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「料理する意味」(視点・論点)

料理研究家 土井 善晴

今日は「料理する意味」について、お話しさせていただきます。
私たちは日頃、「食べること」の大切さを語ることはありますが、食べ物を作る「料理する」という行為については、あまり深く意味を考えたことがないように思います。
私たちの身体を養うお料理は、つい健康や栄養的観点を考えがちですが、私たちは栄養のみを食べているわけではありません。もし、そうであれば、健康食品やサプリメントですませば、よいことになります。中食と言われる手作りのおそうざいや加工食品、外食は、空腹が満たされ便利さや楽しさがあってたまには良いですが、それが毎日では問題もあり、こればかりでよいとは、思いません。不思議なことですが、言うまでもなく、私たちは「手作りの家庭料理が一番いい」ということをなぜか知っているのです。そして、それはけして間違いではありません。

我が家は一階を仕事場にしています。料理の仕事をしていますから、なにかしら、うちには食べるものがあるのです。仕事で作った料理は、撮影が終わってから、みんなで食べたり、お客様に全部持って帰ってもらいます。
クラブ活動から、お腹をすかして帰ってきた娘の晩ごはん。
私など、仕事の料理を適当に盛り合わせて食べさせればいいと、思っていたのです。でも妻は、娘の『ただいまー』の声を聞いてから、いつも料理をしたのです。仕事で作ったご馳走と妻がその場で作った料理は、同じものでしょうか。・ ・ まったく違うものですね。
娘は、着替えながら、台所で料理する音を聞いて、お料理ができる匂いをかいで、母親が
料理をしている気配を感じていたことでしょう。まさに、料理は愛情です。
彼女は、どれほど帰ってきてホッとしたことでしょう。どれだけ安心できたことでしょう。今、私は遅ればせながら、その意味を理解して、妻に感謝しています。
妻は料理することで、[ 子供の居場所 ] を作っていたのです。私と一緒に仕事をしながら、すごく忙しいのに、なぜそうしたのか。
現代の合理精神では、説明しにくいところです。無条件で料理を作ってやりたかった、としか言えないところに、「料理する意味」の本質があるように思います。
だから、若い夫婦が、よい家庭を築きたいと願えば、多くの女性は、しっかり料理を
がんばって作ろうと決心するし、一人暮らしであっても、料理すれば正しく生きていると、自信が持てるのです。

「人間は料理することで人間になった」とハーバード大学のリチャードランガム博士は、「火の賜物」という著書で語っています。だとすれば、料理するという行為はすでに、人間として、人間らしく生きることに含まれている、ことになります。
調理は外部消化と言われるのですが、食べ物を柔らかくして噛みやすく、消化しやすくします。それによって、人間の顎や消化器は小さくなり、効率よく合理化したおかげで、余ったエネルギーで、脳を発達させ、また、「余暇」という動物にはない特別な時間を持ったのです。自由な時間を持った時、人間は何をしたのかと考えています。人間の命の働きが愛情である以上、人間は、自分以外の、人のためになることを、何かしたのだろうと思うのです。愛情をもって、家族が喜ぶことをする、時間ができたのです。
「料理することはすでに愛している。食べることはすでに愛されている」。余暇を持つことで、料理するという行為に、情緒的な潤いができたのです。

私は、「料理する」「料理を食べる」という行為の周辺にあるさまざまな心地良さを、
「原生的幸福感」と言っています。ちなみに、現代社会のお金と交換される幸せは ▼
「人工的幸福感」です。どこの家族にでも普通にあるべき「原生的幸福感」がともなわないと、いくらお金があっても幸福にはなれないものでしょう。
すべての生物が動くのは、食べものを得るためです。食事には、生きるための大切な要素が含まれていることは、間違いありません。ものを食べるとなると、必ず一定の行動がともないます。そんな食べるための行為のすべてを「食事」と 言います。生きるためには 身体を動かし、立ち上がり、手を働かせ、肉体を使って食べなければなりません。ゆえに、「生きることの 原点となる 食事的行動には、様々な知能や技術を養う学習機能が組み込まれている」のです。それは人間の根源的な生きる力となるものです。

食を中心に考えますと、「人生とは、食べるために人と関わり、働き、料理して、食べさせ、伝え、教育して、家族を育て、命をつなぐことです。」料理することは人間として生きるためには欠かせないものですが、今、私たちのいる現代の日本では、必ずしも料理しなくてもよくなりました。できあがった料理を手軽に買い求めて食べることで、「料理する」を省略できるからです。
となると、人間は食べるために 必然であった行動を 捨てることになります。「行動」と「食べる」の連動性 がなくなれば、生きるための 学習機能を 失うことになります。行動して食べることが心を育てると考えれば、大いに心の発達やバランスを崩すことになってしまいます。

『このお芋 なんか おいしいねー』といつもは黙っている子供が言うのです。『あんたよう分かるねー。おばあちゃんが「掘り立てや」言うて、送ってきてくれたんよ。おいしいやろ。』と、なんでもない親子の会話。家庭には、こういった [日常のやり取り]の中に、とても 大切な情報の交換があるのです。親が料理することで、子供は 多くのことを「見聞き」しています。

家庭料理は、自然や季節とつながる食材、調理する余裕、時間、作り手の気持ちの有り様、家族の状況など、さまざまな事情を原因にして作られます。家族は、出来上がったお料理を食べるにしても、料理の向こう側にあるものを感じながら、食べているのです。目には見えないものも、無意識のうちに感じ、経験しているのです。
正しい原因によって日々繰り返される家庭料理は、生きる経験です。その経験によって、本質を見て 判断する基準 「定数の一という経験値」 を身につけていくのです。子供達は大人になって社会に出れば、あらゆることを 判断しなければならないのです。しかし、初めてのことでも、身につけた無限大の「定数の一」を基準にして、正しい判断ができるのです。それが直観力です。

カンのいい人がいます。なんとなくこっちのお店の方が美味しそうだとわかるのです。同じ一枚の写真を見ても、そこには写ってないものまで気づく人がいます。料理屋では、小さなことに気づいて 喜んでくれるお客様を、「もの喜びできる人」と言いました。とても素敵な人です。相手の気持ちがわかる人は、思いやりがある人です。気づくことは閃きに通じ、幸せになる力です。また、それは、人を幸せにする力となることでしょう。
家庭料理は大人の責任です。毎日ご馳走である必要などありません。家庭料理は自分の都合で、『 今日はお休み 』とは言えなのです。だから、「毎日食べても 飽きないもの」、また、「持続可能なもの」でなければなりません。ですから、毎日一汁一菜、ご飯と具沢山の味噌汁で、大丈夫です。「簡単なことをていねいに」手作りすることが、一番大切なことと
考えています。
毎日の営みである食事には、人間の根源的な生きる力を養う力があるのです。

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