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「ハートマークの不思議」(視点・論点)

東京経済大学 教授 関沢 英彦

バレンタインデーが近づいたからでしょうか、街にハートのマークが増えました。それにしても、あの単純な形は、どこにあっても目立ちます。
考えてみると、不思議です。血液のポンプである心臓が、どうして愛の象徴になったのでしょうか。

確かに好きな人の前ではドキドキします。心臓は、心に関わりがあると昔の人が考えたのも納得できる話です。実際、心という漢字は、心臓の形にもとづいているといわれます。
インターネットの画像検索で、検索語に心臓と入れると、臓器としての心臓の画像が出てきます。ハートと入れると、あのマークが出ます。
一方、英語の検索サイトで、ハートと入力しますと、心臓とマークの両方が出ます。面白いのは、その中間の形が見られることです。
心臓に天使のような羽がついていたり、炎に包まれていたり、三次元の奥行きのある心臓から、二次元のハートのマークに移り変わる途中の姿が見られます。
ちなみにハートのマークは、古代からあったようです。ただ、その頃は、植物の葉っぱや杯の形を示したものでした。日本の古い建物などでもハート形が見られますが、これは、イノシシの目を表した猪目模様と呼ばれています。

さて、心臓をもとにつくられた愛のイメージを伝えるハートマークは、ヨーロッパの中世に源があるようです。
修道院の修道女が、イエスキリストと心臓を交換したといった幻想的な体験をしています。心臓が、信仰と愛を表すようになったのです。
ニューヨークのメトロポリタン美術館にあるジョバンニ・ディ・パオロが描いた聖カタリナの絵を見ると、イエスに差し出すために彼女が右手に持つ心臓は、まるで天の神と心を通わせるための赤い携帯電話のようにも見えます。
この絵では、心臓も、もうすでにいまのハートマークを思わせるシンプルな形に描かれています。
当時は、こうした宗教画だけでなく、宮廷を描いた物語にも、騎士が貴婦人に愛を告白するために、自分の心臓を取り出す挿絵などが見られます。一般的には、15世紀以降には、心臓を描くときは、いまのハート形で表現されるようです。

では、こうしたヨーロッパのハートの形は、いつ、日本に入ってきたのでしょうか。いうまでもなく、キリスト教とともに伝わってきました。
神戸市立博物館に聖フランシスコザビエルを描いた絵があります。日本にキリスト教を伝えた宣教師として有名です。
江戸時代の初期に日本人絵師によって描かれたといわれますが、天を見上げるザビエルの右手には、心臓があります。いまのハートマークと同じような形をしていますが、ヒゲのように炎がハートから飛び出ているのが特徴です。
さて、明治になります。鹿鳴館のサロンでは、トランプで遊んでいる人もいました。当然、ハートの札も使われていたわけです。
明治34年、与謝野晶子(よさのあきこ)の歌集「みだれ髪」が出版されます。表紙のデザインは、藤島武二です。
女性の横顔が描かれたハートを矢が射貫いています。そこから、歌がこぼれ落ちてくるという絵柄です。
ハートの描かれた歌集の中身は、やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君 といった恋の歌であることはご承知の通りです。
明治40年には、フランスの小説を翻案した「家庭小説・小さなハート」といった本も出版されました。同じ年には、宮武外骨が、「教育画報ハート」という雑誌を出しています。
雑誌の表紙には、大きな赤いハートが描かれていて、英語とカタカナでハート、漢字で心と書かれています。前書きでは、子供の好奇心を高めるのが目的だといっています。
その翌年に出た小学生のための図画工作の本にも、絵のお手本としてハートが載っています。
明治も40年、ハートは言葉としても絵柄としても、すっかり日本に定着したようです。
明治42年8月20日の朝日新聞には、面白い記事が載っています。「ハート形の看板」という見出しです。記事は、次のように始まります。
「芝柴井町の電車停車場で降りると西側の小さな路次の入口にハート形の赤い看板が眼に付く」
芝柴井町とは現在の港区、新橋駅からも近いあたりです。赤いハートマークは、当時の言葉で「結婚媒介所」の看板でありました。
記事は次のように続きます。体を横にしないと通れないような狭い路地の奥で、「ごめんなさい」というと、30代半ばの主人が出てきます。
上り口に座ったまま、住所、年収など16項目以上を書き込むと、写真を見せてくれます。
「二十歳前の素敵にハイカラなのがあった」ので、どういう人ですかと記者が問うと、「それは収入の多い学士か財産家へ行きたいと云ふのですからあなたには無理です」といわれてしまうという記事です。
なんだか、身につまされる記事ですね。
こうして明治時代には定着したハートマーク。第二次大戦後は、バレンタインデーとともに、商業的に使われるようになります。
1968年、昭和43年の新語には、「それでバレンタインハートになっちゃったの」といった表現が登場しています。もちろん、ハートに矢が刺さったという意味です。
興味深いのは、1980年代の後半からは企業、行政機関、福祉施設が、ハート何何という形で、ハートという言葉を頻繁に使うようになったことでしょう。
あなたのお住まいの近くにも、そうした施設があるはずです。ハートフル、ハートピアといった和製英語とともに、ハートマークがついている施設です。
2000年代、駅などの公共施設に普及したAED(自動体外式除細動器)は、ハートマークに電気を示す稲妻が描かれています。こちらの場合は、明確に心臓を表して、マークの役割も明解です。
ところが、ハートフル何とかという公共施設などの場合は、愛に満ちたとか、触れ合いのあるといった漠然としたイメージを与えるために、ハートマークが使われている例だと言えます。

さて、最後に神社とハートマークの関係を見ておきましょう。1989年、平成に入った頃から、神社のお守りや絵馬にハートが使われるようになっていきます。
いまや、鳥居にハートの形をした石が掲げられ、そこに神社名が書かれているところまであります。神社側の見解としては、すでにハートは一般的なマークであるということです。
神社とハートが近づくにつれて、植物や動物にハートの形を発見したという話題も増えていきます。ハート形のしいたけ、切り口がハートの竹、ハートの模様が見える牛、馬、キリンなど、毎年、全国のどこかでこうした話題が出て、地域は盛り上がっています。
吉祥図案という考え方があります。吉祥天女の吉祥です。おめでたいことを示す絵柄で、元々、中国古代の陰陽五行説に基づいています。
植物や動物にハートの模様を発見して喜ぶのは、こうした吉祥図案のひとつにハートがなったからともいえます。良いことの知らせ、瑞兆としてのハートになったのです。
信仰や愛の象徴であるハートのマークは、幸運を呼ぶお守りみたいな存在になりました。西洋から東洋へとハートマークは長い旅をしてきたのです。
バレンタイン、ハートマークに何となく、心がワクワクします。あのシンプルなデザインが、人の心を動かす。イメージというのは、不思議なものです。

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