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「次期学習指導要領の課題」(視点・論点)

神奈川大学特別招聘 教授 安彦 忠彦

この9月、文部科学省の中央教育審議会が、2020年を実施予定とする次期学習指導要領への改訂のための「審議のまとめ」を公表しました。2年近い審議の結果、どのような改訂の方向性になっているのか、また、それが学校教育にどのような影響・変化をもたらすのか、きょうは次期学習指導要領の概略と問題点についてお話しいたします。

そもそも小中高の学校教育の在り方を決める国の基準となるのが学習指導要領です。
その改訂を審議していた中央教育審議会の「まとめ」が固まったわけですが、それが従来の「まとめ」の2倍以上にもなるほどの分厚いものになりました。これは従来、評価については別の審議の場があったのが、今回はこれも同時に審議してこの「まとめ」に含めましたので当然ともいえますが、中身を見るとそれだけではないことがわかります。
これまでも、学習指導要領というものは、大体10年ごとに改訂されてきたのですが、今回はどのような背景や理由があって改訂が行われたのかについて、まずお話し致します。現行の学習指導要領は、2011(平成23)年から年次進行で、小学校、中学校、高等学校と順次本格実施に入っているもので、まだ中間的な段階にあるものですが、ただ私の理解するところでは、現行の学習指導要領は、理科系の教育関係者を中心に、今後21世紀を通して予想されるAI(人工知能)などによる第4次産業革命と言われるような社会の激変に対抗しうる、実社会・実生活の高度な問題解決に必要な「資質・能力」(これをコンピテンシーという英語で言っていますが)の育成に向けて、十分徹底したものにはなっていないとの声があり、また文部科学省内部の事務方からも、学習指導要領の体裁が「資質・能力」重視になっていないので、その体裁そのものを変える必要がある、との声がありました。つまり現行の学習指導要領の体裁は「目標」と「内容」に大別され、各教科・領域のめざす「資質・能力」は各教科・各学年の最初の「目標」の中に数行で示されるだけで、その次には「内容」というものが何十行も書かれている。これを逆に「資質・能力」の方を多めにし、より構造的に丁寧に示してこちらに注目させ、「内容」の方をぐっと減らすべきだということです。ともに、何とかこれまでの「詰め込み教育」を脱したいのに、そのような方向の学習指導要領になっていないというわけです。
ところで、その「まとめ」が従来のそれよりも2倍以上もあるような厚いものになったと申しましたが、なぜそうなったのでしょうか。ここに、今回の改訂の狙いや特徴が端的に示されているように感じます。その中身を見てみますと、教育課程編成の方針や各教科等の目標・内容に加えて、これまで学習指導要領では遠慮気味に書かれていた、教育方法や評価の在り方までがきめ細かく書かれており、それが全体の分量を増やしていることに気付きます。方法や評価について、これほど具体的に書かれるとなると、学校現場で教員の動きを直接規定することになるのではないか、との印象を覚えたほどなのです。
第二次世界大戦後すぐの1947(昭和22)年の学習指導要領、及び1951(昭和26)年のその改訂版は「試案」とされていました。教員にとっては強制力のないガイドブックに等しく、とくに51年のものは指導方法についてもさまざまな記述が入っており、今とは比較にならない分厚いものでした。ところが、「道徳の時間」が特設された、1958年改訂の学習指導要領以降は、国の基準としての法的性格が付与されたのと引き換えに、教育方法については、学校現場の教員の創意工夫に任せようということになり、その結果、原則として学習指導要領の記述は、教育課程編成の方針や各教科等の目標・内容という、大枠の記述にとどまっていました。
そうした経緯を含めて考えますと、今回の「まとめ」は、これまでの教育課程政策を大きく変えるものになっていることが分かります。これまで学校現場の裁量とされていた教育方法や評価の多くが、法的拘束力の枠組みの中に位置づけられようとしている、ということです。現場裁量を拡大してきた教育における規制緩和政策を反転させ、中央からのコントロールが強まる契機となる懸念も感じさせられるわけです。
その象徴となるのが、今回の目玉ともなっている「アクティブ・ラーニング」の徹底です。「主体的・対話的で深い学び」とも言い換えられていますが、覚えること中心の受け身の学習ではなく、実際生活上の複雑な問題の解決に向けて、子ども自ら活動的・積極的に取り組む学習を意味します。しかし、その趣旨はいいとしても、その徹底の仕方については心配な面もあるのです。
教育方法を学校現場の創意工夫に委ねてきたのは、各学校や子供の実態に応じて、それが柔軟に行われるべきものとされてきたからです。それを今回は、上からすべての学校に、一様に押しつけているとも見えるのです。こうなると、どこの学校でも似たような授業が形だけで展開される、という恐れも出てくるのではないでしょうか。また、教える内容と授業時数は従来通りを前提とするとしていますが、それを考え合わせますと、その種の学びが効果的に成立するためには、学校現場に教員の時間的な余裕や人的条件の拡充が不可欠であると思われます。ところが、現実の学校はこの反対の状態にあるとしばしば指摘されてきています。
今回の「まとめ」が、年内に予定される正式の最終答申になるまでには、今後1ヶ月ほど一般の方々の意見を聴取するパブリック・コメントの期間を経て必要な修正がなされ、それを中央教育審議会が最終的に審議して答申とし、それを元に、文部科学省が来年3月末までに次期学習指導要領を作成して、正式に公示する予定にしています。
注意しなければならないのは、このパブリック・コメントによる修正で答申がどのような内容と体裁そして厚さのものになるかということと、中央教育審議会の場を離れて事務方の役人の手にすべてが移るときに、どこからどのような圧力がかかるかわからない、ということです。もし、答申がこの案のような厚さのまま公表され、それを受けて学習指導要領が、そのまま内容の細かい分厚いものに作られたなら、それは法的拘束力のあるものですから、とくに授業現場で強く細かく教員を規制することになるでしょう。またかつて、答申が出てそれが審議会から役人の手に移ったとき、どこからか圧力がかかって修正が行われ、それが新聞種になったことがあります。教育の中立性は、政治的に大変重要な原則であり、文部科学省はこれまでもあらゆる勢力に対してこの原則で対応してきており、基本的に教育固有の意義を保ってきました。
そして、この原則がなぜ大切かと言えば、「教育」というものは、大人の求める社会に役立つ、大人の言いなりになる依存的で従順な人間に育てることではなく、動物も含めて、若い世代を一人前の大人に「自立」させ、未来社会を自分たちの力で作る自由を与えることだからです。これを私は「子供の未来決定の自由」と言っていますが、昔の人はこれを「出藍の誉れ」という故事成語で言ってきました。若い世代が古い世代の考えを乗り越えていく自由を認め、そうなったらその姿を見て、古い世代はそういう彼らをこそ自らの誇りとするというのです。
みなさんも、あらためて現在の教育が、大人たちの考える社会に役立つ能力を子供たちに育てることにとどまらず、子供たちが自分たちの力で自由に社会を発展させられるような、本当に「自立」した姿を目指して行われているかどうか、自問自答して頂きたいと思います。

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