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「長時間労働規制の是正のあり方」(視点・論点)

同志社大学教授 土田 道夫
 
今年スタートした政府の「働き方改革実現会議」は、重要課題の一つとして、「時間外労働の上限規制の在り方など、長時間労働の是正」を掲げました。一方、厚生労働省が10月7日に公表した「平成28年版 過労死等防止対策白書」では、日本企業の正社員の長時間労働の実態が明らかになっています。最近でも、複数の過労死・過労自殺事案が報道されています。今回は、長時間労働の是正のあり方について考えてみたいと思います。

「労働時間・休日・休暇」については、労働基準法が1章を充てて詳細に規定し、法の規制が最も進んだ領域となっています。その趣旨は、労働者の生命・健康を保護することと、「仕事と生活の調和」(ワーク・ライフ・バランス)を保障することにあります。ところが実際には、法と現実は著しく乖離しています。

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「過労死等防止対策白書」によれば、正社員1人当たりの年間総実労働時間は2,000時間前後で高止まりし、年次有給休暇の取得率は長年、5割を下回る水準が続いています。また、1カ月間の残業時間が労災認定の目安となる80時間を超えた正社員がいる企業が2割を上回るという深刻な実態が明らかになっています。
こうした異常な長時間労働は、必然的に、労働者の過労死・過労自殺という悲惨な結果をもたらします。長時間労働には様々な要因がありますが、法律面の要因としては、労働基準法の規制の不備が挙げられます。労働基準法は、32条において1週40時間・1日8時間労働制の原則を定めた上、36条において、いわゆる36協定に基づく時間外労働を例外として規定し、37条で割増賃金支払義務を定めています。このように、時間外労働は本来は例外ですが、実際には恒常化し、労働時間の原則の形骸化をもたらしています。すなわち、労働基準法36条2項は、時間外労働の限度に関する基準(たとえば、1か月45時間)を定めていますが、これはあくまで行政指導の基準であり、企業等に対して法的な拘束力を持つ規定ではありません。しかも、「特別条項付き協定」というものによって、限度基準を超えて労働時間を延長することが許容され、労働時間の原則を空洞化させています。この点、多くのEU諸国が時間外労働の上限規制を設け、また、EU指令が1日(24時間)ごとの連続11時間の休息時間(インターバル規制)を設けていることと対照的です。

こうした状況を踏まえると、長時間労働の是正のあり方としては、何よりも、時間外労働の上限規制の強化が重要と考えられます。ところが、2015年に国会提出され、継続審議となっている労働基準法改正法案は、時間外労働の上限規制にはほとんど着手していません。ただし、同じく長時間労働の是正にとって有効な年次有給休暇について、年5日分につき使用者の時季指定による年休付与義務を定めたことは一歩前進と評価できます。

では、なぜ時間外労働の上限規制(またはEU指令のような最長労働時間規制)を進めるべきなのでしょうか。ここでは、・労働基準法の趣旨である「労働者の生命・健康の保護/仕事と生活の調和の促進」、・女性が活躍できる社会の構築、・ホワイトカラーの生産性の向上、という三つの視点から考えてみたいと思います。

まず、「労働者の生命・健康の保護/仕事と生活の調和の促進」という観点からは、時間外労働の上限規制の必要性は明らかです。異常な長時間労働を是正し、労働者の過労死・過労自殺を防ぐためには、時間外労働の数そのものをきちんと規制する必要があります。

次に、女性の活躍推進の観点からも同じことがいえます。育児・介護などの家庭責任が女性に偏りがちであるという現状を改め、女性の活躍を推進するためには、女性はもとより、男性についても、長時間残業しなくても十分能力を発揮し、仕事と生活を両立させつつ働くことができる環境を法的に整備していくことが重要です。そのためには、時間外労働の上限規制が有効です。政府は、女性活躍推進法を制定するなど様々な政策を展開していますが、それだけでは不十分であり、真に女性が活躍できる社会を構築するためには、実効的な長時間労働規制を進める必要があります。
さらに、長時間労働の是正は企業にとってもメリットがあります。特に、ホワイトカラーの生産性の向上という観点からは、時間外労働の上限規制は有効です。日本は、正社員が1時間当たりに産み出す付加価値指標で欧米を下回るなど生産性の面で劣ると指摘されています。長時間労働を是正し、短時間で成果を挙げる環境を整備することは、生産性向上の有力な方策と考えられます。

では、長時間労働を是正するためには、時間外労働の上限規制をどのような仕組みのものとすればよいのでしょうか。この点については、先に述べた労働基準法36条の時間外労働の限度基準(1か月45時間、2か月81時間、3か月120時間)を拘束力のある強行規定に改め、基準に反する36協定を無効とするといった強い効果を持たせる必要があります。規制の実効性を高めるため、罰則を設けることも必要でしょう。この点、「働き方改革実現会議」が「時間外労働の上限規制の在り方など、長時間労働の是正」を重要課題として掲げたことは一歩前進であり、国会・政府は、実効的な長時間労働規制を進める責任があります。 
なお、2015年の労働基準法改正法案は、労働時間規制の新たな例外として、高度プロフェッショナル制度(ホワイトカラー・エグゼンプション)という制度を盛り込んでいます。この制度は、高額の給与で研究開発業務などの専門的な仕事に従事する労働者に対して、年次有給休暇を除く労働時間規制の適用を除外する制度をいいますが、労働時間規制全体の適用除外を内容としているため、長時間労働の是正と矛盾すると指摘されることがあります。しかし、私は必ずしもそうは思いません。高度プロフェッショナル制度は、成果主義的で時間にとらわれない働き方に対応する新たな制度と評価できる一方、改正法案は、長時間労働防止措置の一つとして、EU指令に類似する休息時間規制を採用しています。高度プロフェッショナル制度については、この休息時間規制がきちんと機能することを前提に、高度専門職社員の自律的な働き方を促進する制度として評価できると考えます。
とはいえ、高度プロフェッショナル制度を進めるのであれば、それと同時に、あるいはそれより先に実行すべきは長時間労働の是正です。今日の日本では、不幸にも過労死・過労自殺が増加し、行政による労災認定や企業の損害賠償責任を肯定する裁判例が多数登場しています。しかし、それにどれほどの意味があるでしょうか。労災認定や巨額の損害賠償を得ても、愛する人は戻ってきません。

そうした事態になる前に、時間外労働の上限規制によって過労死・過労自殺を防ぎ、すべての人がワーク・ライフ・バランスの下で働くことのできる環境を整備することが不可欠と考えます。

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