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「紫式部の人生と源氏物語」(視点・論点)

京都学園大学教授 山本 淳子

今からほぼ千年前、平安時代中期に、日本の都・平安京のはずれから、世界の文学史に残る作品が生まれました。それが『源氏物語』です。
『源氏物語』は、天皇の息子・光源氏を主人公に、貴族たちの愛と人生を描いた長編小説です。物語は光源氏の誕生前から死後まで七〇年以上にわたり、登場人物は数百名に及ぶ大作であるとともに、文章の美しさ、盛り込まれた教養の豊かさ、人間洞察の深さなどにより、今なお日本文学の最高峰といわれる作品です。

この源氏物語の作者は、当初は専業主婦として作品を書き始め、のちに宮廷につかえて紫式部と呼ばれるようになった女性でした。
では、紫式部はどのような人生を生き、なぜ源氏物語を書き始めたのでしょうか。
今日は、紫式部の人生と源氏物語の深い関係についてお話ししたいと思います。
紫式部には、『紫式部集』という和歌集があります。紫式部本人が、おそらく最晩年に人生を振り返って、その時々の思い出の歌を並べ、詞書を付けたもので、和歌でつづる自伝とも言えます。ですから、この和歌集の歌によって、紫式部が体験した出来事や心の遍歴をたどることができるのです。
それによれば、紫式部が『源氏物語』を書くようになったきっかけは、人生の深い悲しみに出会ったことでした。
紫式部集の冒頭に、紫式部は次の歌を置いています。

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「めぐり会ひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲隠れにし 夜半の月かな」 
めぐり会って、でもあなたはその人と見分けもつかない間に、雲に隠れて消えてしまった。まるで真夜中の月のように。百人一首でご存じの方も多いでしょう。そしてこの歌を、恋の巡り会いの歌と思っていた方も多いのではないでしょうか。しかし、歌集によれば、この時紫式部が巡り会ったのは幼馴染でした。小さい時に仲が良く、一時別れていた友達が会いに来てくれたのです。でもすっかり大人になり、その人と見分けがつかないでいる間に、友達は家に帰ってしまいました。
残念、もっと話したかったのに。この歌は、そんな生活の中の友情の一コマを詠んだものです。
が、紫式部が和歌による自伝の巻頭にこの歌を置いたことには、もっと深い意味があります。この友達は、やがて、若くして亡くなったのです。まるで、雲に隠れる月のように。
巡り会って、親しみ合って、しかし相手はいなくなり、もう二度と会うことができない。この歌を巻頭に置くことで、紫式部は、自分の人生とはそうした人生であったと、告げているのです。仏教でいう、「会者定離」の定めです。
実は、紫式部が大切な人を喪うのは、これが初めてではありませんでした。
小さい時に母を喪い、思春期には姉が亡くなり、次にはこの親友、さらには夫までも結婚してわずか三年で亡くしてしまいます。
夫を亡くした紫式部は、わが人生を見つめました。そして書き始めたのが『源氏物語』です。
『源氏物語』の中で、主人公の光源氏は次々と大切な人を喪います。

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三歳で母親を、六歳で祖母を喪い、晩年には最愛の妻・紫の上にまで先立たれます。つまり紫式部は、物語の中で主人公に、自分と同じつらい体験をさせているのです。
『源氏物語』と言えばおもしろおかしい恋の物語のようですが、そうではありません。紫式部は実人生の悲しみに遭い、物語という架空の世界を創造して、その登場人物たちに問いかけたのです。この悲嘆に、あなたならどう耐えるのか。悲嘆の中でどう生きるのか。
そのことは「身代わり」というテーマからもわかります。紫式部は和歌集のなかで「亡くなった人の代わりに」という言葉を使っています。母が死ねば母を思う代わりに姉を愛し、姉が死ねば姉を慕う代わりに友達を愛し、紫式部は大切な人を喪う度に、その身代わりを愛することで、悲しみを凌ごうとしたのです。
『源氏物語』の中でも、光源氏は「亡くした母の代わり」に義理の母・藤壺に思いを寄せます。

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しかしそれは禁断の恋でした。そこでまた彼は、藤壺の身代わりとして、その姪である紫の上を愛します。
つまり、光源氏も紫式部と同様に、自分の愛情を注ぐ相手を次々と求めて、身代わりを立てては、愛し続けるのです。
この「身代わり」というテーマは、それまでの物語には見受けられない、珍しいものです。やはり紫式部が、自分の体験を物語に投入したものに違いありません。
しかし、紫式部は夫を喪って結局は、大切な人に身代わりなどいないと思い知らされました。光源氏も、紫の上を喪って、絶望の淵に突き落とされます。
会者定離という宿命、また身代わりという方法とその限界というテーマ。
この二つからは、紫式部にとって『源氏物語』が、自分の人生を見つめ直す場であったことが分かります。
紫式部には、もう一つ、夫を喪うことで思い知った言葉があります。
それは、「世」と「身」という言葉です。

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「世」とは、「時代」や「世界」、「世間」等、人を取り巻いている現実を言います。そこで私たちは、「身」、つまりいつか必ず死ぬ「身体」や、社会の中での「身分」、人生いろいろの「身の上」など、現実を背負った存在として生きています。
紫式部は、夫を喪って、これらの言葉をしばしば和歌に使うようになりました。紫式部は、人生の「現実」を痛感したのです。
しかし人には、「身」だけではなく「心」というものもあります。
ある時、紫式部は、夫に死なれて以来張り裂けそうだった心が、少しだけ楽になったと感じました。その時の歌が、これです。

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「数ならぬ 心に身をば 任せねど 身に随ふは 心なりけり」 
人の数にも入らぬ私、心のままの人生であるはずがない。だがその現実に、いつか馴れ従うのが心というものなのだった。
紫式部は、つらい人生を受け入れたのです。
しかし、紫式部はこの時、同時に次のようにも詠んでいます。

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「心だに いかなる身にか 適ふらむ 思ひ知れども 思ひ知られず」 
身に随うはずの心。しかし実はそれさえ、いったいどんな身に適うものなのか。考えてみれば、現実を思い知りながら、思い知ってくれないのが、心というものなのだ。確かに心は、非現実的で、例えば夢を見るものです。
その一方、身の程知らずな欲望など、いわゆる煩悩をも創り出します。
心は人を癒し、また、苦しめもするのです。
源氏物語の主人公・光源氏は、美しく優秀で、「光」というあだ名をつけられています。でも彼は、天皇の子でありながら母の「身分」のせいで天皇になれません。初恋も、「世」の倫理に阻まれて、実りません。あだ名は光、心は闇であるのが、光源氏です。『源氏物語』とは、こうした「身」を背負ってもがく「心」を抱いた主人公が、人生と格闘する物語です。
当初、自分のためにこの物語を書き始めた紫式部は、やがて見出され、天皇のきさきに仕えながら、さらに物語を書き続けました。天皇もきさきも、人として、この物語の深い部分に共感を覚えたのです。
以来約1000年、『源氏物語』は今や世界中で読まれています。
紫式部が投げかけた、人生の無常や、「世」と「身」と「心」という問題が、それだけ人間にとって普遍的なものだからこそ、この物語は愛され続けているのです。

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