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「萩原朔太郎『月に吠える』100年」(視点・論点)

詩人 蜂飼 耳

 新鮮な驚きをもたらす詩の数々を書き、現在も読み継がれている詩人・萩原朔太郎の初めての詩集『月に吠える』が刊行されたのは、1917(大正6)年の2月のことです。ですので、今月でちょうど100年を迎えます。今日は『月に吠える』をめぐって思うこと、考えることなどをお話ししたいと思います。

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 まず『月に吠える』はなぜ、特別な詩集とみなされてきたのか、という点についてです。文学史上の基本的なことに触れますが、100年前の当時は、日本語によって書かれる詩が、文語による詩から口語による詩への過渡期に直面していました。ヨーロッパの詩の翻訳と、その模倣をたくみに取り入れながら歩んできた近代の日本語の詩ですが、時を経るに従って、次第に、口語つまり日常語に近い言葉を用いた詩が、自然と求められるようになっていきました。文学史では、1907(明治40)年に発表された川路柳虹の「塵塚(はきだめ)」が「口語自由詩の最初の成功例」と位置付けられています。さらに、北原白秋や三木露風などが詩のシーンを形作ります。
 北原白秋が主宰した雑誌に、室生犀星が寄せた詩を朔太郎は読んで感激し、詩への自覚を強めたとされています。朔太郎が『月に吠える』を刊行する2年ほど前、つまり1915(大正4)年には、いまも魅惑的な問題作としてたびたび取り上げられる、山村暮鳥の詩集『聖三稜玻璃(せいさんりょうはり)』が出版されています。朔太郎は、詩に集中する以前には短歌も詠んでいました。たとえば与謝野晶子の短歌に親しみを感じていたようです。

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 このように、明治期の後半から大正期の初めにかけて行われた、さまざまな詩の試みが、朔太郎の『月に吠える』の出現を用意しました。先に少し触れたように、詩が、よりいっそう見たことのない方法で書かれることが、期待されたわけです。当時の詩人たちは、なかなか上手くはいかないその実験を、果敢に押し進めました。朔太郎もその渦中にありました。朔太郎は、最初の頃は白秋や犀星の詩に通じる作品、もっと言えば、模倣に近い作品を書いていました。ですが、その壁を突破し、ほどなく『月に吠える』の一冊にまとめられる詩風を実現します。
 『月に吠える』を見ると、詩集としての在り方一つ取っても、いま一般的に見られる様子とは異なる点がいくつか数えられます。たとえば、収録されている詩の数ですが、いま詩集の出版状況を見ると、20編から30編くらいの詩集が多いようです。40編あるいはそれ以上となると、珍しい部類に入ります。朔太郎の『月に吠える』は54編。現在の目で見ると、多い印象です。それが、いくつかの章に分けられて、構成されています。
 詩集の在り方として、いまと異なる点でもう一つ目につくことは、序文と跋文(ばつぶん)がつけられていることです。序文を書いたのは北原白秋、跋文は室生犀星によるものです。いまは、そうした構成を取る詩集はほとんどありません。当時は、先輩や仲間の書き手から、出版にあたってなにか言葉を書いてもらうことが珍しくありませんでした。その視点で見ると、一冊の詩集は、作者以外の人たちも集うなにか賑やかな現場、という印象です。『月に吠える』にもそうした時代の空気が反映されていると感じます。
 『月に吠える』の出版部数は500部。現在から見ると、出版物としては少なめの感じがしますね。感情詩社と白日社という版元から共同刊行のかたちで発行されました。白日社の主宰は、歌人の前田夕暮です。そして詩集の発行人は、室生犀星が引き受けました。刊行の1917(大正6)年、朔太郎が31歳、犀星は28歳になる年のことです。その翌年には、犀星の『愛の詩集』が出版されます。朔太郎の周囲で、詩をめぐる言葉が沸騰し、刺激が生まれ、さまざまな実りがもたらされたことがうかがえます。
 さて、100年目を迎えた『月に吠える』、皆さんはこの詩集といえば、どの作品を思い浮かべられるでしょうか。「光る地面に竹が生え、青竹が生え、」で始まる「竹」という詩はよく知られている作品ですね。また「猫」という詩も『おわあ、こんばんは』『おわあ、こんばんは』という猫同士のやりとりが、写し取られた鳴き声の余韻とともに心に残ります。
 また「愛憐」と「恋を恋する人」の2編は、詩集刊行の際、内務省の検閲により削除させられた詩として知られています。削除の理由は、性的な表現が行き過ぎと判断されたからですが、詩集刊行と同じ月、つまり2月の25日とその翌日、朔太郎は地元群馬の「上毛新聞」に「風俗壊乱の詩とは何ぞ」と題した文章を書いて抗議の気持ちを示しています。「愛憐」も「恋を恋する人」も、いま読んでも、その一途さからはどこかユーモラスな印象さえ立ち上るほどで、私は2編とも好きな詩です。気になる方は、朔太郎の詩集はいろいろなかたちで出ていて、手に入りにくいものではありませんので、ぜひ読んでみてください。
 朔太郎が『月に吠える』に収録した詩で、とくに自信を持っていた作品は「くさつた蛤」というタイトルでまとめられた章のうちの、いくつかの作品です。詩を書いている友人への手紙でもそれが明かされています。私も「くさつた蛤」という詩が好きです。タイトルだけ聞くと、なんだか気持ちの悪いイメージが浮かんでくるかもしれませんね。ですが、「くさつた蛤」という詩のリズム感とテンポ、緊張、さらにそこから生まれるユーモアは、100年経ったいまでも、読者の体を内側からくすぐるような生命感にあふれていると思います。不気味な蛤を描いて、それが生命感に繫がるのは、やはり、詩の言葉に力があるからでしょう。
 それでは、「くさつた蛤」を読みます。

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「くさつた蛤」
半身は砂のなかにうもれてゐて、
それで居てべろべろ舌を出して居る。
この軟体動物のあたまの上には、
砂利や潮みづが、ざら、ざら、ざら、ざら流れてゐる、
ながれてゐる、
ああ夢のやうにしづかにもながれてゐる。
ながれてゆく砂と砂との隙間から、
蛤はまた舌べろをちらちらと赤くもえいづる、
この蛤は非常に憔悴れてゐるのである。
みればぐにやぐにやした内臓がくさりかかつて居るらしい、
それゆゑ哀しげな晩かたになると、
青ざめた海岸に坐つてゐて、
ちら、ちら、ちら、ちらとくさつた息をするのですよ。

 描かれているのは蛤ですが、それは同時に人でもあり、朔太郎が感情と感覚の渦の中からたぐり寄せて、ひとまとまりのかたちにして見せた、鮮やかなイメージです。蛤がそのままで同時に人でもある、という表現は、言葉だからこそ可能となった方法なのだと思います。100年経ったいま、この詩から受け取るものは、100年前の読まれ方とは違うところもあると思います。しかし、それはそれで、自然なことだと思います。読者というものはいつも、自分の生きる時代と言葉に、まずは属しているからです。いまからちょうど100年前に出版された萩原朔太郎の詩集『月に吠える』は、さまざまな意味で、現在の詩に繫がっています。日本語と日本語による詩を考えていく上で、『月に吠える』は大切な詩集です。言葉の可能性をどのように受け取り、いかに越えていくか。さまざまなかたちで、『月に吠える』はいまも、そんな問いを読者に投げかけています。

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