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「米 シリア攻撃の波紋」(視点・論点)

東京外国語大学教授 黒木 英充

 6年を超えるシリア内戦が、今、重大な局面を迎えています。
 今月4日の現地時間早朝に、シリア北西部の反体制派支配地域の町ハーン・シャイフーンで、神経性ガスの化学兵器―サリンと報じられています―が使用されたと見られる事件が発生し、およそ90人の死者をだす大惨事となりました。これに対して、アメリカのトランプ政権は3日後に地中海からトマホークミサイル59発をシリア中部の空軍基地を中心に打ち込みました。

 アメリカはこれまで過激派組織のIS=イスラミックステートに対する空爆は行ってきましたが、アサド政権に対する直接の攻撃は初めてです。内戦をどのようにして終わらせることができるか、考えねばならない時に、全く逆の動きが生じたように見えます。
 この大きな転機になりかねない最近の動きを、どのように捉えるべきでしょうか。3つのポイントで考えたいと思います。

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 第1のポイントは、アメリカ政府の意思決定の問題です。シリアではアサド政権が昨年11月末にアレッポの都市東部を奪還し、シリアの主要都市ほぼすべてを掌握して国に残る人口の大部分を支配下に置くこととなりました。またアメリカがクルド人組織を、ロシアがアサド政権を、トルコが反体制派の多くを支援して、ISを徐々に追い込んで、その中心都市ラッカの攻略が視野に入ってきていました。

 イラクではアメリカの支援を得た政府軍が北部の主要都市モスルの奪還のために着実に前進を続けています。少なくともISを軍事的には弱体化させることに成功していました。ISが消えた後のシリアをどうするか、アサド政権、反体制派、クルド人組織の間で何らかの交渉が成り立つのかどうか、という方向に問題は移っていたと思います。

 トランプ大統領は何でもオバマ前大統領とは異なることをしたいという傾向があると思われますが、シリアについてもオバマ前大統領はアサド大統領退陣すべしとの原則を崩さなかったので、トランプ大統領はその逆を行くべく、またロシアとの融和を図る方針とも合致していたので、IS壊滅に集中するとして事実上のアサド大統領容認に大きく舵を切ったのでした。これはアメリカの対シリア政策の根本的転換と言うべきもので、トランプ大統領は1月の就任以来、最重要課題としてきたシリア問題に一つの答えを出したのです。それが3月31日でした。

 それがわずか4日後には残虐な化学兵器事件の映像を見て、一瞬にして「心乱されて」、方針を180度転換する。しかも国内的・国際的法的手続きを経ぬまま、武力行使に突き進んだのです。ISやアサド政権、ロシアなど錯綜するシリア内戦への対応の確たる見通しもないままに事を始めたように見えるのですが、それはその後政権内でヘイリー国連大使とティラーソン国務長官との間で、アサド政権打倒とIS壊滅の優先順位をめぐって意見の不一致があったことにも表れています。世界で圧倒的な軍事力を誇る国の中枢がこのように不安定なことには、強い懸念を覚えざるをえません。世界中が心配していると思います。そしてこうしたアメリカの混乱した政策のために混沌としたシリアの内戦が長引くことはあれ、早く終結する可能性は低いでしょう。

 第2のポイントは、その180度転換のきっかけとなった化学兵器に関する問題です。アサド政権が戦闘機を使ってサリンを爆弾で投下したというのが前提となってすべてが進んでいます。しかし私は現時点では、誰がこの事件を起こしたのか、不明であると言わざるを得ないと思います。サリンを作れるのはアサド政権軍だけではありません。反体制派、とりわけアルカイダ系の組織にその製造能力があることは、つとに指摘されています。今回のハーン・シャイフーンの事件直後の情報にしても、トルコがジャーナリストのシリアへの入国を許さず、反体制派支配地域内に居た人たちが、アルカイダ系組織やその他のジハード主義組織の保護を受けて取材して送ってきたものばかりです。事件翌日の爆弾の投下現場の写真と言うものを私も見ましたが、広々とした道路に小さな穴が開いているだけで、爆弾の破片もありません。もしも強い爆風で飛び散ったならば、サリンは高温で分解するため、通常は爆発を伴わない形で投下するという話と矛盾します。もしも爆発しない形の投下だったとすると、投下した物体が何か残っているはずです。近寄れば危険ですし、証拠を残す意味でもそうすぐには除去しないはずです。私のような素人にも不可解な点があるのです。

 そもそも、アサド政権は軍事的に反体制派に対して優位に立っていましたし、反体制派内部では様々な組織が互いに衝突して潰しあうような状況がありました。オバマ政権からトランプ政権に代わって対応が一変し、アサド大統領は余裕のある立場にありました。そのような時にわざわざ化学兵器を使うというのは、考えにくいことです。さらに、2013年8月のダマスカス郊外におけるサリンによる大量殺害事件の嫌疑をかけられ、米英仏の武力介入の一歩手前まで経験したことからすれば、自らの生き残りを最優先しているアサド体制がそのようなこうした自殺行為のような挙に出るのはいよいよ考えにくいことです。その2013年の事件のときも、国連の化学兵器調査団がダマスカスに到着した3日後に、調査団が宿泊しているホテルの数キロ先で起きるという不可解なものでした。結局、国連調査団は誰がサリンを使ったかについては記載しない報告書を提出しています。その後、ある調査報道によれば、そこで使われたサリンがシリア軍のものとは異なる種類のものだった、ということが指摘されています。今なおそこには深い闇があるのです。

 いずれにせよ、今回の事件については、国連のような第三者機関が徹底的な調査と検証を行う必要があります。それが多数の死者に報いることになります。
第3のポイントは、今回の事件が内戦をさらに長引かせ、将来のシリアの復興と国民和解をますます難しくするのでは、という問題です。

 すでに死者は40万人、負傷者は数知れず、家を追われて国内外で難民・避難民となっている人々は1000万人を超えたと言われています。いま、一番必要なのは停戦であり、そのための交渉です。まず命の心配をせずに暮らせるようにしたうえで、途方もなく広がってしまった人々の間の溝を少しでも埋め、6年を超えてまともな教育を受けられなくなっている荒廃した地域の子供たちに対して、またIS支配下で洗脳教育を受けてしまった子供たちに対して、きちんとした教育の機会を取り戻してあげることです。まだシリアの各地で歯を食いしばって我慢して希望を捨てずに生き抜いている人たちがいます。

 残念なことに、こうした状況でもなお、シリアの宗派対立をあおり続け、武器と資金を送り続ける国々があります。そろそろ私たちはこの現実にじかに向かい合うべきではないかと思います。このような時に、トマホークミサイルは何の役にも立ちません。

 我が国も、シリアにおける停戦の実現と将来の国民和解の実現のために何ができるか、そのために知恵を絞らねばならないと思います。

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