NHK 解説委員室

解説アーカイブス これまでの解説記事

「アスベスト被害 隙間のない救済を」(視点・論点)

東京工業大学教授 村山 武彦

職場でアスベストを吸い込み、肺がんや中皮腫などになったとして、平成27年度に、労災認定を受けたり、すでに亡くなっていて、遺族が補償を受けたりした人は、1033人に上ったことが、昨年12月の厚生労働省の発表でわかりました。
前年度より47人少なくなったものの、依然として1000人を上回る数字となっています。平成27年に事故による労働災害で亡くなった人が972人であることから、ほぼ同等の数の労働者がアスベストによる被害を受けていることになります。

19世紀の後半からアスベストの使用が始まった欧米では被害者の数がいまだに増加しています。アスベストは健康被害が出るまでに30年から50年、さらにはそれ以上の長い潜伏期間があることから、過去に飛散したアスベストによる影響が今後顕在化することが十分に考えられます。
兵庫県尼崎市にあったクボタの工場周辺で、平成17年に中皮腫患者が多数見つかったことがきっかけとなり、政府は「隙間のない救済」を掲げて被害者の救済を進めてきました。あれから10年が経ち、救済は隙間なく進んでいるのかについて考えます。
アスベスト被害を救済する取り組みとして、労働者を対象にした労災保険による補償と、主として一般の住民を対象とした石綿健康被害救済制度の二つがあります。
労災補償制度は本人だけでなく遺族補償を含めており、比較的充実した内容となっていますが、アスベストによって肺がんや中皮腫になっても、補償を申請していなかったり、申請しても認定されない場合があります。原因の一つとして、過去の作業の記録が残っていないことが挙げられますが、その他に、アスベストへのばく露の機会が実に多様であることがあります。

s170208_1.png

この図は、平成17年度から27年度に厚生労働省が発表した資料をもとに、労災認定を受けた労働者数を作業別に示したものです。作業の形態によって3つに色分けしました。
緑色で示したのはアスベストの吹付けやスレートをはじめとする石綿セメント製品の製造など、アスベスト製品の製造や使用に直接関わる作業です。これ以上に多いのが青色で示している作業で、製品の製造過程で材料の一つとしてアスベストが含まれていた場合です。
さらに注目していただきたいのはオレンジ色の作業で、アスベスト製品に直接かかわりを持っていなくても、これらの作業現場の周辺に滞在して間接的にアスベスト汚染を受けていたり、アスベストの吹付けがある倉庫や部屋の中で作業をしていたことで被害を受けている事例が少なくないことです。
数十年も前の作業のことを思い出すだけでも難しいことですが、直接アスベスト製品に触れていない場合には、身のまわりで関連した作業がなかったか探っていかなければなりません。病気を患った本人や肉親を失った遺族がこうした原因の特定を進めていくことは大変厳しいものがあります。アスベスト被害の特殊性を踏まえた公的な支援体制の充実が求められます。
一方、石綿健康被害救済法はアスベストによる被害を労働者に限らず広く救済する目的で制定されました。これは、平成17年に兵庫県尼崎市にあった工場周辺で中皮腫患者が多数見つかったことがきっかけとなり、問題の発覚から1年弱という異例のスピードで成立したものです。
この法律の施行から10年が経ちますが、現状では本来の救済には程遠く、隙間が多い状況にあると言わざるを得ません。一つには、認定率の問題があります。

s170208_5.png

この図は、石綿健康被害救済法を通じて中皮腫や肺がんによって認定された割合を労災補償と比較したものです。中皮腫については、労災補償に比べてやや割合が低いものの、9割弱が認定されています。これに対し、肺がんの場合は申請件数に対する認定率が6割弱にとどまっていて、労災補償に比べて3割近い開きがあります。
肺がんの場合は原因が多様であるため認定が難しいことは確かですが、制度の違いだけで認定の度合いが大きく異なることは問題です。外国と比較しても認定率が低い傾向にあり、早期の改善が求められます。
さらに、石綿救済法の存在自体が十分に周知されていないという問題もあります。自分の病気とアスベストばく露との関係を突き止めるのは、労働者の場合でさえも難しいものがあります。ましてや、一般市民の場合は、原因の特定がさらに困難になります。
この救済法を運営している環境再生保全機構では、これまでに認定を受けた人々を対象にばく露状況調査を行い、健康被害の原因の特徴を調べようとしていますが、こうした取り組みをより充実させることにより、申請を待つのではなく、被害の可能性のある地域や人々に積極的に働きかけていく姿勢が求められます。
こうした認定の範囲の問題とともに、救済の程度も大きな課題として挙げられます。

s170208_7.png

この図は、アスベスト被害の救済の状況を示したものです。横の方向は労災補償や石綿救済法で認定される人々の範囲を示し、縦の方向はそれぞれの制度による救済の程度を表しています。
先ほどお話ししたように、認定される人々の範囲に隙間があり、労災補償でも本来対象となるべき労働者が申請していないケースが考えられますし、石綿救済法でも認定率が低かったり、周知が十分でないのが現状です。
また、アスベストに関連した作業を行っていた労働者が、石綿救済法で認定されているケースがみられます。この原因として、認定基準の厳格さや手続きの煩雑さなどが挙げられますが、本来、労災補償で認定されていくべきと考えます。
一方、縦の方向で示した救済の程度については、2つの制度の間で大きな開きがあります。労災補償の場合は、病気やケガに対する本人への年金のほか遺族に対する年金を含めた給付などがあります。これに対し、石綿救済法の場合は医療支援の色彩が強く遺族に対しても少額の一時金のみです。
果たしてこれで救済と呼べるのか、改めて考える必要があります。労災補償を含めたこれまでの認定事例を通じてアスベストばく露の原因特定を進めるとともに、アスベストによる被害を受けた人々の声に耳を傾け、必要とされている救済の手段を考えていくことが重要だと思います。
最近の報道では、アスベスト被害に対する国の責任を認めた、最高裁判決に基づく国の賠償金支払いの説明資料を元労働者に直接送付しているのは、対象になるとみられる34の労働局の中で、佐賀労働局のみであることがわかりました。これは、救済を進めようとする動きに大きく逆行するものであるといえます。
アスベストはその有用性から奇跡の鉱物と呼ばれ最盛期には3000種類もの材料や製品に使用されたといわれています。それにより、社会生活のありとあらゆる場面に浸透したことで、被害が様々な形で顕在化しつつあります。
社会を底辺から広く支えてきたアスベストがもたらした問題であるからこそ、被害の救済を社会全体の問題としてとらえ、10年前に政府が示した「隙間のない救済」が実現されるべきだと考えます。

キーワード

関連記事