NHK 解説委員室

解説アーカイブス これまでの解説記事

「一茶の再評価」(視点・論点)

俳人 長谷川 櫂

きょうは江戸時代の俳人、小林一茶の再評価についてお話します。
一茶といえば誰でも次のような句を思い出します。

s170315_1.png

 雀の子そこのけゝ御馬が通る
 痩蛙まけるな一茶是に有

このような句は子どもでもよく知っています。
また次のような句を思い出す人もいるかもしれません。

s170315_2.png

 我と来て遊べや親のない雀
 古郷やよるも障るも茨の花

s170315_3.png

 一茶は江戸時代半ば、長野県柏原で生まれましたが、三歳で母を亡くしました。やがて父は後添えを迎え、一茶は十五歳で江戸に奉公に出されます。このような句には、不幸な少年時代を送った一茶の「歪んだ心理」が反映しているといわれます。

 このように一茶にはこれまでずっと「子ども向け俳人」あるいは「ひねくれ俳人」というパッとしないイメージがつきまとってきました。この結果、同じ江戸時代の芭蕉や蕪村に比べると、一段格下の俳人とみられてきました。

 しかしこのような一茶のイメージが正当なものなのかどうか、考え直してみる必要があります。
 というのは、私たちは「江戸時代」というと二百六十五年間、同じ封建時代がつづいていたと思っていますが、江戸時代の前半と後半では経済や文化のようすが大いに違います。
その境目が天明の飢饉(一七八二〜八)のあとではじまった十一代将軍、徳川家斉の大御所時代(一七八七〜一八四一)です。
 家斉は十五歳で将軍になってから大御所つまり隠居として亡くなるまでの半世紀以上、幕府政治に君臨しました。これを「大御所時代」と呼びます。

 この間、家斉は贅沢三昧の生活を繰り広げました。それはすでに傾きかけていた幕府の財政をさらに傾かせることになるのですが、幕府から放出されるお金によって貨幣経済が日本全国に浸透することになりました。
 そうなると、今まで生きてゆくだけでたいへんだった庶民までお金に余裕ができ、文芸や習い事に手を出すようになります。こうして徳川家斉の大御所時代に経済、文化の大衆化が一挙に進みました。
 大御所時代以降、大衆化の進展によって俳句人口も一挙にふくれあがります。そして、その多くが和歌や『源氏物語』などの古典を学んだことのない人々でした。これは俳句の世界に「大転換」をもたらします。
 歴史を振り返ると、江戸時代前半は戦国時代に破壊された日本の古典文化を復興しようという「古典主義」の時代でした。俳句では芭蕉がこの時代を代表する大俳人です。
 芭蕉の俳句や『おくのほそ道』には王朝時代や中世の古典がちりばめられていますが、それは「失われた古典を江戸時代の文学である俳句に復活させよう」という時代を芭蕉が生きていたからです。当然のことながら芭蕉だけでなく芭蕉の弟子も俳句の読者も古典に詳しい人々でした。

 ところが大御所時代になると、古典文学など知らない人々が俳句をはじめるようになります。芭蕉の時代のような古典をちりばめた俳句などまったくわからない人々です。そのような人々を相手にするのですから、古典を知らなくても日常用語で作ることができて、だれでもわかる俳句が求められました。
 江戸時代後半の大御所時代から日本でもヨーロッパやアメリカと同じ近代の大衆社会が出現していたわけです。こうして江戸時代後半に出現した近代大衆社会の求めにいち早く応えたのが、将軍家斉と同じ時代を生きた一茶でした。一茶は農家の生まれですから、古典文学など学んでいません。古典に精通していた芭蕉に比べれば、まるで「野蛮人」です。しかし、なまじ古典の勉強などせず、野蛮人であったからこそ、大衆化時代とぴたりと合ってしまったということになります。

s170315_4.png

 白魚のどつと生るゝおぼろ哉
 涼風の曲がりくねつて来たりけり

 このような句は日常の易しい言葉だけで作られていて、古典を知らなくても誰にでもわかる一茶の名句です。
 はじめに一茶は「子ども向け俳人」とか「ひねくれ俳人」とかいわれているといいましたが、考えてみれば「子ども向け」ということは子どもにも誰にでもわかる俳句であるということです。また「ひねくれ者」ということは、個人の心理がありありと映し出されているということです。
 誰にでもわかるということと個人の心理描写は近代文学の大きな特徴です。この二つの特徴を備えた一茶の俳句は最初の近代俳句ということができます。
 一茶は江戸時代後半に出現していた日本の近代大衆社会の一市民でした。まさに「ちょんまげを結った近代市民」でした。そして最初の近代俳人でした。

 日本の近代は明治維新からはじまったといわれますが、ほんとうはこの大御所時代にはじまっていたと考えなくてはなりません。
 というのは近代は「大衆化の時代」だからです。それまで少数の人々が独占していた政治、経済、文化の主導権を、より多くの人々が担うようになる、これが大衆化という現象であり、大衆化こそが近代の最大の特徴だからです。たしかに日本の政治の近代化は明治を待たなければならないのですが、経済や文化の近代化は江戸時代後半の大御所時代にすでにはじまっていました。
 日本の近代は明治維新からはじまったといわれますが、明治維新とは経済や文化の近代化に遅れて訪れた政治体制の近代化にすぎません。政治体制の違いで時代を分けていたのでは、歴史のほんとうの動きが見えません。

s170315_5.png

 目出度さもちう位也おらが春

 一茶がよく使う「おらが春」という言葉はじつに近代市民らしい、自己中心的な言葉です。近代市民は何よりも自分の欲望に忠実であるべきであり、社会を構成する全員が自分の欲望を追求することによって社会全体も幸福になるというのが、近代市民社会の基本的な思想だからです。
 このように江戸時代後半の大御所時代に日本でも近代がはじまり、一茶が最初の近代俳人であったことがわかると、その前後の俳人たち、芭蕉や蕪村、子規や虚子の位置づけがはっきりとします。
 近代俳句は明治の子規からはじまったといわれますが、それより半世紀以上も早い一茶から近代俳句がはじまっていました。子規もその後継者である虚子も一茶からはじまった近代大衆俳句の流れの中にいます。
 さらに近代大衆俳句の流れは私たちが生きている現代までつづいています。しかし俳句人口は一茶の時代とは比較にならないくらいふくれあがり、そのために俳句の世界は変質し、崩壊しつつあります。

 最大の問題は俳句の指針である批評がガタガタになったことです。多くの人々が俳句を作るようになって一見賑やかに見えますが、俳句を作る人の大半が自分の俳句が選ばれるか、どう添削してもらえるかにしか関心がありません。
 一茶から二百年、そのときはじまった大衆俳句はあまりに大衆化したために、巨大な火山が陥没するように自滅しつつあります。
もう一度蘇らせるには、まず俳句の批評を立て直すことが必要なのではないでしょうか。

キーワード

関連記事