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「トルコ クーデター未遂事件の波紋」(視点・論点)

同志社大学 大学院教授 内藤 正典

7月15日、トルコでクーデター未遂事件が起きました。軍の一部がエルドアン大統領の政権を倒そうとしたのですが、数時間で失敗に終わりました。このクーデター未遂、あまりに計画が杜撰で、指揮命令系統さえはっきりしていません。

エルドアン大統領をはじめ、政権中枢の政治家を拘束できず、国会議事堂を空爆するなど、意味のない暴力をふるい、250人ちかい命を奪い、負傷者は2200人に達しました。これでは、クーデターというより、一部の反乱軍による同時多発テロです。
トルコは、これまで何度かクーデターを経験しています。最後は1980年の9月でした。
その直前、国内では左右両派の対立が激しく、イスラム勢力も台頭して、政党が政治をコントロールできなくなっていました。
そこで参謀総長ひきいるトルコ軍は、いったん政権を奪い、議会や憲法を停止し、混乱をまねいた政治家を処罰したのです。

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しかし、今回のクーデター未遂はこれまでとまったく違います。エルドアン大統領と与党の公正・発展党は、国民の50%ちかい支持を得ていましたので、軍が実権をにぎっても、国民がついてくる可能性はありませんでした。特に、貧困層を中心に、住宅や交通政策でエルドアン政権を支持する人は多く、大統領のよびかけで街にあふれた市民がクーデターを阻止しました。
それでは、この状況で無謀なクーデターをおこしたのは誰だったのでしょう?
政権側は、すぐにフェトッラー・ギュレンというイスラム指導者に従う一団だと断定し、厳しい取り締まりをはじめました。ギュレン師自身は関与を強く否定しています。しかし、一週間もたたないうちに、公務員、検事、裁判官、そして軍人たちのなかで、ギュレン運動の同調者を一斉に職場から追放し、逮捕しています。その数は、すでに7万人を超えています。関連する大学や高校も閉鎖されました。
ギュレン運動というのは、イスラム的に良い行いをして、社会を明るくしようというギュレン師の教えを実践する運動で、過激なイスラム思想とは関係ありません。そのため、穏健なイスラム指導者として評価される一面もありました。
NGO活動にも熱心で、東日本大震災のときには日本にも救援に来ています。教育に力を入れ、1000を超える学校や予備校を、国内外にもっていました。ギュレン師の教えに共鳴する実業家からの寄付によって巨額の活動資金を得ていたと言われます。
ギュレン運動は教団組織をもっていません。商人や学生のあいだに、ギュレン師を崇拝する人たちを増やして、ゆるやかにつながっています。組織としてはっきり目に見えていたのは、新聞やテレビ局、学校、そしてNGOでした。それ以外、会員制をとっていないために、実態がわかりにくく、どこまで同調者がいるのかを把握するのは困難です。そのため、政権にとっては、なんとも不気味な存在でした。
今回のクーデター未遂事件の背景には、行政や司法に根を張り、次第に政治に介入するようになったギュレン運動と政権との関係の変化があるとみられています。
2000年代の後半、ギュレン運動系の警察や検察は、軍の内部にクーデター計画があることを暴露して、多くの軍幹部やジャーナリストなどを逮捕しました。
トルコは憲法で、イスラムがおおやけの領域に介入することを禁じる世俗主義をとっています。軍部は、その世俗主義の牙城でした。一方、エルドアン政権は、国民がイスラムに回帰していくなかでイスラムに軸足をおいた政治をめざしてきました。
そのため、軍幹部は、政治にイスラムを持ち込もうとするエルドアン政権を嫌っていました。
この時のクーデター計画の暴露により、軍は政治に介入にする力を失い、シビリアン・コントロール(文民統制)に従うようになります。トルコの民主化は大きく前進しました。
