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「ITは人々を幸せにするか」(視点・論点)

静岡理工科大学 教授 志村 史夫

人類の叡智(えいち)の産物である科学は幾多の技術を生み、人類に、とりわけ現代文明人に、物質的繁栄、「便利さ」と「豊かさ」に満ちた「現代文明生活」をもたらしてくれました。この「現代文明」の基盤はエレクトロニクス、さらには“マイクロチップ”である、と言っても決して過言ではないでしょう。エレクトロニクスの威力は、多種多様な機器すなわち、総じて“ハードウエア”ばかりでなく、それらを制御し、使いこなす“ソフトウエア”の分野まであまねく浸透しています。

世の中が「情報化社会」と言われ、現代が「エレクトロニクス時代」と呼ばれるようになってからすでに久しく、私たちの日常生活の隅々にまでさまざまなエレクトロニクス機器が入り込み、私たちの、少なくとも「社会的生活」はIT・情報“通信”技術抜きには成り立たなくなっています。
ITは、間違いなく、現代生活上の「便利さ」を急激に高めたのです。
しかし、一方において、現代文明人自身が、物質的な「豊かさ」や「便利さ」とは裏腹に、精神的病魔に冒されつつあるように思われます。
私事ながら、私は「現代文明」の象徴ともいうべき、半導体エレクトロニクスの基盤材料である半導体結晶の研究者として、日本とアメリカで、それぞれおよそ10年間の生活を送りました。
今からおよそ30年前、一般向けの半導体・エレクトロニクスの入門書を書いた時、私は“エレクトロザウルス”という言葉を創りました。“エレクトロザウルス”は現代の最先端科学・技術の粋を集めたエレクトロニクスが生んだ「現代の巨大な怪物」の意味です。具体的にはコンピューター、ITに代表される多種多様なエレクトロニクス機器、製品を指します。

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人間に代わって人間の“五感”の役割を果たす多様な“センサー”が航空機、電車、自動車、カメラ、種々の家庭電気製品などなどに無数に組み込まれていますが、これらのセンサーも近年、存在感を急激に増しつつあるエレクトロザウルスの“新種”です。もはや、私たちの生活はエレクトロザウルスの存在なくしては成り立たないことがよくわかるでしょう。
現代の怪物・エレクトロザウルスは計り知れない機能を有し、誰にでも簡単に使える究極の道具であり機械です。
とにかく、現代社会において、エレクトロザウルスは否応なしに私たちの日常生活、社会生活、社会そのものの中に深く入り込んでいます。その結果、好むと好まざるとにかかわらず、私たちの生活はエレクトロザウルス抜きでは成り立たなくなっているのです。私たちの日常的な私的、公的コミュニケーションはITに頼らざるを得なくなっていますし、ITが人間を支配する時代がすぐそこまできていることを感じます。
私の趣味の一つは囲碁なのですが、最近の、超一流のプロ棋士が人工知能・「アルファ碁」に負けたという事実は、あまりにも衝撃的でした。
エレクトロザウルスという言葉を創った当時、私はアメリカにおり、エレクトロニクスの基盤である半導体結晶分野の研究者として「絶頂期」にありました。しかし、その頃、将来は人間が作り上げたエレクトロザウルスに人間自身が支配されてしまう社会になってしまうのではないか、という危惧の念を抱いていたのも事実なのです。
私は、先に述べた本の「エピローグ」の中で、「基本的に、エレクトロザウルスが果たすべき役割は、われわれの知的活動を支援し、単純労働の肩代わりをすることで、われわれ人間を支配することではない。あくまでも、エレクトロザウルスを調教し、支配するのは人間である。しかし、また、われわれがエレクトロザウルスを支配すべき人間であることを自覚し、それを支配し得る能力、知力を身につけない限り、われわれ自身がエレクトロザウルスに支配される可能性があることも否めない事実である。」と書いています。

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最近では、ところ構わず傍若無人にスマホに「興じる」日本の老若男女を見るにつけ、さらに、新しいゲームソフトが発売されるたびに、それを買おうとする子どものみならず「おとな」の日本人が徹夜で並ぶ長蛇の列を見るにつけ、私はおよそ30年前の危惧が現実のものになっていることを痛感するのです。
私が「エレクトロザウルス」という言葉を創り、「われわれ自身がエレクトロザウルスに支配される可能性があること」を危惧した30年前といえば、スマホはもとよりケータイもインターネットも、一般人の間にはまったく存在していなかった時代です。自画自賛と思われましょうが、私は私自身の30年前の予見に感心せざるをえません。
私たちが日常的に接する最も影響力のあるエレクトロザウルスはITです。そのITによって情報が洪水のように与えられるのですが、私たちはいま、その情報の海に溺れそうではありませんか。情報の海は、私たちを先入観、既成概念、さらには偏見で包囲しそうです。私たちは、そのような情報の「発信源」が何であるかを考えてみるべきです。私たちは、その「発信源」に踊らされ、溺れさせられようとしているのです。私たちの生活は、エレクトロザウルスによって、忙しく、余裕のないものにされていることはないでしょうか。便利なことは、本当に100%よいことなのでしょうか。
もちろん、私はエレクトロザウルスを全面的に否定するつもりはありませんし、現代社会に生きる限り、エレクトロザウルスを全面的に否定することなど不可能で、理不尽です。しかし、「文明進化し、人間退化す」というのが私の持論です。
私自身、現代のスマホにつながる半導体結晶の研究に長年従事したのですが、私たちが、さまざまな場面で、ITの計り知れない恩恵に浴しているのは紛れもない事実です。私自身はスマホを持っていませんが、スマホの機能を知るにつけ、そのすさまじさに、ただただ驚くばかりです。
長年、それにつながる研究に従事した私は内心じくじたるものがありますが、私が恐れるのは、一度スマホを手にしたら、二度と手放せないし、スマホなしには日常生活を送ることができなくなるだろうということです。
もちろん「幸福観」は人それぞれで一様ではありませんが、概して「幸福感」=「財産」/「欲望」という簡単な分数式で表わすことができるのではないでしょうか。
「財産」にも「欲望」にも物質的なものと精神的なものが含まれます。

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誰でも「幸福感」を高めたいのですが、現在の日本やアメリカに代表される「文明国」では、分子の「財産」を大きくすることに必死になっています。しかし、分母の「欲望」を小さくすることでも大きな「幸福感」を得られます。

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仏教に「知足の者は貧しといえども富めり、不知足の者は富めりといえども貧し」という言葉があります。また孔子は「足ることを知る者は心安らかなり」といっています。

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私には、あふれんばかりの情報やITによって、分母の欲望が増大の一途をたどっているように思われます。

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欲望を多くすればするほど、足ることも満足も遠のいてしまうのです。誰でも、お金や物を多く持てば、それだけで幸せになれるというわけではないという知性を持つべきです。お金に限らず、欲が多すぎるのは不幸の元なのです。欲望を多く持てば持つほど不幸になってしまうのです。
結論として、エレクトロザウルスもITも、所詮は「道具」です。それは、人間の能力をはるかに超えるほど優れた、便利な道具なのですが、肝心の人間自身が、その道具に支配されては本末転倒です。人間には、エレクトロザウルスやITを、あくまでも道具として使いこなす知性が求められます。

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