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「韓国大統領 弾劾の背景と今後の行方」(視点・論点)

早稲田大学大学院 教授 李 鍾元

去る12月9日に、韓国のパク・クネ大統領の弾劾訴追案が国会で可決されました。それによって、その日からパク大統領の職務は停止し、国務総理が代行する体制になりました。

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これからは憲法裁判所が審理し、180日、すなわち6カ月以内に判決を下すことになります。もし弾劾が認められれば、1987年の民主化以後、初めて任期を全うできず、途中で失職する大統領になります。

そもそもパク大統領を弾劾訴追に追い込んだのは、毎週のように続けられた市民の大規模な抗議集会でした。市民の声が政治の思惑や駆け引きを圧倒して、国会での弾劾可決を導く原動力になりました。
その意味で、今回の事態については、韓国政治に残る「旧い体制」(アンシャンレジーム)と、民主化以後の「新しい世代」との衝突という側面に注目する必要があると思います。政治と大企業の癒着、権力に服従する官僚など、開発独裁時代以来の旧い構造や体質の問題が、一連のスキャンダルによって、ドラマチックな形で明らかになりました。その「旧い体制」の不正と不条理に対して、民主化以後に成人した「新しい世代」は愕然とし、その責任の追及と、旧体制の改革を求めているのであります。

1987年に、韓国は学生と市民の力で独裁政治に終止符を打ちました。大統領の直接選挙や任期制限を設けた憲法を制定するなど、制度的な面では民主主義がある程度定着しました。
その半面、政治の実態においては、権威主義的な意識や構造が残っているのも事実です。強大な大統領の権力、それに群がる様々な利権の追求で、民主化以後も、歴代大統領がほぼ例外なく、側近や親族が絡んだ不正で汚点を残しました。その意味で、今回の「チェ・スンシル・ゲート」、パク大統領の知人女性による一連の疑惑はとくに目新しいことではない、ともいえます。

では、なぜ今回は大統領の辞任を求める大規模な市民の抗議運動にまで発展したのか。今回の事態の特徴として、私は二つの点を指摘できると思います。
まず、第一に、パク・クネ大統領との特殊な関係を土台に、問題となっているチェ・スンシル氏の国政介入や不正が広範囲にわたり、また、その実態に不可解な点が多いという点です。事実関係の解明は、特別検察の捜査や裁判を待たなければなりませんが、チェ・スンシル氏は、資金の不正取得にとどまらず、政府の人事や政策にまで深く関与した疑いが持たれています。公的な経歴を持たない一民間人がこれほどまでに国政に介入したことは、韓国の政治でも前例がありません。しかも、その個人の背景や関係性が不透明であります。チェ・氏の指示を仰ぎ、その利益のために、大統領府をはじめ政府の高官が奔走する姿が明るみに出るにつれ、パク大統領に対する信頼が一気に崩れたのであります。

もう一つは、パク・クネ大統領の政治スタイルそのものが問題の中心にあるという点です。パク大統領は就任当初から「不通」(通じない、韓国語でブルトン)、すなわちコミュニケーションを取らない、あるいは取れない、という批判が付きまといました。国民やメディアとの「対話」と「接触」は少なく、演出された場での発信だけが頻繁に行われました。政権内部でも大統領を交えた論議はほとんどなく、基本的に「指示」による統治であったようです。

両親をともに政治的暗殺で亡くしたトラウマに起因する性格上の問題という説明もありますが、統治のあり方としては、権威主義的な側面が際立ちました。政権がスタートした直後から、例えば、2012年大統領選挙に対する情報機関の関与疑惑、その捜査を指揮した検察総長への圧力と辞任、チェ・スンシルの元夫でパク大統領の秘書だったチョン・ユンフェ氏に関わる疑惑を調査した大統領秘書官の解任と逮捕など、強権的な行動が相次ぎました。与党内でもパク・クネ大統領に批判的な人は排除されました。こうした一連の事態に対して、国民の間で不信感が募っていましたが、それが「チェ・スンシル・ゲート」が起爆剤となって一挙に噴出したともいえます。

パク・クネ政権の統治は権威主義時代に逆戻りした感がありましたが、一方で、韓国社会は大きく変わりました。今回の抗議運動の中心をなしているのは、40代以下の若い世代です。彼らは基本的に1987年の民主化以後に生まれたか、成人した人たちで、政治的にも、社会・文化的にも、脱権威主義化が進んでいる世代です。11月末にパク大統領の支持率が4%という歴代最低の水準に急落した時に、20代と30代は0%だった事実は象徴的です。また、彼らは大学進学率が60%から80%に上昇した時代の産物でもあります。
新しい民主化世代の特徴は、抗議集会の形態にもよく表れています。毎週のように、数十万の市民が集会を開きながら、警察との衝突もなく、平和的に抗議を続けることは容易ではありません。私自身、ソウル出張の際に抗議集会の現場に居合わせて、秩序の維持や過激な言動の自制を互いに呼びかける市民たちの姿を直接見ることができました。1970年代や80年代の激しいデモからは大きく様変わりしていました。
大規模の抗議集会が続くことは、確かに政治的混乱ではありますが、韓国内では、その平和的な側面を強調して、民主化の新たな段階として積極的に評価する見方が一般的です。弾劾の要求もシステムそのものを壊す行動ではなく、憲法の枠組みの中で問題を解決しようとする試みと位置付けることができます。

問題はこれからです。憲法裁判所での審理には時間がかかります。一連の疑惑に対して、パク・クネ大統領は道義的責任を認めつつも、法的には全面的に争う姿勢を明確にしています。この法的な攻防が続く間に、市民は忍耐強く判決を待つことができるのか。もし保守的な憲法裁判所が弾劾を棄却した場合、世論の反発はどのような形で、どこに向かうのか。難しい状況が前途に待ち構えています。
いずれにせよ早期の大統領選挙実施の可能性が高まり、政界再編にも拍車がかかります。政治の思惑が絡んだ離合集散の中で、果たして野党をはじめ、政治は「旧い体制」の清算と改革という市民の要求に応えることができるのか。韓国の政治と民主主義は大きな岐路に立たされています。

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