2010年ごろまで、ギュレン運動はエルドアン政権と歩調をあわせていたのです。
しかし、2013年の12月、ギュレン支持派の警察と検察は、今度は、当時はまだ首相だったエルドアンの親族や側近の閣僚たちの汚職疑惑を追及します。
これで両者の関係は決定的に悪化し、政権側はギュレン運動の弾圧に乗り出します。彼らが、政党をつくらずに、警察や検察をつかって政治に介入したことには、国民からも批判がありました。
今回のクーデター未遂。追い詰められたギュレン運動が軍を使って反乱をおこしたとみられています。
事件後、政府は非常事態を宣言し、関係者の一掃を図り、厳しく処罰する姿勢です。
死刑復活の声もあがっています。トルコはEU加盟交渉のために、死刑制度を廃止したので、それを復活させることに、EUは強い懸念を示しています。
このクーデター未遂事件が、世界に与える影響を考えてみましょう。第一に、この地域での最大の問題である「IS=イスラミックステート」とシリア内戦に与える影響ははかりしれません。
米軍を中心とする有志連合軍は、「IS」を攻撃するため、トルコにある空軍基地を使用しています。基地の司令官の中にも反乱軍の参加者がいました。アメリカにとっては、同盟国として信頼してきたトルコ軍のなかに、政府を転覆させようとした軍人が多数いたことは衝撃でした。
シリアやイラクの情勢について情報共有をしなければならないのに、いったい誰を信用すればよいのか、アメリカ政府は困惑しています。
次にEUとトルコの関係をみてみましょう。
トルコは半世紀にわたりEU加盟交渉をつづけてきましたが、交渉は一向に進みません。いまでは、EUに入りたいと考える国民は少数です。EU諸国のあいだには、イスラム教徒の多いトルコはヨーロッパになじまない。トルコから大勢の移民が押し寄せたらどうするのだ、という反対論が渦巻いています。
そのさなかEUにとって大問題が発生しました。トルコ国内にはいまでも270万人のシリア難民がいますが、昨年、100万人を超す難民が、エーゲ海をわたってギリシャに入り、ドイツをめざしたのです。
難民の奔流は、EU諸国のあいだに亀裂を生みました。英国のEU離脱にも、この問題は大きく影響しています。
クーデター失敗のあと、トルコ政府は、政権の敵を壊滅するには人権の制約もやむをえないとしています。とくに、死刑を復活することになれば、人権擁護というEU加盟の前提条件が崩れます。
EU諸国のなかでトルコの加盟を望む国はありませんから、それでいいじゃないか、というとそうはいきません。
トルコとEUは今年の3月に、難民の流出を止める約束を交わしています。トルコは、難民をヨーロッパ側に密航させないかわりに、30億ユーロにのぼる資金を受け取ります。
もうひとつ、トルコの国民はEUのシェンゲン協定加盟国にビザなしで渡航できるようにするとEUが約束したのです。EU自体が分裂の危機にある現在、EUはこの約束を守りそうにありません。EUが守らなければ、トルコも難民の流出を阻止しないでしょう。
EUは、今後入ってくる難民をトルコに送り返すとしていますが、それには条件があります。トルコが「安全な第三国」でなくてはいけないのです。しかし、人権に制約を課すとなると、トルコは「安全な第三国」ではなくなります。
そうなると、かりに再びトルコから難民が押し寄せても、EUはトルコに送りかえすことができません。難民条約には、迫害の恐れがある国に難民を送還してはならないという、ノン・ルフールマン原則があるからです。
トルコの内政が不安定化すれば、難民はヨーロッパめがけて、再びあふれ出る可能性がでてきます。そうなると、EUはいよいよ崩壊の危機に直面します。
クーデターそのものは、わずか半日で鎮圧されましたが、今後のトルコの動向によっては、中東の混乱にさらに拍車がかかる恐れがあります。その混乱が、「イスラム国」問題やEUの崩壊という、よりグローバルな問題に直結していることに注目する必要があります。

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