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「リオデジャネイロ五輪を終えて」(視点・論点)

法政大学 教授 山本 浩

戦いに勝った喜びの声があちこちから、さまざまに聞こえた二週間が終わりました。「わくわく」と「ぞくぞく」で始まったオリンピック・リオデジャネイロ大会が、テロの発生もなく無事に幕を閉じたことをまずは喜びたいと思います。今日は、終わったばかりの大会を振り返ってみます。

手にした日本のメダルは史上最多の41個と、見事なものでした。
これだけの結果をもたらしたのは、ひとえに選手それぞれのトレーニングや強い気持ちがあってのことです。また、それを可能にした、指導者、さらに支えたスタッフ、そしてすべてがうまく運ぶようにした競技団体のメンバーや、外で支えた支援者の力も忘れてはなりません。
選手周りの対応は経験を積み上げて、力を付けてきました。そのひとつが、「ハイパフォーマンスサポートセンター」です。選手村から車でおよそ二〇分。海岸に近い地元のスポーツクラブを借り切ったサイトは、今回の好成績に大きく貢献した施設です。
試合の事前事後の選手のコンディション維持や回復に主眼を置く施設は、ロンドン大会でも作られていましたが、今回は遙かに規模も大きく、行きとどいたものになりました。
評判が高かったのが食堂です。東京北区にあるナショナルトレーニングセンターの食堂を運営する業者が、ここでも力を発揮し、日本で食べるのと変わらないご飯やみそ汁、納豆から茶碗蒸しまで、試合前後の選手の身体と心をいやしてくれたのです。
このほかにも、サウナ、温かい風呂と冷たい風呂を別々に用意して交互に入ることで疲労回復を図る「交代浴」や、炭酸を使った「炭酸泉」、トレーニングマシンの使える部屋や、プール、テニスコート、リラックス用の部屋、前半は柔道の畳、後半にはレスリングのマットとお家芸のコンディショニングにも配慮がいき届いていました。
このほか、Wi−Fiの設備を新たに設置し、複数の競技の戦略担当者が一斉に映像処理をできる部屋も確保。戦略の組み立てにも大きな力を発揮しました。
日本の選手は、元来、環境が変わると力を発揮できないタイプが少なくないと言われてきました。選手村の環境が思ったより悪く、悩みがちな選手たちには願ってもない施設でした。こうしたサポート施設を、選手村の外にわざわざ用意した国は、アメリカやイギリス、フランスやロシアなど限られた国だったと言われています。それなりの費用がかかりましたが、成績に跳ね返ったことは事実でした。
日本が獲得したメダルの数には、それぞれに高い価値があります。一方で確認しておきたいのが、メダルには届かなかったが四位から八位に入賞した選手やチームです。日本代表では今回、メダリスト以外の入賞が四五ありました。
前回のロンドン大会では、この入賞数が四二でしたから、今回は入賞も幾分増えたことを示しています。ポイントはしかしこうした数字を、多い少ないだけで判断することではありません。経験や世界ランキングに照らして、ステップアップして入賞したのか、表彰台が当然と思われながら不測の事態で入賞に留まったのかを、個人や指導者、競技団体がしっかり見極めることです。見極めたからといって、責任を問えというのではありません。そこで得られた体験談や予想外の出来事を記録して、本人の次の対策に応用したり、次代の選手に伝えたりするのです。これを、競技団体ごとに綿密に行い、皆で共有することにより、次の強化への優れた指南書にすることが可能です。
ここまで、メダルという競技ベースの総括をしてきました。ここからは、オリンピックのありようについて、現地で得た感触をお話ししたいと思います。
世界のメディアや競技に関わった人たちから聞こえてきたのは、大会が始まる前からも、始まってからも、「治安の問題」「大会の運営に対する不満」に関する注文が多かったように思います。私は、大会が始まっておよそ一週間後の11日に現地に入りました。卓球やバドミントン、競泳やテニスの会場が集中したバハ地区という所に滞在し、何度か歩いて会場まで足を運びました。確かに周りには、鼻をつく異臭のする水路や不明確な案内板、足下のおぼつかない仮設の橋などはありましたが、多くの警備関係者に加えて機関銃を携えた軍隊を配備していたこともあってか、治安上の不安を覚えることはありませんでした。
パビリオンと言われる卓球やバドミントンの会場が集まったエリアには、それぞれの競技にちなんで、競技紹介のための競技用具やそれをもしたものが置いてありました。私の目を引いたのは、卓球台の置かれていたゾーンです。卓球台と言えば、私たちにとっては学校で一度は触ったことがあるスポーツ用具の一つです。

