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「修行の意味」(視点・論点)

落語家 立川談四楼

立川)春爛漫でございます。たくさんの新入生、新入社員の方々を見ました。幾つもの歓送迎会があったことでしょう。春というのは落語家志願の人も増える時期でございまして、どうも卒業がおぼつかないとか、卒業できそうだけれども就職がどうもとか、ならいっそ噺家にでもなるかと、これを「でもしか」と申しまして、けっこういるんでございます。師匠に会う、面談、面接でございますね、OKが出ますと弟子ということになります。しかし落語界というのは入社や入学ではないのでございますね、入門ということになっておりまして、ですから、訓練とか稽古をいわゆる修行というわけでございまして、今日は、その修行を例に色々お話をしたいと思います。

最初の修行は付き人でございます。師匠にくっついて身のまわりの世話をしながら業界のしきたりなんかを教えてもらう、それができるようになると今度は楽屋入りでございますね。楽屋修行、いわゆる前座修行というやつでございまして、この前座の仕事がまた多いんでございますよ。高座返し、ご存じでございましょうか、落語家が一席終わって引っ込みますと、若い落語家がトコトコと出てまいりまして、座布団ひっくり返して、あと、めくりなんていうのを返して引っ込んでいくという、あれも仕事でございまして。それから着物を着せて、そしてまた高座が終わるとたたむという、これも流派によってたたみ方が違っていたりして何かと神経使うんでございます。

大事なのがお茶汲みなんでございます。これはOLさんなんかに頼みますと、「あたしはそんなために入社したんじゃありません」なんて怒られてしまいますが、けっこう楽屋では重要な仕事でございまして。というのは様々な芸人、自分以外の師匠の好みというのが最初わかりませんですね。そこを覚えていくんです。熱好き、ぬる好き、濃いの薄いの、たくさん、少し、くすり飲むから白湯持ってこいとか、それはもう神経を使うのでございます。それから、いきなり出すと怒る人もいます。上着なんかを脱いでね、ちゃんと座って、一服点けて、煙が出たところで、お茶でございます、こうでないといけない人もいるんですよ。「間が悪いよ、君は」ってなことを言われてしまうわけでございますね。ほとんど上手くいきません最初は。もうしくじりばっかりでございますが、それを重ねていくうちに真打連とちょっとしたコミュニケーションができるわけでございます。

「東京出身かい、どこ?お、あそこなの、こういうのがあるだろう」「師匠、よくご存じですね」「うん、若い頃よく行ったんだよ」なんていう世間話でございますね。この積み重ねの果てに、ある日こう言われるんでございます。「今度、僕んとこ稽古においで」これでございます。このために修行してたんでございますね。いわゆる労働力を提供し、そしてそれを誠意を持って行うと、その対価として生涯使えるネタをただでやるよと、こう言ってくれた瞬間なんでございます。つまり自分の師匠だけのネタですとコピーみたいのが出来上がるんですね。ですから、できるだけたくさんの人達へ稽古に出掛けて、そしてオリジナルを作るというのが、これが大命題でございますから。それを3年から5年、二つ目に昇進いたします。二つ目になると二つ目貧乏と言いまして、仕事がガタっと減るんです。というのは、寄席とか落語界というのは、客を呼ぶであろう真打と労働力である前座さんで構成されてるからですね。

つまり二つ目さんは世間、社会を相手に修行を始めるということです。高座獲得のために、そこで知恵を絞ります。創意工夫をいたします。その悩みなんかが修行なんだなと思ったりもするわけでございます。そして真打昇進になるんですけれども、真打になったからといって安閑とできません。昔はそれなりに安泰だったそうなんですが、今は真打だらけでございます。東京に約500人の落語家がいるんでございますが、そのうち300人以上が真打という、もう石なげると真打に当たるというぐらいで、毎年のように真打が誕生しますから、大変な競争率なんでございます。つまり修行は続くわけでございます。

でも辛いかというと、それだけでもないんですね。あんなことがあった、こんなことがあったと楽しい思い出にもなるんでございます。先日ですけれども、寿司職人の方が修行が必要か不必要かという論争がありまして、覚えてらっしゃいますか、集中して修行すれば技術なんか身につくだろうという意見がありましたね、いざとなりゃ寿司ロボットもあるしみたいなことで、そりゃお子さん連れで、家族なんかで行くと回る寿司もいいかもしれませんが、私はちょっと違うと思うんですね。やっぱり修行は必要だと思います。つまりは修行をした人が握ってくれた寿司をお客っていうのは食べたいものなんですね。落語でもそうです。修行を重ねた人の落語をやっぱり安心して聞きたいんでございますよ。

ですから私は、修行はある程度必要だなと、こう思っております。ある一国一城の主、店を構えた寿司職人の方に伺ったことがあります。すぐ寿司握れると思って寿司屋になったんですって。そしたら全然握らしてくれなくて、下働きばっかりなんですって。夜中におからを買ってきて、にぎり寿司の稽古をしたなんて聞きました。それをやっておりますと、ようやく出前用の巻物かなんかをやらしてもらえるんですって。いなり寿司とか軍艦巻きとかそういうものですね。出前でもにぎり寿司までがずいぶんかかったと言ってました。その間に先輩なんかと接して色々覚えることがあるわけです。魚の知識もうんと蓄えるわけですね。いわゆる一人前で、今日は付け台の前に立っていいよと言ってくれた時、緊張したそうです。デビューですからね、自分の握った寿司をこのお客さまがどんな表情で、食べた後どんな感想を言ってくれるのかと、もう震えてたと言いましたですね。その時のこと、そのお客さんの表情から言葉、世間話を含めて一語一語、全てその人は覚えているんだそうでございます。はい。修行してよかったと、やっぱり無駄にならなかったということを、その人は言ってました。

ですからしゃかりきに、そんなに修行という名目でやらなくてもいいと思うんですね。この寿司職人、落語家、あるいは社会人、普通の一般のお勤めの方でもこれは変わらないと思うんです。ぜひ最初の、そうですね、最低1年、せめて3年ね、「石の上にも三年」とも言うじゃありませんか、それをやりますと。勉強するのもいいです、学校でね、会社でもいわゆる先輩に色々教わることでもいいと思います。一生懸命そこに打ち込むと、あとで見えてくる景色がちょっと変わるんでございますね。ですから修行という大袈裟な名目でなくてもいいと思いますんで、修行の真似事といいますかね、遊び心を持っててもいいと思うんです。気持ちが集中してれば。我々も真打になっても修行は続くわけでございまして、未だに修行中でございます。このしゃべっている最中でも、もっとなんで上手くしゃべれないんだろうと、色々反省しながらしゃべっていたりもするんでございますよ。恐らくこのカメラを撮ってる人もそうだったりするかもしれません。
ディレクターももう少しちゃんとサゼッションすればよかったかなと思っているやもしれないのでございます。いつでも修行ということでございます。春でございます。スタートの季節でございます。「笑わせるまでに落語家さんざ泣き」とも言うんでございます。

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