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「イギリス EU離脱交渉の行方」(視点・論点)

慶應義塾大学 教授 細谷 雄一

 昨年の6月23日、イギリスではEU加盟継続を問う国民投票が行われ、離脱支持が52%、残留支持が48%となり、離脱派が多数となりました。その結果、イギリスのEU離脱が決まり、世界に大きな衝撃を与えました。はじめて、EUから離脱する国家が誕生することになったのです。またそれによって、EUの将来も不透明となりました。

 先月の3月29日にメイ首相は、EU離脱の通知文を、ブリュッセルに駐在するイギリスのEU大使を通じて、EUに通知しました。これによって、加盟国のEUからの離脱を規定するリスボン条約第50条が正式に発動をして、離脱までの2年間の交渉期間に入ることになります。イギリスは、2019年3月29日に、自動的にEU加盟国としての地位と権限を失うことになります。したがって、イギリス政府は2年以内に、離脱交渉や貿易協定を結ぶ交渉を妥結する必要があります。

 しかしながら、通常は5年から10年はかかると言われている自由貿易協定を、2年以内にイギリスとEUとの間で合意することは、ほぼ不可能です。また、従来はEUから離脱しても、EUの「シングルマーケット」(単一市場)への加盟は続ける、いわゆる「ソフト・ブレグジット」を選択するのではないかと言われていましたのが、メイ首相はシングルマーケットからも離脱するいわゆる「ハード・ブレグジット」を選択する意向であり、それによってイギリス経済が大きなダメージを受けることが想定されています。

 EUからの離脱によって、イギリスとEUはどうなっていくのでしょうか。今日は、この問題を、考えていきたいと思います。

 メイ首相は、EUへの離脱通知後の演説の中で、「イギリスとEUは、新しく、深い、特別なパートナーシップを築く」と述べています。それでは、ここでいう「新しく、深い、特別なパートナーシップ」とは、いったいどのような関係なのでしょうか。

 現時点では、その具体像はまだ見えません。イギリス政府はこれから二年間のEUとの交渉の中で、可能な限りイギリスにとって利益となるような条件の実現を目指すことになります。しかしそれは茨の道で、多くの困難が待ち構えています。

 現時点で考えられる、離脱後のイギリスとEUとの関係は、三つのシナリオが考えられます。

 第一のシナリオは、ノルウェー型と言われるものです。すなわち、EU離脱後にEEA、すなわち欧州経済地域への加盟を続けて、「シングルマーケット」に加わり続けることです。これは、「ソフト・ブレグジット」と呼ばれる、もっともイギリス経済にとってのダメージの小さな、離脱のシナリオです。

 当初は、イギリス政府がこのシナリオを選択することが想定されていました。この場合は、イギリスはEU加盟国ではなくなっても、引き続きシングルマーケットの一部であることで、関税無しで貿易が可能となります。また銀行業務も、「シングルパスポート制度」と呼ばれる、EU域内での自由な営業が可能となります。

 ところが、EU側は「四つの自由移動」、すなわち「モノ、カネ、サービス、ヒト」をつまみ食いすることはできないという立場をとりました。そのために、移民の規制を行いたいイギリス政府は、むしろEUからの強硬離脱を選択しました。すなわち、シングルマーケットからも離脱して、イギリスがEU経済から完全に切り離されることを意味します。

 そして第二のシナリオは、二国間協定型で、スイスやカナダのようなケースがそれにあたります。これは、イギリス政府がEUとバイラテラルな貿易交渉を行って、両者の間で満足できるような独自の自由貿易協定を締結することを求めます。これは、5年から10年の交渉期間が必要だと言われています。

 だとすれば、2019年3月29日までにこの第二のシナリオに沿ったバイラテラルな自由貿易協定が締結される可能性はきわめて低く、その場合には、第三のシナリオ、すなわちWTO(世界貿易機関)型の関係をつくることになります。しかしながら、WTOへの加盟はEUとして行っているために、WTOとイギリスの二国間の関係を規定する条文はありません。したがって、イギリスはWTOとの間にも、個別的な協定を締結する必要があるともいわれています。だとすれば、イギリスは、いっさいの貿易協定のない未知の世界に入っていくことも考えられます。

 そのようなリスクを回避するためにも、イギリス政府はEUとの間で、2019年3月29日までに暫定協定を結ぶことが、きわめて重要な意味を持つようになります。すなわち、次のようなスケジュールでの交渉の見通しとなります。

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 まずイギリス政府は、リスボン条約50条の規定に従って、離脱協定を締結しなければなりません。これは、2014年から7年間EU予算における、イギリス拠出金のうちの未払い分の約7兆円の支払いについての合意も含まれます。

 イギリス政府は当初は、これから離脱する以上は7兆円の拠出金の未払い分を支払う必要はないと、述べていました。しかしながら、EU側はもしも未払い分を払わないならば離脱交渉も自由貿易交渉も開始しないという強硬な姿勢を示しました。そのため、イギリス政府は態度を軟化させて、支払わざるをえなくなっています。交渉上は、EUの五分の一の経済規模しかないイギリスのほうが、はるかに弱い立場になるのは、当然かもしれません。

 ある程度離脱協定をめぐる合意の見通しがつくようになると、次には自由貿易協定をめぐる交渉含めた、両者の将来の関係についての協定、すなわち「将来協定」をめぐる交渉を開始します。これは、2018年秋頃の交渉開始が想定されています。その場合、交渉期間は一年程度しかなくなってしまうために、2019年3月末までの合意はきわめて困難です。

 そのような状況となった場合は、イギリス政府はEUとの間で、暫定協定を合意することになります。すなわち、「将来協定」が発効するまでの間、イギリス経済やEUが混乱することを回避するためにも、イギリスがEUに残留することになります。おそらくは、EU側もこれに合意して、交渉締結までのイギリスのEU残留を了承することになるのでしょう。

 これからイギリス政府にとってのもっとも大きな困難は、連合王国の解体を回避することです。

 メイ首相は、スコットランドや北アイルランド自治政府の要求を無視して、イギリス経済に大きなダメージとなる見通しの「ハード・ブレグジット」を選択しました。このことに、スコットランドや北アイルランドでは大きな不満がたまっています。
 そのために、スコットランド自治政府は、2014年9月に続いて、二度目のスコットランドの連合王国からの独立を問う住民投票を要求しています。メイ首相は、それを拒絶していますが、依然として連合王国解体の火種は残っています。

 今、イギリス政治は未知の世界に進んでいます。メイ首相がどのようにして、スムーズにEUからの離脱交渉を進めて、連合王国の解体を阻止して、イギリス経済の悪化を防ぐことができるのか。
イギリス政治は今後しばらくの間は、不安定で不透明な時代が続くことでしょう。

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