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数台置かれた卓球台では、親子や友だち同士、あるいは夫婦がラケットを握って盛んにボールを打っています。どの人たちも、初めてラケット握ったような腕の振り方です。驚いたのは、そこにそれなりの列ができて順番待ちをしていたことです。これから競技が始まろうかというのに、卓球を試してみたくて並んででも待つ。ブラジルの人たちの好奇心と、卓球を未知なものとしてみるスポーツ観に少々驚かされました。
何度かメディアで指摘されたように、会場には空席が目立ちました。現地で確認すると、いくつもの競技で当日券の手配が可能な状況でした。一方で来場者のブラジル人からは、特に日本に対して惜しみない拍手が送られていたように思います。ブラジルで苦労を重ねた先人の活躍に心を重ねてくれた人もあったと思いますが、それだけではありません。今まではなじみの薄かったはずのスポーツにも大きな反応で声援を送る。ブラジルらしい空気はそこここに流れていたようです。ブラジルでオリンピックを開催して良かったのではないか。そんな風に強く思ったのでした。
リオデジャネイロ大会は、IOC国際オリンピック委員会にとって、どうしてもやりとげたい大会でした。思いは、IOCの進めるオリンピック精神の理解を進めること。IOCが大事にする、オリンピックの商品価値を南半球に毅然として広めること。この二つが大切なテーマだったのです。南半球対策で先んじたのは、2010年に南アフリカで開催されたサッカーのW杯です。オリンピックとW杯サッカーは、始まった時代は違いますが、それぞれお互いに強く意識しあって発展してきた組織です。今では経営規模は、かつてと違って、IOCがFIFAの上を行くようになりましたが、互いに相手を意識しているという点では今も変わりません。
IOCの抱える課題はいくつもありますが、そのうちのひとつが、若者対策です。「若い人たちが、オリンピックが大切にするスポーツに魅力を感じていないのではないか」「オリンピックは年齢の高い人だけが関心を持つイベントに終わってしまうのではないか」。心配は止みません。その点で言っても、若い人の割合の多いブラジルでの開催は必要でしたし、サッカーの総本山で、サッカー以外のスポーツに関心を注いで欲しいと期待した人もいたはずです。「待遇が悪い」と不満の声がIOC委員から聞こえたり、「選手村の食事が不味い」と選手から不評を買ったり、リオの大会は必ずしも万全だったとは言えなかったでしょう。それでも、ブラジル人でオリンピック会場に足を運んだ人の表情に、曇ったものは伺えませんでした。選手や関係者の幾分かの我慢が前提ではあったものの、ブラジル大会はそれなりの成果を残した。それが私の認識です。
次は、東京です。しばらくはオリンピアが登場する度に、「二〇二〇年の目標」という質問がくり返し突き付けられるのではないでしょうか。
大仕事をやり遂げたばかりの人に、いきなり次の大仕事についてあえて聞かない。
そうした、形ばかりのやりとりはいったん棚に上げて、この大会がどんなものだったのか、未来に向かって明日から何を始めるか。
私たちに求められているのは、終わったばかりの大会をしっかり振り返って、少しずつ方向を決めることであるように思います。

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