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「2017年春闘 賃金と働き方改革」(視点・論点)

三菱UFJリサーチ&コンサルティング 主席研究員  小林 真一郎

2017年の春闘が、まもなく本格化します。毎年この時期に頻繁に耳にする「春闘」ですが、これは「春季生活闘争」の略称で、新年度が始まる4月を前に、労働条件の改善を求めて、▼労働組合側と経営側が話し合うことをいいます。話し合われる労働条件には、労働時間や職場環境など多くの項目がありますが、交渉の中心は賃金です。
これまでの春闘の動きを振り返ると、2014年から2016年にかけては、3年連続でベアが実施されました。

ベアとはベースアップのことであり、賃金水準を底上げするものです。過去3年間は、企業業績が改善にしたこともあり、大企業を中心にベースアップが実現し、賃金水準の改善につながりました。

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もっとも、経営者側が、積極的に賃金を引き上げたというよりも、安倍政権から強い賃上げ要請を受けて実現した側面もあり、「官制春闘」として揶揄されてきました。実際、春闘での賃上げ状況をみると、年齢や勤続年数に応じて上昇していく「定期昇給部分」が大部分であり、賃金の支給水準を底上げする「ベースアップ部分」はわずかに過ぎません。毎月支払われる月給については、増えたとはいえ、労働者が実感できるほどの増加ではなかったといえます。

それでは、今年の春闘では、労働者が実感できるほどの賃上げが期待できるのでしょうか。まずは、春闘を取り巻く環境をみてみましょう。
春闘の賃上げ率を話し合う際に重要となるのは、景気動向や雇用情勢、企業業績です。
日本経済については、緩やかに持ち直している状態にあります。株価が上昇するなどの明るい材料もあり、先行きについても持ち直しが続くと期待されています。
雇用情勢については、失業率は3%程度の低水準にあり、労働需給はタイトな状態にあります。また、有効求人倍率など、一部の指標はバブル期並みに改善しています。こうした中で、深刻な人手不足に悩んでいる業種もあります。
企業業績の改善も続いています。2016年度上期には、海外経済の減速や、円高などから企業業績は悪化しました。しかし、すでに最悪期を脱して、改善に向かっています。これは、国内景気が緩やかに持ち直していることに加え、海外経済の回復を背景に輸出が増えてきたことや、昨年秋以降に円安が進んだことで輸出企業の業績が改善してきたためです。業種によってばらつきはありますが、今年度の企業業績は決して悪くはありません。
このように、2017年の春闘では、賃金が上昇しやすい条件が整っているといえます。

しかし、そう簡単にはいきそうにありません。むしろ、賃上げ率の伸びは2016年の実績を下回る可能性が高そうです。
まず、労働者側の代表である連合の要求をみると、引き続き「月例賃金」、いわゆる月給の引き上げにこだわっていくとして、「定期昇給2%とベースアップ2%の計4%程度の賃上げ」を求めています。
これに対して、経営者側の代表である経団連は、デフレ脱却のためには賃上げが必要とし、賃金を引き上げていく方針を示しています。ただし、ボーナスを中心とした「年収ベース」での賃上げであり、「ベースアップ」については慎重な姿勢です。
同じ賃金ですが、なぜ、両者の意見は違うのでしょうか。
これは、月給による引き上げが、将来にわたって支払いが約束された所得であるのに対し、ボーナスは、企業業績が悪化すると支払われない可能性もある不安定な所得であるためです。労働者側が安定した所得を得たいのに対し、経営者側は「いざという時」、たとえば景気や企業業績が急速に悪化した場合に、引き下げられるボーナスの支給割合を、できるだけ増やしておきたいという思惑があります。

2017年の春闘において、この「いざという時」として懸念されているのが、米国のトランプ大統領の政策による企業業績への影響です。
トランプ大統領は就任後、「米国第一」を掲げ、米国にとって有利な政策を進めようとしています。たとえば、対日貿易赤字の大きさを指摘し、日本の自動車産業を批判するなど、保護主義的な姿勢を鮮明にしています。こうした姿勢がさらに強まり、日米間での貿易摩擦に発展したり、円安批判によって急速に円高が進むといったリスクがあります。
また、トランプ大統領の過激な政策、たとえば移民政策など、が政治的な混乱に発展し、それが米国経済を悪化させる懸念もあります。そうなれば、世界経済も悪化することになりかねません。
こうした企業業績にとって不透明な要因があるため、経営側としては、賃金を引き上げるにしても、業績が悪化すれば支払わなくても済むボーナスで対応したいと考えているのです。

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もっとも、企業は業績だけで賃金を決めている訳ではありません。賃金の改定にあたって、企業が最も重視した要素をみると、最近では▼「企業業績」や「世間相場」の割合が低下しています。業績にかかわらず安定的に労働力を確保したい、他の会社や他の業種の賃金動向を気にかけても仕方ない、との考え方が増えているのです。
▼代わって増えているのが、「労働力の確保・定着」を重視する割合です。春闘には賃金以外での争点もいくつかありますが、2017年に特に注目されているのが、長時間労働の是正への取り組みであり、まさに「労働力の確保・定着」と深く関係しています。
安倍政権では、働き方改革を政策の目玉のひとつとして取り上げており、「同一労働同一賃金」、「女性・若者が活躍しやすい環境整備」などと合わせて、「時間外労働の上限規制の在り方」など長時間労働の是正にも取り組もうとしています。

人手不足の状態で労働時間を短縮するのは、一見、矛盾したやり方に思えます。しかし、そうではありません。長時間労働に対する社会的な批判が高まっている状況下で、職場環境を改善しなければ、労働力を集められないリスクがあるからです。また、長時間労働を前提とした環境では、女性や高齢者の労働参加を促すことはできません。

もっとも、単純に労働時間を削減すれば、それで済む問題ではありません。企業にとってみれば、利益を失うリスクがあります。また、労働者側にも、労働時間が短くなれば、残業手当なども含めて、賃金カットにつながるとの不安感があります。
そこで必要となってくるのが「生産性の向上」、すなわち、これまでと同じ仕事量を、短い時間で、いかに効率よくこなすか、という取り組みです。
労働時間が減れば、労働者にとって、労働意欲が高まる効果や、育児や介護に時間を使うことが可能となるメリットがあります。また、働きやすい職場環境が整えば、企業も、多くの労働者を集め、収益を増やすことができるようになるでしょう。
賃金については両者の主張に隔たりがありますが、長時間労働の是正ついては、意見が一致しています。

今回の春闘で、双方から建設的な意見が持ち寄られ、生産性向上に向けた取り組みが推進されることになれば、いずれは賃金を引き上げる要因となっていくと期待されます。

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