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「高齢者の入浴死を防ぐために」(視点・論点)

東京都健康長寿医療センター研究所 前副所長 高橋 龍太郎

お風呂は一日の疲れを取り、ゆったりとした時を過ごす幸せな時間です。日本では、多数の温泉が全国各地にあり、にぎわっています。都市部にも日帰り温泉やスパなどの施設がそろっており、世界で最もお風呂好きの国民であるといっても過言ではありません。しかしその一方で、毎年、厳寒期を迎えるころ、入浴中に急死する高齢者が相次ぎます。
何より残念なのは、亡くなっている方々のほとんどは、手助けなく一人で入浴し、自立した生活を送っている高齢者で、しかも、体調不良や飲酒などのきっかけなく犠牲になっているようなのです。その時亡くなることがなければ、もっと人生を楽しめた可能性が高いだけに、入浴中に急死される方々の実態把握と予防に向けた対策は、我が国の健康課題の一つであると思います。
私は、2000年に、東京消防庁が実施した「浴室から救急搬送される事例の調査研究」に関わる中で、初めてその数の多さに驚きました。それまでも、寒い季節になると浴槽の中で亡くなっているのを発見される高齢者が少なくないことは知られていましたが、この時の調査を通じて、年間およそ一万数千人の方が入浴中に急死されていること、特に12月、1月に多いこと、大多数が高齢者であることが明らかになりました。それ以来十数年、背景にある原因の究明や予防法の普及に努めてきました。今日はその要点をお話ししようと思います。

最初に、最近の調査から入浴中に急死される方々の実態をみてみたいと思います。全国の消防本部の協力を得て、2011年一年間に、入浴中に心肺停止状態、すなわち心臓と肺の機能停止に陥った状態になった事例を調査したところ、一万件を超す報告が寄せられました。これらをもとに全国での発生状況を推計したところ、1万7,000人もの方々が入浴中に死亡していることがわかりました。ここでいう心肺停止状態というのは医師による死亡診断を受ける前の状態であり、ごく少数の方々は居合わせた方や救急隊員の蘇生術によって回復した可能性が残りますが、実際にはほとんどの場合そのまま亡くなっています。

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月ごとの集計結果を見てみましょう。2000年の時の調査結果と同じように、両端の1月と12月に最も多く発生しており、暖かくなる季節には急速に減少し、夏は極めて少ないことがわかります。

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また、年齢分布をみると、60歳代から急増し、80歳代前半にピークがみられます。男女の差もあるようで、男性ではやや若い年代に多く、女性では後期高齢者に集中する傾向がみられます。
この時の調査でもう一つ重要なことがわかりました。それは、人口当たりの発生頻度を都道府県別にみると、最も少ないのが沖縄県、続いて少ないのが北海道、そして山梨県、青森県の順になります。気象学において沖縄県と北海道を除く45都府県は温帯に属していますが、気温の高い沖縄県は亜熱帯、気温の低い北海道は冷帯に属し、これら二つの道・県は暖かさ、寒さの両極にあります。
このことから、入浴中急死が発生する背景として、屋外での気温が低いことに加え、その時の室内での温度が重要であると示唆されます。実際に、冬の室温は全室暖房を基本とする北海道と亜熱帯の沖縄県が最も暖かいという発表も行われています。この点については後半の予防法のところでもう少し述べたいと思います。
次に、なぜ突然死、急死が起こってしまうのか、という点についてです。結論から申しますと、死に至る詳しいメカニズムは今なお不明です。ただ、引き金となっている要因について検討してきましたのでご紹介したいと思います。
入浴中に死亡される方の人数に関して、毎年、厚生労働省から「家庭内での溺死者数」という統計が発表されます。この統計データの推移をみると近年増加傾向にあり、およそ4千人となっています。しかし実際には溺死と診断された数の数倍もの方々が入浴中に亡くなっているわけです。また、死後に病理解剖された結果からは、海や川での溺死と違って水をあまり吸い込んでいないことがわかっています。
被害にあった方々は、助かろうとして必死にもがいたりしていたわけではなく、亡くなる前に意識障害に陥っていたのではないかと推測されます。この意識障害はいくつかの原因が考えられるものの、血圧の急激な上下変動が最も大切であると考えています。というのも高齢者では、立ち上がったり、食事をしたり、排泄したりといったごく日常的な動作・活動に伴って急激な血圧下降が生じ、めまいや失神を起こして転倒することがよく知られており、体が温まる入浴も血圧の低下しやすい状況にあると推測されるからです。
 そこで、群馬県内のある高齢者休養施設で、平均年齢74歳の男女103名の方々に、41度のお風呂に5分間入っていただき、その間、2分おきの血圧を測定してみました。

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その結果、最高血圧は、入浴直後が166と最も高く、その6分後の出浴直後には135まで低下することが明らかになりました。数分間の間に最高血圧が30以上も下がると、先に述べためまいや失神など意識障害による転倒が起こってもおかしくない数値です。脱衣室も浴室も20度前後というごく穏やかな条件での入浴でしたが、70代の高齢者では、入浴中にかなりの血圧下降が認められるようです。

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最近行った人工実験室での測定では、脱衣室・浴室を18度ないし25度、湯温を41度ないし39度に設定して、通常の温度条件と人間の体温に近づけたより好ましい温度条件とで比較してみました。その結果でも、体温に近い、より温和な条件の方が血圧変動は少ないことがわかりました。
さて予防法ですが、欧米諸国とは違い入浴を楽しみにしている人々が多数いるわが国において、「冬はシャワーですませる」といった提案は受け入れられないでしょう。もっとも効果があると思われるのは、脱衣室や浴室の断熱性能を高める住宅改修ですが、費用がかかり簡単ではないかもしれません。要は、室温が下がり過ぎない、湯温が高すぎない工夫をすることですので、脱衣室をヒーターで暖め、浴室の温度をシャワーで上げること、湯温を41度以下に設定することが基本です。また、日没前のまだ気温が低くない時間に入浴したり、近所の銭湯・日帰り温泉などを利用するのもよいでしょう。
最後に、老年学を研究し高齢者の診療を行ってきた私にとって、この研究は特別な意味を持っています。それは、従来の老化に関する研究は、認知機能のような人間に特徴的な側面、知覚機能や運動機能のような動物的な側面が主な対象でした。しかし超高齢社会にある現在、「植物機能」といわれる循環、呼吸、消化、排泄などの老化研究がより重要性を増していると思われます。入浴に伴う体の反応もまさに植物機能の老化の問題であると考えることができます。

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