理のだしは、食材を長時間煮ることで、複雑な味覚成分を全部取り出します。ところが、日本のだしは非常に短時間でうま味成分だけをさっと取り出します。余計な味が出てくるのを避けているのです。
こうして出来上がった日本のだしは、余分な味がなく、純粋なうま味に特化しています。世界でも珍しいだしです。

s170425_4.png

これは、京料理の3軒の有力料亭から一番だしを頂いて、アミノ酸成分を分析した平均値です。グルタミン酸とアスパラギン酸とヒスチジンだけが特に多いことがわかります。グルタミン酸とアスパラギン酸は昆布から出てきたうま味成分です。ヒスチジンはかつお節からイノシン酸やいぶした香りと同時に出てくるアミノ酸です。ヒスチジンには弱い苦みがありますが、これもだしのおいしさには重要です。
苦みやエグミの元になるアミノ酸はほとんどない、純粋なうま味溶液です。
なぜ、うま味以外の成分がないだしを引くかというと、だしを使って煮物を作るときに、素材の味わいを邪魔しないためです。早春になるとたけのこの煮物がおいしいですし、5月ごろに出てくる山菜の風味も季節感を感じさせます。夏は冬瓜、秋はキノコなどの季節です。これらの自然の風味や季節感を邪魔しないような、純粋なうま味だけにこだわったのが日本のだしなのです。フレンチや中国料理のスープは、味が強いので、みんな同じスープの味わいになってしまいます。
では、どうして、素材の味わいや季節感を生かすことにこだわるのか。それは日本人が自然を敬い、身近に感じることを大切にしてきたからです。日本の国土は温帯モンスーン気候に位置し、大雨も日照りも嵐もきます。自然は恐ろしい。天に祈るしかありません。自然に逆らうよりも自然と一体となって季節を感じる生活を日本人は選びました。一粒のお米にも神が宿るという精神です。
一方、欧米人の意識の中には、人間は自然を征服する力を持っているという感覚があります。自然を自分の力でねじ伏せるのが、欧米人のシェフの伝統的なソース作りです。
ある和食料理人の言葉ですが、
欧米のシェフは、一生かかって自分のソースを完成させようと努力する、
日本の料理人は、だし一つで、一生かかって素材を探す。
両者の料理の違いがよく表れています。

s170425_5.png

かつおと昆布からだしを引いているところです。昆布は1時間ほど、かつお節は数分くらいで引き上げてしまいます。外国の料理人は、日本のだしは非常にインスタントだと言います。肉や骨のソースのように3時間も5時間も煮ないからです。確かにインスタントです。
こんな簡単に上質のだしが引ける理由は、材料の昆布とかつお節にあります。

s170425_6.png

昆布は、おもに北海道の沿岸で取れます。これは礼文島で収穫した昆布を干しているところです。昆布は、うま味の強い2年ものだけを収穫します。1年ものは放置すると自然に枯れてゆき、その後から2年ものが芽生えます。収穫した昆布は浜で乾燥しますが、その後も、2年も3年も、蔵の中で寝かせます。この間に臭いの角が取れて上品なだしが出る昆布になります。

s170425_7.png

かつお節は海でとれた新鮮なカツオを煮て、さらに煙で10回以上いぶして乾燥させます。乾燥したかつお節に、さらにカビを生やして限界まで水を取り油脂を分解します。1回のカビ付けに数週間、これを4回以上繰り返したのが最高級の本枯節です。
昆布は海で2年、蔵で3年。かつお節は煙とカビで半年もかけて完成するのですから、だしはインスタントに見えても、食材の準備に長い年月がかかっているのです。
科学的にも、そのおいしさが証明された日本のだしは、このような伝統的な技術によって支えられているといえるのです。

キーワード

関連記事