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「文化財の劣化と保存」(視点・論点)

日本画家 横浜美術大学 特任教授 杉本 洋

 今日は文化財の劣化と保存についての考えを少しお話しさせて頂きます。
 昨今、天災、人災による文化財の破損が多く報じられています。2011年3月の東日本大震災では、茨城県五浦にあった岡倉天心、横山大観ゆかりの登録有形文化財の六角堂が津波で流されました。これは昨年再建されました。
 2013年8月、奈良県を襲った局地的集中豪雨では、奈良国立博物館で雨漏りが起こり、国宝薬師如来座像など6体と国指定重要文化財1点が雨水による被害を受けましたが、この奈良国立博物館の建造物自体も国の重要文化財でした。現在も修復中であります。

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 2016年4月の熊本地震では、国の重要文化財である熊本城が大規模な被害を受けました。これは現在も多くの方により修復がされているところです。
 人災としては、主に奈良県での国宝、重要文化財へ油のような液体がかけられた事件が記憶に新しいものです。これは2015年の春から頻発した事件で、被害を受けた国宝としては、長谷寺本堂や當麻寺當麻曼荼羅厨子の壇、また金峯山寺本堂、東大寺南大門、唐招提寺金堂などがあり、重要文化財で被害を受けたものとしては、松尾寺本堂、春日大社南門などがありました。今月に入っても同様の事件が起きています。
 また、天災、人災でもなく地球環境の変化での大気の汚染等による文化財劣化も予断を許さない状況です。

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 イタリア、フィレンツェにあるベッキオ宮の前に置かれていたミケランジェロ作の大理石による「ダビデ像」も、酸性雨などの影響を考慮してか、1873年に室内に移動されました。近年のニュースでは、上野の西洋美術館の入り口付近の屋外に設置されているロダン作のブロンズ像「考える人」も、やはり酸性雨による劣化が伝えられました。
 このようにあらゆる文化財は、さまざまな要因によって劣化破損する危険にさらされています。しかし実は、文化財というものは、こうした天災、人災、地球環境の変化の危険がなくとも日々、経年劣化してゆくものでもあるのです。直接的な危険がなくても、時間が経つことで自然と少しずつ劣化していってしまうということですね。このため、かつて一般の御家庭では、ふすまや掛け軸といった生活調度品としての美術品は、定期的に表装を直すことにより、保存されてきました。刀剣も、やはり定期的に点検をして、さびの小さいうちに取り除いて、後世の子どもたちに引き渡せるようにその美しさを保ってきました。
 美術品というのは適切なメンテナンスをしてあげないと、本来の価値がどんどん失われていってしまうものなのです。今、多くのご家庭の押し入れや蔵には、存在を忘れ去られたまま、数十年以上の時が経過してしまった美術品が、たくさん眠っているのではないでしょうか。きちんとしたお手入れをしなければせっかくのお宝もガラクタ同然、ということになりかねないのであります。
 ところが現在、こういった話は個人所有の美術品に限りません。国が認めた文化財であっても経年による劣化を防ぎきれていないのです。

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 例えば、私の奈良のアトリエにほど近い五條市には、1300年ほど前に藤原武智麻呂により創建された栄山寺がありますが、こちらは国宝指定を受けた文化財が二つ、重要文化財も多数所持している由緒正しい寺院です。しかし残念なことに、天平時代の建造物で、法隆寺の夢殿と同時期の国宝でありながら、八角堂内の壁画は剥落しており手当もされていない、というのが実情であります。同じ天平時代の建造物でもある国宝の八角堂でも、光の当たっているものと当たっていないものでこのような違いがあります。「国宝」とか「重要文化財」と聞くと、それだけですべて手厚く保護されているイメージがありますが、実はこれが我が国の文化財保護の実態であるんですね。
 では、なぜこのようなことが起こるのでしょうか?その手薄さの原因としてよく言われるのは、他の先進国と比較しても相当見劣りのする文化予算額であります。

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 野村総合研究所が作成した調査報告書のデータによりますと、日本の国家予算に占める文化予算の割合は0.11パーセントの1,038億円であります。それに比べて文化立国であるフランスは0.87パーセントで4,640億円。日本の4倍以上です。お隣の韓国では、文化予算は国家予算の0.99パーセントも占め、パーセンテージでは9倍、金額も日本の2倍以上の2,653億円であり、もし日本がこの2か国のような割合で文化予算額を計上したならば、文化財保護のために、どれだけのことができるだろうと思います。
 現在、我が国の文化行政は文部科学省が担っています。文部科学省は教育、学術、科学技術、文化、スポーツ、宗教など一つの省で多くを担当しています。諸外国によってはそれぞれに個別の省が存在しており、予算もそれだけ多くなるように思われます。近年、各方面で言われてきておりますことですが、文化庁、スポーツ庁、国土交通省の管轄である観光庁を、まとめて文化省にすることも、文化予算を増やす策の一つかと思いますが、皆さまどうお考えでしょうか。かつての文化大国、文化立国に戻るために、経済ばかりに偏ることなく、文化面での国家予算を増やしていただきたいと思います。
 もちろん文化財の保護には資金だけでなく、実際に保存・修復をする技術を持った人材も重要であります。私もこれまで、多くの文化財の修復にかかわってきましたが、人材というのは育つまでに大変に時間がかかるものであり、文化財の劣化のスピードに人材を育成するスピードが追い付いていけるのか、心配です。適材適所に沿った有能な人材の育成が急務となっています。矛盾するようですが、育成した折角の人材が年々カットされる文化財修復予算の不足によって、修復すべきものはありながら、修復の仕事がないという現実は、問題だと思います。国宝や重要文化財に指定されていない文化財の修復保存や、海外からも散逸した文化財の修復依頼があり、その数は年々増大傾向にあるようです。これらに対しても官民、双方の領域での迅速で柔軟な対応が求められていくことでしょう。
 私が教べんをとる横浜美術大学では、今年度より寄付講座として、首都圏では初めて、学部の学生に向けて専門の修復保存コースを新設し、本格的に人材育成に取り組み始めました。このコースは、文化財に指定された修復・保存だけではなく、一般の御家庭で大事にされてきた、いわゆる家宝などを修復し、次世代に伝えていくことも目指しています。また歴史のある古い文化財だけでなく、近年のアートシーンで話題の中心になる現代美術の作品の修復も行っていきます。現代美術の作品には、今まで使用されていない新素材や多様な樹脂系の接着材などが使用されておりますが、それらの作品の中にはすでに経年劣化をして修復保存の手当をする時期に来ている作品もあるようです。このような新しい分野の作品群についても順次、科学的分析をして対応できるような修復を行っていきたいと考えています。そしてまた、あらゆる文化財、美術品の修復保存に関して適切な御提案ができるアドバイザー育成も主眼の一つにあります。
 我が国の劣化する文化財を救うには、充分な文化予算の確保という国家からのサポートと、文化財を守るための人材の育成といった両輪が、今後ますます整備されるべきであると考えています。また、予算、人材などの物理的要因以外にも、文化財の劣化を食い止めるには、いわば、“文化への意識の劣化”に対しても、一考する時が来ているように思います。文化予算、修復保存する人材、それを取り巻く文化意識の向上について、今後の進展を望みたいと思います。

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