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「アメリカと反知性主義」(視点・論点)

国際基督教大学 副学長 森本 あんり

ここ数年、日本でも「反知性主義」という言葉が聞かれるようになりました。「反知性主義」は、しばしば相手に知性が欠けていることを批判する言葉として使われます。政治の世界でも、過激な発言をする候補者に引きつけられて、人びとが理性的な判断をせずに投票することが、反知性主義の表れと見なされてきました。イギリスのEU離脱や、アメリカの大統領選挙に、このような風潮を見ることができます。
今日は、この反知性主義という言葉の由来を振り返り、それが現代の社会にどのような形で現れているか、そしてそれは今後の世界にどのような影響を与えるのか、その行方を考えたいと思います。

反知性主義という言葉が最初に使われるようになったのは、20世紀の半ばです。当時アメリカでは、知的な指導者や政治家を標的にして糾弾する「マッカーシズム」の嵐が吹き荒れていました。その時の大統領選挙でも、今回と同じような番狂わせの結果が生じています。知性も実績もある民主党の候補者に対して、大衆的な人気はあるけれども政治経験に乏しい共和党の候補者が予想外の当選を果たしたのです。伝統的にアメリカの大統領は、たんに頭がよい、というだけではなれません。というより、目から鼻へ抜けるような知的エリートは、敬遠される傾向にあります。2000年の選挙で、ハーバード大学を卒業した知性派のアル・ゴアではなく、気さくな雰囲気のジョージ・W・ブッシュが選ばれたのも、その一例です。
こうした反知性主義の歴史的な出発点に、アメリカ文化の底流をなすピューリタニズムの、極端な知性主義があります。キリスト教の流れの中では、カトリック教会がミサなどの儀式を中心とするのに対して、プロテスタント教会は、聖書の言葉を解説する説教が中心になります。アメリカに渡ったピューリタンは、このことを特に重視したため、当時としては例外的なほど、大学卒業者と識字者が多い社会になりました。入植後わずか6年で創立に至ったハーバード大学は、その象徴です。
しかし、すべての人がそのような知的水準についてゆけるわけではありません。世代が変わり、新たな移民が増加するにつれて、社会的な権威と結びついていた当時の知的指導者に対する反発が強まってゆきます。この反発のリーダーとなったのが、教育はないけれども信仰には熱心な、素人のキリスト教伝道者たちでした。大学出のインテリ牧師と違って、彼らの話はわかりやすくて面白かったので、人びとは現代のエンターテインメントを楽しむように、喜んで彼らの話を聞きに集まりました。

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ここに、そういう集会の様子を描いた18世紀の絵があります。森の中に、たくさんの人が集まっています。中央には、にわか作りの説教壇があり、素人の説教者が熱心に話しています。回りの人びとは、感動して祈っている人もあれば、寝ている人もあり、おしゃべりに夢中の人もあれば、犬もうろついている。とにかく大騒ぎになっています。
問題は、なぜこの集会が森の中で行われているか、ということです。キリスト教の集会なら、教会でやればよいでしょう。しかし、それはできなかった。なぜなら、教会は既成の権威ある知的な牧師たちが管理していて、このような無秩序の集会を批判的に見ていたからです。しかし、素人伝道者は、胸を張って彼らに言い返します。信仰は、学のあるなしではない。むしろ、聖書の中でイエスが批判したのは、「学者・パリサイ人のたぐい」、つまりあなたがたのような人のことではないか!――これが、反知性主義の決め台詞になります。つまり、反知性主義とは、神の前の平等という宗教的な確信を拠り所として、地上の権威に異議申し立てをする精神です。
もともと、知性は権力と結びつきやすく、ひとたび権力と結びついた知性は、その権力を使って自分の地位を守り続けようとします。つまり、知性は固定化します。特定大学の出身者が常に高い地位に就く、あるいは学歴の高い家庭の子どもが、親と同じようによい教育を受けて知的エリートになる。そうすると、富や権力だけでなく、知性も世代を超えて固定化し、特権階級が生まれます。
反知性主義は、こうした知性と権力との結びつきに対する反発です。その反発の矛先は、知性そのものではなく、権力と結びついて固まってしまった「知性主義」に向けられています。「反・知性」ではなく、「反・知性主義」です。したがってそれは、旧来の知性を拒否して、新たな知の枠組みを作る原動力にもなります。社会の刷新につながる可能性もあります。アメリカ社会のダイナミックな流動性と新しいものを生み出す創造力は、このような反知性主義の運動に負うところがあります。

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では、今日それはどのような形で見られるのでしょうか。この写真を見てください。これは、現代のメガチャーチ、すなわち巨大教会の一つです。みなさんがアメリカに旅行なさったとき、ホテルに着いてテレビのスイッチを入れると、それがいつ、どこであっても、必ずどこかのチャンネルでこういう番組が放映されているのをご覧になると思います。これは、実は先ほどお見せした森の中のキャンプミーティングの現代版にすぎません。規模や道具立てこそ違いますが、内容は同じで、手法も同じです。そして、アメリカでは、宗教だけでなく政治も同じ手法をとります。宗教も政治も、大衆の心を掴んで動員する、という点では目的が同じだからです。大統領選挙をめぐる大がかりな党大会が、日本ではけっして見られないほどの熱気や興奮に包まれているのも、同じ理由です。
今回のアメリカ大統領選挙は、多くの人を驚かせる結果になりました。その背景にはさまざまな原因があるでしょうが、ワシントンの政治家やウォール街の大企業といった、いわゆる「エスタブリッシュメント」に対する反発もその一つでした。アメリカは、政治においても宗教においても、ヨーロッパという旧世界への異議申し立てによって作られてきた国です。既成の権威に対する反発は、建国以来の伝統とも言えるでしょう。
しかし、反知性主義をテコにして古い権威に挑戦し、その力で頂点へと上り詰めた者は、今度は自分自身がその同じ反発を受ける側に立ちます。そこではじめて、批判者ではなく、建設者としての力量が問われることになります。真の評価は、その後でなされるべきでしょう。果たして新しい大統領は、自らが壊した建物の廃墟の上に、新しい世界を建設することができるかどうか。アメリカ国内だけでなく、全世界が注目する歴史的な実験となりますが、それが世界の秩序にとって危険すぎるものとならないよう、切に願っています。

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