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「記憶の承継とダークツーリズム」(視点・論点)

追手門学院大学 准教授 井出 明

戦争や災害といった悲しい記憶を社会が承継、承け継いでいくためには、どのような方法があるでしょうか。本を読んだり、映画を鑑賞するなどして、記憶を受け継ぐことも重要な営みだと思います。今日はそうした、本やメディアで知識を受け継ぐことに加え、実際に現場を訪れて悲劇の記憶を体感する「ダークツーリズム」という考え方についてご紹介したいと思います。

ダークツーリズムは、20世紀の終わりごろにイギリスの研究者が提唱した新しい観光の概念で、単なるレジャーや娯楽とは一線を画し、戦争や災害といった悲劇の現場を訪れる旅のあり方です。この新しい旅の考え方は、今では監獄や病院などの隔離施設として使われていた場所や、かつて稼働していた産業遺産にも広がっています。

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また、実際この旅を経験する人々もここ20年で急速に増えています。例えば、ポーランドのアウシュビッツ強制収容所では、昨年の来場者は170万人を超え、ここ10年で来場者が約3.5倍になるなど、こうした観光形態が非常に一般化していることを伺わせます。日本国内の移動に関しても、世界遺産登録を目指しているハンセン病療養所、長島愛生園への来場者は1万2千人を超え、ここ3−4年で顕著な増加傾向が見られます。

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では、なぜ多くの人々が悲しみの記憶を辿るのでしょうか。
欧米世界では、2001年の同時多発テロ以降、人々が拠るべき文明社会への信頼感が崩れてしまい、新しい価値を求める動きの中で、過去の悲劇への旅を通して社会のあり方を考えようとする動きが盛んになってきました。
日本では、東日本大震災後にこの言葉が一般化してきますが、それもやはり自然災害に加えて、原子力発電所の事故という日本が初めて経験する困難の中で、近代史における課題を経験した場所に赴き、現地ベースでものを考えたいという願いが流行の背景にあるように思います。
現地を訪れることで、書物だけでは感じることの難しかったリアリティを得られることは大きな意義があります。私の講義を受けた学生と先ほど挙げたハンセン病療養所の長島愛生園を、訪問したことがありましたが、その学生は率直に「これほど大きいとは思わなかった」という言葉を発していました。入所者の方々がかつて実際に歩いた道を辿ることで、国家が強制した隔離のスケール感に多くの人々が驚くことになります。
しかし、悲劇の現場で思索を深めたいという考え方には理解を示しても、ダークという言葉、とりわけ自分の生活圏をダークという言葉で捉えられることに違和感を覚える方もいらっしゃるかもしれません。
ただ、我々の歴史、言いかえればあらゆる現象には光と影の両面があることを意識していただきたいのです。
昨年、明治日本の産業革命遺産が、世界遺産に登録される際、韓国政府から「徴用」という負の歴史に触れていないという強い抗議がありました。日本では、こうした動きに反発も起こりましたが、産業社会について考える際には、必然的に影の部分が存在することを忘れてはなりません。それは、徴用の問題だけでなく、中間搾取および労働運動、作業中の事故や労働者の健康被害、そして足尾銅山に見られたいわゆる公害の発生など、こうした悲劇の記憶を謙虚に受け継ぐこともまた大切なのです。
日本社会はこうした影の部分の歴史の承継があまり得意ではなく、栄光の文脈で過去を語ろうとします。他方、欧米社会は、キリスト教文明が「天使と悪魔」「天国と地獄」「生と死」といった二元論的な世界観で構成されているために、過去の記憶を受け継ぐ際に、特に意識もなく影の部分も承継されてきました。日本人では、歴史を語るときに、しばしば「負の遺産」という言い方をしますが、欧米社会では過去から受け継ぐものは光と影の両面があることを前提としていますので、負の遺産という言い方は通常あまりしません。
日本の近代の歴史は非常に素晴らしい輝きに満ちてはいますが、その一方で苦しみに直面された方々がいたことも受け止め、その経験を教訓としつつ、より良い社会にむかうことが重要となります。
つまり、ダークツーリズムという言葉は、あえて我々の記憶や歴史を影の部分から辿ることで、最終的には光の部分も含めた社会の全体像を明らかにしていこうという方法論であり、だからこそこの言葉を使うことには合理性を見出すことができます。仮に光の部分からのみ社会を観察する場合、誰しも悲しみに向き合うことは困難で辛さを伴うが故に、影の部分への考察がどうしても薄くなってしまいます。一方、悲しみや苦難から社会を見るときに、それだけでは描ききれない光の部分への言及が影の部分の反対要素として連続的になされますから、非常に多面的に社会を理解することが可能になります。

次に、ダークツーリズムを地域の活動として実際に展開する場合、そもそもそういった場所を、旅の訪問先として紹介して良いのかという心配があるかと思います。私はこれまで、数多くの悲劇の記憶を持つ場所を訪れてきましたが、教訓としてどんなに重要な意味を持つ場所であっても、実際に人々の活動の動線から外れるとまず物的な風化が起こり、次にそれに伴う記憶の風化が始まることを見てきました。

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写真は北海道のある鉱山を写したものですが、ここは今や生活や経済の人の流れから外れてしまっているため、訪れる人も少なく、ここであった悲しい労働や事故などの記憶も受け継ぐことが難しくなってきています。

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こうした事態を避けるために、観光をはじめとする通常の経済活動の動線に、悲劇の記憶を持つ場所を組み込むことは記憶や教訓の承継の観点から大切となります。
同時に旅の記憶は、悲しい場所の思い出だけでは辛く重いものになってしまうため、他の観光資源と組み合わせたルートを提示することが重要になります。冒頭で紹介しました、ポーランドのアウシュビッツもヴィエリチカ岩塩坑やクラクフ市街地といった世界遺産と合わせて多面的な旅を経験することが可能になっています。言いかえればダークツーリズムを組み込んだ旅を経験することで、地域を多角的にかつ深く理解することができるようになります。

また、受け入れる側は「勉強や予習をしてから来てください」と言ってしまうと、それだけで尻込みしてしまう人が多くなってしまうことにも留意する必要があります。入り口段階でのハードルをできるだけ下げ、多くの人に来ていただいた上で、本質的な記憶や教訓を伝えていこうという営みが重要となります。例をあげますと、網走市の博物館網走監獄は大変良く出来た施設です。囚人服を試着したり、刑務所の食事を体験できるという触れ込みで入館者を集めますが、1−2時間の見学の後には、近代国家における犯罪の意味や北海道開拓史においていわゆる囚人労働が果たした役割などについて深く理解できるように工夫されています。

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最後に、訪れる我々の側は、訪問先で実際に苦しまれた方、あるいは現在も苦しんでいる方々への敬意を持つことが重要となります。尊い教訓が、新しい時代を拓いてきました。こうした意識を持つことで、受け入れる側と訪れる側の関係性が生産的になり、より深い記憶の承継が可能になると思います。これがダークツーリズムの本質的意義と言えるでしょう。

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