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「よみがえれ 世界遺産・パルミラ」(視点・論点)

大阪教育大学 名誉教授 山田 勝久

9月にいったん停戦に入ったシリアでは、内戦が再び激しくなっています。去年5月には、シリアの世界遺産、パルミラが、IS、イスラミックステートによって制圧されました。ISは、イスラム教が存在する以前からある多神教の神殿を、偶像崇拝だと憎悪し、破壊。映像をインターネットで流しました。人類史に輝く遺産の破壊に、世界は驚き、悲しみました。文化財・遺跡の危機は、いまなお続いています。

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パルミラはシリア砂漠の中央にあるオアシスで、町の起源は古く、紀元前19世紀から早くも集落ができています。紀元前1世紀から紀元後3世紀まで、シルクロードの交易都市として栄え、ペルシャとギリシャと東洋の文化が、ダイナミックに交流した歴史舞台です。

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民族や言語や宗教が違っていても、住民はパルミラを愛し、石柱に刻まれた碑文、彫像の生き生きとした姿は、この地がロマンあふれる平和なオアシスであったことを示しています。

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私が初めてシルクロードを訪ねたのは、1979年の夏。これまで敦煌や楼蘭などに行きました。以来、中央アジアの歴史風土の重層性に心打たれ、調査を続けてきました。過去の遺物からは、未来の平和のための教訓を見出すことができます。きょうお話するパルミラは、そのシルクロードの西にあり、私は、2007年と2008年に訪れました。遺跡に立った時、あまりにも素晴らしい文化遺産に驚きました。胸をときめかせ、神殿や砦、列柱道路や凱旋門など、約2000枚の写真を撮りました。今まで、20か国60回のシルクロード調査を実施してきましたが、まさしくパルミラ遺跡は、私の人生にとって最高峰の調査の1つとなっています。
パルミラには各国から多くの商人が集っていたので、それぞれの宗教の神殿や祈祷所がありました。

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その代表的なものが、バールシャミン神殿です。町の中央に位置し、穀物の豊かさの源である雨の神を祀っており、西暦23年に建造が始まっています。

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町の東方にあったのが、ベル神殿です。本殿は西暦32年に建てられ、バビロニア人の神であるベルと、月の神、太陽の神を祀っています。

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本殿の壁と柱の高さは16メートルもあり、柱の上部の飾り模様などから古代オリエントとギリシャ・ローマの建築様式の融合を見ることができます。

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凱旋門、別名、記念門は町の東にあり、2世紀前後に建てられました。中央の大門と左右の小門からなり、高いところは約6メートル、建造当初はアーチの上に彫像が立っていました。

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この凱旋門には、西洋的な葡萄唐草文や東洋的な美しい幾何学模様などが描かれています。

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凱旋門をくぐり抜けると、まっすぐに幅11メートルの道路が1200メートルにわたって続いています。

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両脇に石柱が立ち並び、その直径は90センチ、高さは12メートルもあります。台座だけのものも含めると、その数およそ760本。柱の途中に出っ張り、台座があり、パルミラの発展に尽くした功労者や将軍、また、貴族や商人の彫像が乗っていました。石柱には、彼らを讃える言葉が、地元のパルミラ語だけでなくギリシャ語でも刻まれていました。

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列柱道路をさらに進むと、左手に円形劇場があり、右手に公衆浴場があります。
やがて、高くそびえる四面門を見ることができます。

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四面門は町の中央にあり、東西南北からパルミラにやってくる隊商・キャラバンを迎え、入国手続きをとる窓口となっていました。台座の一辺の長さは4.3メートル、赤色の花崗岩で造られ、頂上に石像がありましたが、今は台座だけになっています。

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町のはずれにある地下の墓地は、紀元前1世紀から紀元後3世紀まで造営されました。エラベール家の墓は西暦103年に建てられた4階建ての塔墓で、200体以上収容できます。

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この墓からは中国、漢代ともいわれる絹織物も発見されています。

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その他、旧市街からは高さ150メートルの丘陵にそびえるアラブ砦を遠く望むことができます。

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まさにパルミラは時間と空間を超えて、世界の人々に美の光彩を与え続ける世界遺産といえます。
パルミラが歴史の表舞台から姿を消した原因の1つは、戦争です。西暦267年、パルミラの支配者オダナイトが暗殺されると、妻のゼノビアは我が子を王位につけ全権を掌握、実質的な女王として君臨しました。

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支配地域を拡大するため軍を周辺の都市に進軍させ、エジプトに駐留するローマ軍も打ち破っています。現在のトルコ東南部から、メソポタミア、ナイル川の沿岸に及ぶ広大な土地を手中に収めたのです。そのため、ローマ軍は、大軍を率いてパルミラを攻撃しました。西暦272年、パルミラ軍は敗北、女王・ゼノビアは捕えられ、町の大部分は破壊されてしまいました。砂漠に咲いた一輪のバラのような輝けるオアシスも、一人の女性の限りなき権力欲によって終焉を迎えたのです。
2つ目は、西暦1089年にパルミラ地方を襲った地震です。建物の屋根は崩れ落ち、神殿の壁面と列柱、凱旋門と円形劇場を残すのみとなってしまいました。
そして、今回のISによる破壊です。

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ローマ時代の建築様式を今に伝えるベル神殿や、バールシャミン神殿等も、異教の神を祀ることからISの標的となり、破壊されました。パルミラの象徴ともいうべき凱旋門も爆破され、2000年の風雪に耐えてきた美しい文様も、アーチとともに無残に吹き飛び姿を消しました。

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パルミラの博物館が所蔵していた古代の彫像等約200点も破壊されました。

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さらに、半世紀にわたってパルミラ遺跡を研究、保護し続け、パルミラの博物館の館長もつとめたことがあるハリド・アスアド氏82歳が命を奪われました。古代パルミラ文字を解読できる世界的な学者でした。私はパルミラを訪問した折、2度会見したこともあり、とても心が傷みました。

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アスアド氏は、ISがパルミラ遺跡に入る直前、貴重な石像や文物など数百点を、地方に移し保護しています。ISから隠し場所を言うように尋問を受け続けましたが、最後まで口を割らず、殺害されてしまったのです。
私は破壊された凱旋門やベル神殿等の無残な姿を見て「在りし日のパルミラの美しさを、後世に伝えることが大切である」と思い、撮影した写真の中から約200枚を厳選し、ことし8月、写真集を出版しました。写真があれば、遺跡を元通りに修復するのは不可能でも、ある程度の形に復元することは可能です。
長い歳月を乗り越えて、精神文化の華やかさを建造物に残したパルミラ。平和とは何か、
人はどう生きるべきか、そして、文明や文化は歳月を積み重ねるだけでは発展しない。発展するためには絶えることのない異文化尊重と生命尊厳の思想がなければならないということを、パルミラは語りかけているように思えてなりません。

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