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「地図の上の旅」(視点・論点)

地図研究家 エッセイスト 今尾 恵介

地図を眺めて「どこかへ行った気分」になったことはありますか? インターネットやスマホの時代になった今でも、旅行に出かける前には地図を見て、どんな所だろうかと想像を膨らますことは、多少の差はあれ、誰にでもあるのではないでしょうか。
思えば日本の小中学校では、全員もれなく地図帳が支給されます。

もちろんいろいろな店やマンションの名前が載ったような詳しいものではありませんが、日本全国はもちろん、世界各地の地形や地名を一覧することができますので、これを眺めながら、まだ行ったことのない地域に思いを馳せた経験のある人は少なくないでしょう。私も子供の頃に、日本列島がいくつも入りそうなアフリカの巨大なサハラ砂漠がどんな景色なのか、アマゾン川流域の広いジャングルの、スケールの大きな風景を、漠然と思い浮かべることがありました。

今日お話したいのは、もう少し詳しい地図ですが、地図の基礎となる存在、「地形図」です。日本で発行されるほとんどの地図の基礎を作っている官庁が、国土地理院ですが、私は中学生の頃から、その国土地理院が発行する「2万5千分の1地形図」を眺めるのが趣味でした。自宅の近くはもちろん、当時まだ行ったことのなかった北海道や沖縄の離島、ローカル線の終点近くの地形図など、さまざまな地域の地形図を買い込んでは、部屋でこれをひたすら眺めて、現地の風景を想像していました。
これは後で気付いたことですが、風景を想像するのに最も適した地図がこの「地形図」です。他の市街地図やネットの地図とどこが違うかといえば、「地形」と「植生」が載っていること、つまり、その土地がどんな形の起伏をもっているか、またどんな土地の使われ方をしているかが、一目瞭然に描いてあるからです。

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では、実際の地図を見てみましょう。これは岡山県美咲町の地図です。
地形は「等高線」……文字通り等しい高さを結んだ線ですが、これが各地の山や台地、窪地など、さまざまな地形を表現しています。また、植生については、「どこに何が生えているか、植えられているか」が記号で示してあります。

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例えば田んぼは青色の短い二本の線で表されます。これらの記号を見れば
ある場所が田んぼか畑か果樹園か、また森であるか空き地かなどの区別が、一目でわかります。これらの植生の記号と等高線を組み合わせ、さらに空想する力を働かせれば、地図の上から様々な風景がみえてきます。

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例えば地図のこの部分を見ると、自然の地形に沿って緩く波打った等高線と田んぼのマークが同居しています。じっと見ていると、そこには「斜面に開かれた古くからの棚田」という風景が見えてくるのです。

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もうひとつ地図をみてみましょう。
この静岡県の地図を見ると、海に面した等高線の間隔が密な斜面に果樹園の記号が並んでいます。すると、私にはどこまでも続くミカン畑から海を見下ろす絶景が眼に浮かぶのです。
もちろん、頭の中に景色を思い浮かべるためには、地形図の記号やその表現方法などを、ある程度は覚えなければなりません。しかし地形図というのは、元々ふつうの人が地形や田畑、集落、交通などの状況を、素直に読めるように工夫されていますので、ある程度慣れれば、小中学生でも簡単に読めるようになります。

先日、私は空想で地図の上の旅をするという本を書きました。これまで国内外の地形図をおそらく1万枚ほど集めてきましたが、それらの中から印象的な地形図、しかもまだ訪れたことのない地域の地形図を選んで、行ったこともないのに「ここから何が見える、見張らしがいい」などと、旅行者になりすまして書いた本なのですが、それができてしまうのが、地形図の良さだと思っています。
この本では、私がまだ一度も行ったことのないニュージーランドの小さな湖を訪ねる旅、バングラデシュの港町を散歩する話などの外国編に加えて、行けるはずのない戦前の日本も旅してみました。たとえば、東京都杉並区がまだ「東京府豊多摩郡」から東京市内に編入されてまだ日が浅く、新興住宅地として急速に発展した頃に、中央線の列車に乗った想定の話です。今では決して見られない相模ダムに沈む前の集落にも立ち寄りました。
草軽電鉄という軽便鉄道が走っていた軽井沢にも行きました。白樺林の中をのんびり走る小さな列車で、叔父の別荘を訪ねるという設定です。それから、東京の溜池交差点のあたりに、ホンモノの溜池の跡の湿地が残っていた明治時代の赤坂を訪ねる話、芥川龍之介の小説「トロッコ」に描かれた神奈川県の小田原から熱海を結んでいた大正時代の軽便鉄道もたどってみました。
それぞれの地域の昔の地形図を見れば、もちろん凝縮された形ですが、当時の風景がちゃんと保存されていますので、「見てきたような話」が書けたのです。明治・大正期の1万分の1地形図なら、大きな屋敷を囲んでいるのが築地塀か生垣か、それとも煉瓦塀かといった区別も記号でわかってしまいます。街の様子はある意味で半世紀前の高度成長期より、むしろ詳しく描かれていると言えるかもしれません。

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もちろん現在の地形図でも、行ったことのない土地の風景を想像することができます。インターネットで国土地理院の地形図が閲覧できるのです。「地理院地図」という名前で検索するとすぐでてきます。最初は日本列島全体が表示され、地名や施設名を入れると全国どこの地図でも見ることができます。以前なら日本中の4000枚以上の地形図を集めなければ不可能でしたが、今では全国各地の風景を、居ながらにして見られるようになりました。
ためしにご自宅のあたりを検索してみれば、初めてこの地図を見る人でも、どんな方法で土地を表現しているかがわかります。この地理院地図の表現方法に慣れたら、全国各地の好きな場所へ飛んでみましょう。
ずっとスクロールしていけば、北海道から沖縄まで切れ目なく、どこまででも行くことが出来ます。線路に沿ってたどれば、列車に乗っているような気持ちで、線路の左右に田んぼや畑、みかん山、竹藪、都市や農村集落、工場などが次々と現れては消えていき、険しい山が迫ってきたかと思えば、次は景色が海辺に変わったりと、変化に富んだ日本の風景を楽しめます。等高線が苦手という人でも、地形には影が付けられているので、凸凹の様子が一目でわかります。これらを各地で観察すれば、日本という国が、いかに多様な顔を持っているかが実感できることは間違いありません。
津々浦々を細かく見ていくと、たとえば山の斜面を高い所まで耕した段々畑が広がっていて、自動車ではたどり着けない細道が続いています。ここに住む、私がまだ会ったことのない住民の方は、この山道を毎日たどっているんだろうか、などと想像がふくらみます。山の集落には、たまに四角い空き地があって、細長い建物も見えますが、これはおそらく廃校で、以前はここに子供の声が響いていたのでしょう。
風景を思い描く練習を積み重ねていけば、だんだんお気に入りの場所が見えてくると思います。

うまく現地を想像できるようになれば、ガイドブックに導かれて有名な観光地へ行くのとは、またひと味違った旅行のプランも浮かんでくるのではないでしょうか。地形図を使って「空想の旅」のお薦め、でした。

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