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「地域と世代をつなぐ桜」(視点・論点)

公益財団法人 日本花の会主任研究員 和田 博幸

関東地方では、年明けから冬とはいえども温暖な日が続き、今年は例年よりもニホンズイセンや梅の花の咲きだしが早くみられました。日本一早い梅祭りと桜祭りが開かれることで知られる静岡県熱海市では、1月中にそれぞれの祭りが開催されて、春を先取りしようとお花見客が大勢訪れていました。
今回は春を代表する花で、多くの方が開花を待ち侘びている桜とこれに関わる素晴らしい住民活動についてお話しします。

ここ数年のことですが、皆さんは戦後植えられた桜が寿命となり、桜の名所が一斉になくなるという報道を耳にしたことがありませんか。私のところにもマスコミの方から何回か、「桜の名所は危機的な状態なのでしょうか。」と問い合わせがありました。確かに傷んで弱っている桜もありますが、健全に育っているものもそれ以上にあります。きちんと桜を見守っていれば一斉に枯れてしまうことはまずありません。
これからお話しすることは、傷んで弱ってしまった染井吉野の桜並木を、ひとつひとつ手続きを踏まえ、地域住民の合意を得ながら新しい桜並木に植え替え、それを住民が協力し合って育てていこうという未来志向の取り組みです。神奈川県座間市で現在も進行中の桜並木の保全活動です。

座間市相模が丘地区には、かつて1600mの染井吉野の桜並木がありました。この桜並木は第二次世界大戦が終わって間もない昭和20年代に、農地拡大政策の一環でこの地区に灌漑用水が引かれ、その完成を記念して地元有志の方々によって、用水沿いに植えられたものでした。地元の人は畑の灌漑用水に沿った桜並木だったので「畑灌桜(はたかんざくら)」と呼んでいました。しかし、昭和30年代になるとこの地区にも住宅や工場が徐々に建ち始め、畑は少なくなり、やがて灌漑用水はその役目を終えました。

昭和44年から50年にかけて、灌漑用水にはコンクリートの蓋がされ、緑道として利用されるようになりましたが、大きく育った桜並木は残っていました。さくら保存会が結成され、桜祭りも開催されるようになり、なかよし小道という愛称で、子どもからお年寄りまでが利用する緑道になったのです。

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時代は昭和から平成となり、桜が植えられて50年が過ぎる頃になると、桜並木は住宅街に伸びる1本の見事な緑道となっていましたが、高さが15mを超す大木の染井吉野が、約5m間隔という短すぎる間隔で植えられていたことで暗い木陰を作り、時に枯れ枝が落ちたり、根元を蝕むキノコが繁殖し、樹木医からは倒れる危険があると診断されたりしました。やむなく数本が伐採され、危険な太枝は切られ、染井吉野にあらずといった樹形となってしまいました。

このような状態の時に私はこの桜並木と関わることになりました。
相模が丘地区では危険を伴うなかよし小道の桜並木をこれからどうしようかという検討が始まりました。平成19年のことです。まずは、地域住民が荒れてしまった緑道をどう思っているのか、アンケート調査を実施しました。自治会を中心に地域の団体や中学生も含めて約3000もの回答が寄せられたそうです。結果は、緑道の木陰は必要であるという回答が7割以上、樹種は桜を希望する回答がそれ以上にありました。
また、30年以上も続いていた桜祭りについては、8割以上の人が「行く」と答えられたそうです。相模が丘地区の住民のほとんどが、桜に対しては身近な存在であり、親しみを感じているのがアンケートから分かりました。しかし、緑道に接する住民の方は、必ずしもこの結果と同じわけではありませんでした。自宅に陽が差さない、秋には落ち葉が雨樋を詰まらせるなど、桜公害に悩まされている人は桜並木の再生には難色を示したのです。

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このような状況の中で地区では何度も協議を繰り返し、地元の意見だけでなく桜の専門家や行政も交えて、研究会やワークショップを重ねるなど、市役所とも協力しながらこのプロジェクトを進めてきました。行政の立場は、このプロジェクトの主体はあくまでも地区住民であって、住民の総意を尊重するという市の考えを一貫させ、黒子に徹していました。ここで大切なのは情報の公開といつでも誰からでも意見を受けられる体制です。そして何よりもきちんとした手続きを踏みながら進めることです。手続きを怠ると、桜を切る、切らないといった揉め事に発展してしまいます。

最終的には桜並木を再生させることで合意されましたが、桜並木に接する方たちのことも考えて、桜はあまり大きくならない品種を選んで植えることにしました。この点で品種の多いサクラは選択肢が多く、設計する側や管理する側は救われました。
さらに新しい桜並木には物語性を持たせました。このような時の物語は、誰にでもわかりやすいということが肝心です。これにより今後関わる人たちに共通の認識と目標が備わります。ここでの物語は、さくら祭りを開催する会場に向かって、異なる品類の桜が次々とバトンタッチするように咲きつながることでした。

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また、桜並木の一角には樹齢約60年の畑灌桜時代の染井吉野も残しました。地域の歴史を見続けてきた生き証人となる桜で当面のシンボルともいえます。地区の文化財樹木として周辺を整備し、桜の下で誰もが寛げるようになっています。

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桜の植栽は平成23年より4年間の工事を経て27年3月に完成しました。新しくなった桜並木には64品種220本の桜が植えられ、桜並木は様々な品種の桜が咲くことからさくら百華の道と名づけられました。

新しい桜並木には新たな桜の物語が語れるようになっていますが、真の物語はこの桜並木を育てているこの地区の人たちの取り組みです。

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この緑道全体を地区住民からなるNPO法人さくら百華の道のメンバーが管理しています。座間市と管理委託の契約を結び、桜をはじめとする樹木の世話から草取り、清掃、トイレ掃除など、地域の新たな資産を地域住民のボランティアが管理しているのです。慣れない植木の管理は大変でしょうけれども、専門家の指導を受け、勉強しながら、そして、さくら百華の道の利用者に感謝されることで、自分たちの誇りと喜びとなり、これが活動の原動力になっているようです。1年間に延べ3700人もの活動実績がそのことを物語っています。
さくら百華の道の桜の植え替え事業は、様々な苦労があったようですが、多くの関係者の協力もあってうまく進んでいるようです。桜は年輪を重ねて大きく育ちます。同時に関わる人たちの心にも様々な思いが年輪のように積み重なります。
地域と世代を超えてきっと素晴らしい道になること間違いありません。


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