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「不登校と向きあうために」(視点・論点)

NPO法人フリースペースたまりば理事長 西野 博之

 長い夏休みも終わりに近づき、まもなく新学期を迎えようとしています。学校が始まるのをワクワクしながら待ち構えている子どもがいる一方で、憂鬱な気分を膨らませている子も少なくないのではないでしょうか。子どもの数は減り続けていますが、「不登校」にカウントされる子どもたちの数は高止まりしています。現在、全国の公立中学生のおよそ36人に1人が不登校といわれています。特に長い休みのあとに、登校を渋る子どもが目立ちます。
 そこで今日は、不登校をテーマに、親や子どもと関わるおとなたちが、どのように子どもに寄り添ったらいいのかについて考えたいと思います。

 私が不登校児童・生徒の居場所づくりに関わるようになって、30年になります。この活動を始めるきっかけになったのは、小学校1年生のシュン君との出会いでした。入学を楽しみにしていた彼は、ランドセルの中を何度も点検し、枕元にお洋服をきちんとたたんでから寝る几帳面な男の子でした。このシュン君がゴールデンウィークあけに、学校に行こうとするとおなかが痛くなり、とうとう玄関先で足がもつれて倒れてしまったのです。彼は大粒の涙をためて、「僕、もうおとなになれない」と訴えたのです。みんなは2年生・3年生・4年生、中学・高校へと進学していく。僕は1段目の階段を踏み外しちゃった。だから、もう父さん・母さんのようにおとなにはなれないと。6歳の子どもの切ない涙でした。学校に行けなくなったら、この先どこで学び、どのように生きていくことができるのか。なんの情報もない中で、真っ暗闇の中に突き落とされたような絶望感にかられたのでした。

 あれから30年たった今でも、学校に行けない子どもとその親を苦しめているのは、この、先の見えなさです。たとえ学校に行かなくても、こんな学び方がある。こんな道がある。将来に向けた選択肢がきちんと提示されればここまで苦しまずに済むのに、それが子どもや親のもとに届いてはこない。
子どもが学校に行きたくないと登校を渋り始めたときに気をつけなくてはならないことは、「このまま学校に行けなくなったら、お前の人生、もうおしまいだ。」などといった脅しを決してかけてはならないということです。叱咤激励のつもりで、親や先生がこんな言葉がけをしたことで、その後長くひきこもってしまう人もいます。ましてや「あなたのためを思って言っているのよ。早く学校に行けるといいね」と「善意」のつもりの言葉が、かえって子どもを苦しめます。「私のために言ってくれているのに、その期待に応えられないダメな子だ。自分なんて生きている価値もない」と自分を責め、さらに動けなくなってしまうのです。早く学校に戻さなくては、という大人の焦りは、逆効果を生むことが多いのです。
 子どもが学校に行くことを渋り始めたとき、まずは、ゆっくりと子どもの話を聴いてあげましょう。たいてい、ひとつの理由で学校に行けなくなるというよりは、いくつものことが重なり合っていて、自分でも行けない理由がわからない子どもが多いのです。原因探しに固執せずに、いま行けない状態であることを受け入れ、その子の思いを丁寧にきいてあげましょう。たった一人でも自分の思いを受けとめてくれる人が身近にいると思えたら、初めて自分の問題に向き合えるようになるのです。

 では、学校に行けなくなったら、どこで学んだらいいのでしょう。不登校の子どもたちが通うことができる場として、民間のフリースクール・フリースペースや教育支援センターのような公的機関があります。学校に行かなくても、このような学校外の場で、それぞれの子どもに合った多様なやり方で学ぶことができます。そして、校長裁量ではありますが、こういうところに通っていることが学校の出席として認められ、通学定期を買うこともできるのです。また家から出られない子どもたちが、家庭に居ながらインターネットなど(ICT)を使って学んだり、通信教材などによって学習したりすることが指導要録上学校の出席と認められている例が全国にいくつもあります。
 さらに、文部科学省もいま、フリースクールに関する検討会議を立ち上げ、不登校児童生徒の学校以外の場での学習に対する支援の強化に乗り出しています。私もその委員の一人ですが、国は積極的にこういった支援制度の活用を広げていこうと検討を進めているのです。

 さて、長い夏休み明けに、毎年不登校の相談が増加するのですが、これに加えて、昨年とても気になるデータが内閣府から出されました。9月1日は、過去42年間で子どもが最も自殺をした日であるという発表です。長い休み明けに子どもたちがいのちを絶ってしまう悲しい事件があとを絶ちません。昨年1年間に349人もの小中高校生が自ら命を絶ちました。その原因はさまざまでしょうが、学校は、命を削ってまで行かなければならないところではありません。深刻ないじめなどによって、人間としての尊厳が踏みにじられているときなど、勇気をもって、そこから離れていいのです。先ほども述べましたように、子どもが学び育つ場は学校だけではありません。もちろん学校というところは地域の中で同世代の子どもたちが出会い、学び育ちあう大切な場であることは言うまでもありません。でもどうしてもそこに居場所が見つけられずに苦しむ子どもたちがこれほどたくさん存在する今日、多様な学びの機会や場が社会に用意されていることが求められているのではないでしょうか。

 私たちのフリースペースを巣立った多くの子どもたちが、その後就学・就労したり、もう子育てしたりしている人もいます。先日、私たち民間のフリースクールと教育委員会が一緒になって開催した不登校相談会で体験談を発表してくれた若者たちは、次のように口々に語ってくれました。「あの不登校していた時代があるから、今の自分がある」「わたしにとって、必要な時間でした」。人に傷つき、何のために学び・生きるのか、自分を見失いかけていたころ、自分と向き合い、自分のペースを取り戻すことができた貴重な時間だったと。一生懸命、自分の思いを語る彼らの言葉を聞きながら、私は改めて思いました。不登校はダメなのではないと。「不登校はあってはならない、ダメなこと」と、親や周りのおとながネガティブにとらえていると、子どもはなかなか元気にはなれません。子どもを前にして、「近所の人や親戚に知られたら恥ずかしい」などと世間体を気にした発言や態度でいると、子どもはますます委縮して外にでるエネルギーすらなくなっていきます。親や教師、子どもと関わるおとなたちに必要なまなざしとは何でしょうか。それはとてもシンプルなことです。大人の心配や不安を子どもにぶつけるのではなく、目の前の子どもを信じ、子どもの心に、だいじょうぶのタネをまきましょう。無駄に見えている時間も、実は意味のある時間なのです。まずは、家庭の中に子どもが安心していられる居場所をつくること。学校に行こうが行くまいが、「あなたが居てくれて幸せだよ」「生まれてくれてありがとう」を届けること。

 自分の存在が受け入れられて、大丈夫が広がってくると、子どもは自分の頭で考え、自分の足で歩き出すのだということを、私は、30年にわたる、不登校になった子どもたちとの関わりの中から教えられたのです。
子どもも親も「きっと大丈夫」が広がっていくことを願っています。

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