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「消費増税再延期①~増税先送りで生じる二つの問題~」(視点・論点)

中央大学法科大学院 教授 森信 茂樹

安倍総理は、本年5月の伊勢志摩サミットを受けて、17年4月から予定されていた消費増税を、2年半後の2019年10月へ先送る決断をしました。
「今は増税できる環境にはない」という「新たな判断」だということです。確かに世界経済はリスクが高まりつつありますが、わが国経済は、ほぼ実力通り、つまり1%弱といわれている潜在成長率と同程度の経済成長を遂げており、増税が短期的に需要を奪うことはあるでしょうが、少し長い目で見れば経済がひっくり返るような状況にはありません。
問題は、潜在成長力が低いことで、それを高めるには、増税により財源を確保しながら少子化・格差・貧困問題への適切な対処をすることが有効です。わが国に必要な政策は、「需要」を付けることではなく、「実力」を付けることです。また、財政再建を先送りすることは、将来に向けてより大きなリスクを残すことになるので、これは防ぐ必要がある、以上が私の基本的な考え方です。

今回の参議院選挙では、消費増税延期は争点になりませんでした。その理由は、最大野党で2012年に税・社会保障一体改革の三党合意を主導した民進党(当時は民主党)自身が、総理の増税延期を見越してか、早々と消費増税の先送りを決めたためです。この結果、選挙前の世論調査で3割程度の意見として存在した、「社会保障を充実するのであれば消費増税はやむ負えない」という国民の声は、受け皿がなくなってしまいました。三党合意の精神であった、「消費税を政争の具にしない」ということがもろくも崩れてしまったのです。
国民の最大関心事は、どの世論調査でも、暮らしに直結する社会保障が上位に来ます。その社会保障の持続可能性を裏打ちするのが消費税財源です。16年度予算では、社会保障費32兆円のうち17兆円が消費税で賄われています。残りは他の税目や赤字国債で賄われています。また消費税収は、すべて社会保障費に充てることとされています。
つまり、社会保障が最大関心事であるならば、当然その財源をどう賄うかということ、つまり「給付」と「負担」を併せて考える必要があるはずです。しかし、政治の現実が、それを切り離して考えるようにしてきました。その理由は、消費増税がこれまで多くの政権の基盤を揺るがせてきたので、「選挙では消費税の話はしたくない」という心理構造からだと思われます。その結果、「増税を先送りしても あるいは増税しなくても社会保障は充実する」という、根拠の薄い公約が各党から出されることとなりました。世の中には「冷淡・軽税国家」と「親切・重税国家」の2つしかない、という冷酷な現実を直視しない、ポピュリズム的な考え方が広がりつつあることを意味しているのではないでしょうか。
このような消費増税の先送りは、次のような問題を生じさせます。
第1は経済活性化策との関係です。アベノミクスが始まって3年が経過しましたが、実質経済成長率は平均で0.6%です。その主因は、消費者の将来不安による消費の低迷です。そこで、持続可能な社会保障制度を構築し格差・貧困問題に対処し、皆が安心して働き消費できる社会を構築することこそが、求められている政策だと思います。マネーを供給すればデフレから脱却できるといういわゆるリフレ策は壁に突き当たっていると思います。

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2015年の家計調査を使ってアベノミクス前後のわが国の所得 の分布を比較しますと、アベノミクス後は、グラフの両脇、400万円以下と700万円以上の層が厚みを増したのに対し、年収400万円から700万円の層が薄くなり、中間層の崩壊が顕著に表れています。

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この傾向は資産(貯蓄)についても同様で、アベノミクス以降、中程度の貯蓄残高の層の比率が低下し、貯蓄残高3000万円以上の層の比率が上昇しています。このような所得・資産の二極分化の要因としては、正規雇用と比べて賃金水準の低い非正規雇用者の増大やアベノミクスに伴う株高の恩恵の偏りなどが考えられます。
つまり、アベノミクスで想定したトリクルダウン現象、円安による企業収益改善が賃金や設備投資の増加につながり、中小企業や地方経済に波及していくという「成長と分配の好循環」は生じていません。このような状況の下で、経済対策として、商品券の配布や年金生活者へのバラマキ給付を行っても効果は長続きしません。
それより、社会保障の肥大化を避けつつ子ども・子育てなど勤労世代に軸を移した政策により、わが国の社会の二極化をさけることが、活力を取り戻す、つまり実力を底上げする政策ではないでしょうか。そのためには消費増税による財源が不可欠ということです。
また消費税の引き上げは、国民全員から負担を求めるので、世代間の負担の公平化に役立ちます。所得増税と比べると、働いたことの対価である所得に課税するのではなく、選択的な行為である消費に対して課税するので、人々にも受け入れやすく、経済に与える負荷も小さいといえます。
一方で消費増税は、所得の低い方により多くの負担増になるということがあります。それに対しては、低所得者には給付(還付)による負担軽減を行うという方法があり、実際多くの先進国で、働くことを条件に税金や社会保険料負担を軽減することが行われ、効果を上げています。

2番目の問題は、2020年にプライマリーバランスを黒字化するというわが国の国際公約が、事実上達成不可能になったということです。そもそも17年4月に消費税を10%に引上げ、アベノミクスが(実質2%、名目3%)うまくいったとしても、2020年のプライマリー黒字化にはいまだ6.5兆円不足するというのが消費増税延期前の姿でした。つまり20年には10%を超えるもう一段の消費税率の引上げが必要、とされていたわけです。しかし19年10月への消費増税延期になると、その可能性は事実上消滅したわけで、国際公約は達成できないことが明らかになり、今後の経済運営に大きなリスクを残しました。
現在、異次元の金融緩和策として、日銀が国債を年間80兆円買い入れているので、ただちに国債の暴落という事態は避けられますが、いずれこの政策の「出口」が来るわけです。それはインフレターゲット2%が達成される時ですが、国債金利も同様の水準に上がっており、国債価格は相当下がっていると考えられます。それは、大量に国債を保有する銀行経営や貸出しに大きなマイナスの影響を及ぼし、わが国経済に深刻な打撃を生じさせます。また、国債の利払い費も増加し、「借金の利払いのためにさらに借金をする」という事態が生じる可能性が高くなります。
アベノミクスの問題は、金融政策や財政政策で「時間を稼ぐ」間に、第3の矢である成長政策・構造改革ができていないことです。経済停滞の原因が、労働人口の減少や、経済基盤が確立せず結婚や出産に踏み出せない若者の増加などにある以上、消費増税による財源確保を行いながら子ども・子育て対策や貧困対策などの社会保障を充実させ経済活性化を進めていく、これが現在わが国が求められている政策ではないでしょうか。

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