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「ル・コルビュジエと日本の建築家」(視点・論点)

東北大学 教授 五十嵐 太郎

今年の7月、トルコで開催されたユネスコの委員会において、建築家ル・コルビュジエが世界各地で設計した住宅や宗教施設など、17件が同時に世界遺産入りしました。彼が20世紀のモダニズムの運動に大きな影響を与えたことが評価されたものです。地域としては、フランス、日本、ドイツ、スイス、ベルギー、インド、アルゼンチンの7カ国にまたがっています。
これに伴い東京・上野の国立西洋美術館が日本に存在する近代建築としては初めて世界遺産に選ばれました。
今日は、ル・コルビュジエはどのような人物だったのか。彼の建築が日本に与えた影響についてお話したいと思います。

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ル・コルビュジエは1887年スイスで生まれ、フランスのパリを拠点に活躍した建築家です。彼は数々の画期的な建築や都市デザインを手がけましたが、いくつかその建築を見ていきましょう。

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ラ・トゥーレットの修道院では、外に飛びだす筒から光をシンボリックに取り入れるなど、近代における聖なる空間を提示しました。

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ユニテ・ダビタシオンは様々な住居ユニットを立体的に組み合わせながら、商店や保育園なども入れて、小さな都市として構成されたアパートです。

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インドのチャンディガールでは、建築単体の設計にとどまらず、都市計画のレベルで携わり、モダニズムの思想を反映させました。またル・コルビュジエは彼の考えを広めるために、著作を多く刊行し、斬新な方法で写真を入れた雑誌を創刊し、さらにプロモーションの映像を制作したり、画家としても活躍しました。こうした幅広い活動を通じて、ル・コルビュジエは近代建築のイメージを流布し、美術におけるピカソ、あるいは日本の漫画における手塚治虫のように、豊かな作品群によって新しいジャンルを確立させました。

とくに重要なのは、近代建築の基本原理を明快に示したことです。

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1914年に発表したドミノ・システムのモデルは、建築の主要な要素が柱と床面で構成されることを図式化しました。それまでの西洋建築が、石やレンガを積み上げた、分厚い壁の構造が主流だったのに対して、鉄やコンクリートの建築は壁を構造から解放することができるわけです。

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1931年、パリの郊外に完成したサヴォア邸は、昔ながらの装飾をはぎとり、真っ白な直方体の箱が宙に浮く、軽やかな建築です。これは1927年に彼が提唱した「近代建築の五原則」、すなわちピロティ、屋上庭園、自由な平面、水平連続窓、自由なファサードを具現化したデザインと言えるでしょう。

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1階部分を柱だけの空間とし建物を持ち上げるピロティは、地上を開放することで、人が行き来し、風通しをよくします。三角屋根をなくして、平らな屋上も庭園として使うことで、陽を浴びる健康な場所をつくります。そして構造の役割から壁が解き放たれることによって、自由に壁を配置し、自由な平面、つまり部屋などの配置が可能になります。

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同様に、立面となる壁も好きなようにデザインができ、とくにル・コルビュジエは水平に連続した窓を好みました。確かに、近代以前の構造だと、縦長の窓しかできません。

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五原則以外では、サヴォア邸は「建築的プロムナード」の要素も重要です。これは建築の中を散歩する空間をめざしたもので、具体的には斜路となったスロープを室内外に組み込んで、視点の高さを変えながら歩く楽しみを与えています。
ル・コルビュジエが提示した20世紀の建築の方向性は、あまりに当たり前のように普及したため、彼の功績はかえってわかりづらい側面があります。

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国立西洋美術館も、現代から見ると、それほど変わった建築に思えないかもしれません。しかし、これは1959年の開館当時としては海外のスター建築家による先端的なデザインでした。

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国立西洋美術館は、サヴォア邸と同じく、展示室を持ち上げたピロティ、室内を散策するスロープがあります。ほかにも、彫刻的な外観の造形、リズムカルに並ぶ窓ガラスの桟、上部からの採光、巻貝のように成長する美術館のアイデアなど、ル・コルビュジエが得意とした手法が数多く取り入れられました。

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日本では、通常は半世紀以内に施設を建て替えてしまいますが、幸い西洋美術館はきちんと保存し、使い続けたおかげで、歴史的な価値が認められるようになりました。
西洋美術館の実施設計にあたっては、ル・コルビュジエの事務所で働いていた日本人の弟子、前川國男、坂倉準三、吉阪隆正、3名の建築家が協力しました。交通やメディアが発達していない時代において、ル・コルビュジエは著作を通じて、世界各地に信奉者を生みだしましたが、とくに日本で大きな影響を及ぼしました。

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前川國男は、様式建築に代わる機能美を追求したモダニズムを日本に根付かせた人物です。彼は同じ上野公園において西洋美術館の向かいに東京文化会館、さらに東京都美術館も手がけました。戦前、前川は上野の国立博物館のコンペでモダニズムの案を提出し、和風の屋根をのせた実現案に負けたのですが、戦後はル・コルビュジエとその弟子が次々とモダニズムを実現したことは興味深い歴史です。

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坂倉準三は1937年のパリ万博の日本館で高い評価を得ましたが、細い柱で軽やかに建築を持ち上げるピロティ、浮遊感のあるスロープなどにル・コルビュジエの影響が認められます。鎌倉の神奈川県立近代美術も、高床になったピロティの形式がル・コルビュジエ譲りですが、柱が池から立ち上がっています。大地と切り離すル・コルビュジエの手法が、ここではむしろ池とのつながりを演出するかたちで使われています。
吉阪隆正は、ベネチアの公園に国際展のための日本館を設計しました。これもピロティをもちますが、高低差のある敷地にたち、地形と絡む建築になっています。ル・コルビュジエと同じピロティの形式を使いながら、大地と切断するのではなく、自然のランドスケープと関わろうとする姿勢がユニークな部分です。ほかにも丹下健三は直接の弟子ではないですが、高校生のときにル・コルビュジエの作品集と出会い、建築を志しました。

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彼が設計した広島平和記念資料館のピロティは、桂離宮などの古建築と重ねながら、モダニズムと日本的なものの融合に取り組んだものです。
現代の日本建築家もル・コルビュジエを語っています。槇文彦はインドで生前のル・コルビュジエと出会い、「私の建築にとっての<泉>のようなもの」と述べています。安藤忠雄も、若き日にル・コルビュジエに触発され、彼にならって、建築の世界旅行に出ました。ちなみに、愛犬をコルビュジエと名付けました。

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伊東豊雄は、ル・コルビュジエを意識し、1970年代にドミノ・シリーズと命名した住宅のプロジェクトを展開し、せんだいメディアテークを情報化時代の「新しいドミノシステム」として構想しました。
このようにル・コルビュジエは日本と深いかかわりもち、彼をテーマにした展覧会が開催されたり、書籍も刊行されています。今回、西洋美術館が世界遺産に選ばれたことで、日本においてモダニズム建築の歴史的な価値が広く知られるきっかけになることを期待しています。なぜなら、姫路城などの古建築や東京駅など赤レンガの洋風建築は重要性が認められていますが、モダニズムは単に古い建築だとしか思われていません。例えば、1964年の東京オリンピックのときに建設された丹下健三の国立代々木競技場は世界的に高く評価されていますが、次は多くの日本人がその意義に目を向けることが必要ではないでしょうか。

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