NHK 解説委員室

解説アーカイブス これまでの解説記事

「クラッシャー上司にご注意を」(視点・論点)

筑波大学大学院 教授 松崎 一葉

なぜ、職場でのいじめ・嫌がらせ、パワーハラスメントをしてはならないのでしょうか?また、日本ではなぜ、パワハラがなくならないのでしょうか?
今日はパワハラの中でも、昨今問題視されるようなった「クラッシャー上司」についてお話しします。クラッシャー上司とは、東京慈恵会医科大学名誉教授の牛島定信先生と私が名付けた概念です。一般的には、ひどいパワハラがあれば、社内のコンプライアンス規則に従って処分・是正されるはずですが、このクラッシャーと呼ばれる人たちは、本来の能力がたいへんに高く、仕事上、とても高い成果を出す人たちです。その結果、会社は厳しく処分することができず、パワハラが黙認され、部下たちがパワハラの被害を受けて精神的につぶれていく。つまり部下をつぶしながら堂々と出世していくタイプの人たちのことを言います。私の精神科医としての経験のなかで、このような理不尽なケースが少なからずあったことから、「クラッシャー上司」と名付け、概念化しました。では、なぜ、このような事態が生じてくるのか?そしてどのように対処したら良いのか?について考えてみましょう。

まず、なぜ、パワハラをしてはならないのでしょうか?

s170407_1.png

パワーハラスメントとは、厚生労働省の定義では、
「同じ職場で働く者に対して、職務上の地位や人間関係などの職場内の優位性を背景に、業務の適正な範囲を超えて、精神的・身体的苦痛を与える又は職場環境を悪化させる行為」とされています。
パワハラをしてはならない理由はもちろん、被害者の人格を否定し苦痛を与えるという「モラルの観点」から行ってはならないのですが、さらにもう一つ、重要な点は、「労働生産性」への影響の視点です。
 昨今、安倍内閣によって働き方改革が推進されています。また一方では、企業の業績向上も必至の命題であり、これらは一見すると、相反する命題のように感じられます。プレミアムフライデーで早く帰るように推奨され、残業時間の削減を目標にします。一方では企業は生き残りをかけ、必死になって業績の向上を目指します。「早く帰れ、しかし、もっと成果を出せ」。この双方の命題を両立させるには、労働の生産性を向上させることが大前提となります。ITを駆使し、アウトソーシングをうまく利用するなど、企業は知恵を絞って、生産性の向上をめざしています。

では、パワハラの被害に遭うとどうなるでしょう?ハラスメントによって精神的被害を受け、メンタルヘルスを害すると、極端な例では、業務起因性のうつ病に罹患(りかん)し、疾病休業に至り、企業の疾病損失日数が増大します。しかし、実はもっと深刻なのは、休職するほどメンタルヘルスが悪化してはいないけれど、明らかに仕事の能率が落ち、ミスが頻発し、最適な判断ができなくなるなど、被害者が、顕著に労働生産性が低下したまま仕事を続けている状態を見過ごしている点です。つまり、ハラスメントの問題は、単に被害者保護のモラルの観点だけではなく、それが企業の生産性の低下に直結するのだ、という視点を、この働き方改革の時代だからこそ、経営者がしっかり有しておくべきなのです。

では次に、何故パワハラはなくならないのかについて考えてみましょう。
私は今年出版した、クラッシャー上司という著書の中で、パワハラの構造について2つの点を規定しています。まず第一点目は、日本の多くのパワハラは、加害者側に「悪いことをしている」という意識が欠如していること、いやむしろ、本人は「自分は正しいことをしている」という信念を持っていることが重要です。会社の業績を上げるためには、「これくらいの過重労働は必要だ」「この若者を一人前に育てるためには、これくらいスパルタで接しなくては伸びない」との信念のもと、自分のしているパワハラは「実は善である」と考えていることが多いのです。また多くの企業ではハラスメント研修が必須化されていて、パワハラの加害者も当然研修を受講済みであります。彼ら加害者は、パワハラ研修を受けながらも「そうは言っても現場では無理」「コンプライアンスはわかるけれど、実際はこれくらいのグレーゾーンは必要なんだ」と考えている節があります。つまり、現代の日本で見られる多くのパワハラ事例では、加害者は「実は自分は正義である」と思い込んでいることが多い上に、さらに、経営陣も「悪意ではないから、いたしかたない」「成果を上げるための必要悪」として黙認することになると、パワハラはなくなりません。せっかくの企業のコンプライアンス制度は機能せず形骸化していきます。
そして、さらに問題を助長するのは、パワハラの被害者の意識です。特に、ほとんど職能のない新入社員や若手社員は、上司からパワハラ的な指導があったとしても「教えてもらっているのだから、しかたがない」「上司は自分を鍛えてくれているんだ」と、上司のパワハラを「実は善意なんだから、しかたがない」と考えがちになり、被害を訴えず、一人で抱え込んでしまう状況が生じます。
つまり、昨今のパワハラ問題には、このような加害者と被害者の双方に「そのパワハラ行為は決して悪意ではなく、むしろ会社のための善である」という誤解が潜在しているのです。しかし、先述のパワハラの定義にあるように、「精神的な苦痛を与える」行為は、ただシンプルに、行ってはならないのです。悪意や善意云々、ではなく、職場で相手の精神を傷つけるような指示や指導そのものがあってはならないことを肝に銘じることです。そして経営者は、パワハラは、会社の生産性の低下に直結するということを認識して、コンプライアンス制度を健全に運用することが、大事なのです。

次にパワハラの構造の重要な2点目は、加害者における共感性の欠如です。
特に一家主義的な日本企業にありがちなのは、「同じ釜の飯を食っているんだから遠慮はいらないよな」「俺の本心はわかっているよな」との「上司だけの勝手な思い込み」による共感性の欠如です。代表的な日本人論の一つである、土井健郎氏の「甘えの構造」で指摘されるように、日本人は「ウチと外」が違います。いわゆるクラッシャーと呼ばれる人たちに典型的なのは、外面はたいへん良く丁寧だけれど、身内や自分の部下に対しては全く配慮がない、いやむしろ「身内なんだから遠慮や配慮なんて水くさい」という思い込みがある点です。その結果、部下には「俺の本当の気持ちはわかっているよな」との誤解のもとでの無配慮、部下の気持ちへの共感性が欠落して、部下が精神的に疲弊していくことに全く気付けないという状況が進行し、時には自殺に至るほど事態が深刻化していくのです。

では、現実的にこのようなクラッシャー被害に遭遇したらどうすれば良いのでしょう?先述したように、被害者においても「このパワハラは実は悪意ではない」と誤解してしまうところから問題が大きくなりますから、まずは社外の友人などに相談してみることです。そのことで認識が新たになり、冷静に現状を把握できるようになるでしょう。また社内においては、同僚間で状況を共有し、「自分一人ではない」「お前もか」と、同じ気持ちを共感しておくことが精神的なダメージを和らげてくれます。ただし、これらはあくまでも緊急避難的な対応法に過ぎません。企業がパワハラ問題の本質を理解して、クラッシャーを放置せず、中長期的な視点から正しくコンプライアンスを履行していくという、潔い姿勢が求められます。

キーワード

関連記事