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「録音・録画で『うその自白』は見抜けるか」(視点・論点)

立命館大学特別招聘教授 浜田 寿美男

5月24日、衆議院本会議において「刑事司法改革関連法」が可決、成立し、この3年以内に、施行される運びになりました。今日は、この法律のうち、刑事事件における被疑者取り調べの録音・録画、いわゆる取り調べの可視化について考えてみたいと思います。

よく知られていますように、刑事裁判においては、ときに無実の人が間違って犯人とされる、いわゆる冤罪事件が起こります。その多くには「虚偽の自白」があって、裁判でもこれが見抜かれず、冤罪が晴らされないまま、長く苦しみ続ける人たちがいます。そこで、そうした虚偽自白が生じることがないよう、取り調べの様子を録音・録画することで、その発生を防ぎ、冤罪を防止しようというのが、今回の法律の基本的な考え方でした。しかし、問題は、この可視化の本来の趣旨が、法律によって十分に果たされるかどうかです。
一つの問題は、この法律の対象が、裁判員裁判の対象事件と検察の独自捜査事件に限られていて、全刑事事件の3%にとどまること、また、録音・録画が義務づけられるのは逮捕後の取り調べで、任意の取り調べは含まれないこと、余罪追及の取り調べも対象から外れる可能性が高いことなど、当初提案されていた全面可視化の理念からはほど遠いとの指摘がなされている点にあります。この指摘は、たしかに重要なのですが、今回は、その点には触れず、もう一点、別の角度から問題の指摘をしておきたいと思います。
それは、そもそも「虚偽自白」とはどういうものなのかという本質的な問題にかかわります。
 
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一般には、無実の人が嘘で自白するというと、この図に示したように、「暴力的な取り調べ」や「欺瞞的な取り調べ」によって、苦しくなった被疑者が自白に落ち、取調官の言うがままに誘導されて、虚偽自白が出来上がる。そして、取り調べが終結し、その圧力が無くなったとき、ようやく自白を撤回して否認に戻ることができる、と思われています。
虚偽自白が、もしそういうものならば、「暴力的な取り調べ」や「欺瞞的な取り調べ」が起こらないように、取り調べの場を録音・録画でチェックすることで防げるはずです。また、無実の人が虚偽の自白に落ちたとしても、取調官の側で犯行筋書きを押し付けたり誘導したりする様子が録音・録画されていれば、それが虚偽自白であることを見抜くことはできるはずです。しかし、これまでの多くの虚偽自白事例を分析して見ますと、無実の人の虚偽自白はそのように単純なものではありません。じっさい、表向きは一見、暴力的とも欺瞞的とも見えない取り調べで、無実の人が、自分の方から自白をしているように見える事例が少なくありません。いや、むしろその方が一般的だと言った方がいいくらいです。
問題は、取調官が被疑者を犯人だと確信して、無実の可能性をまったく念頭におかない取り調べを行っていることです。そうなると、無実の被疑者がいくら「自分はやっていない」と弁明しても、取調官の方は耳を貸してくれません。そこで押し問答になって、「やっただろう」「やってません」という空しいやりとりが、何時間も続いていきます。図に示しましたように、それだけで無実の人が無力感に襲われ、自白に落ちてしまうことがあるのです。もちろん、それがたった一日だけであれば、頑張れる人も少なくないでしょう。しかし、人間は弱いものです。それが連日、朝から晩まで続いたとき、どれだけの人が耐えられるでしょうか。
たとえば、確定死刑囚として再審開始決定がなされ、いま審理中の袴田事件の袴田巌さんの場合、そうした取り調べが19日間続いて、疲労困憊のすえに自白に落ちました。一方、DNA再鑑定で再審無罪を獲得した足利事件の菅家さんの場合などは、任意同行での取り調べわずか一日、十数時間余りのやりとりで、「いくら言っても聞いてくれない」無力感に、どうしようもなくなって、涙を流して落ちています。いずれも直接的な暴力が振るわれたわけではありません。にもかかわらず、虚偽の自白に落ちてしまうのです。
それに自白に落ちてしまえば、取調官は、被疑者が犯人だという確信をさらに深め、次には「それじゃ、どうやったのか話しなさい」と言って、犯行内容を語らせようとすることになります。もちろん、無実の被疑者には語りようがないのですが、すでに取調官の前で自分がやったと認めた以上、もはや「わかりません」とは言えません。そこで、取調官からの追及に合わせるかたちで、もし自分が犯人だったらどうしただろうかと考え、自ら犯行筋書きを想像していくことになります。この図にも示しましたように、言ってみれば、無実の人が「犯人を演じる」のです。不思議に聞こえるかもしれませんが、虚偽自白はそうして生まれるものです。
そうだとすれば、取り調べの場面を録音・録画でチェックしたとしても、表向きは暴力的でも欺瞞的でもないように見えますから、常識的な見方では、これを見逃してしまいますし、無実の被疑者が諦めて、自分が犯人になったつもりで、自分から想像して犯行内容を語ってしまえば、取調官の押しつけや誘導は直接見えませんから、これもまた虚偽の自白だと見抜くことは困難です。
ある裁判員裁判で無期懲役の判決が下された事件の場合も、裁判員たちは被告人が身振り手振りを加えて犯行を語る場面を録画で見て、そこから有罪の心証を得たことが報道されていました。しかし、実際のところ、これは無実の人が「犯人を演じている」場面だった可能性が小さくないと私は思います。その点が非常に懸念されるところです。たとえ取り調べの場の録音・録画が与えられたとしても、虚偽自白がどのようなものであるかを、裁判官、裁判員など、その判断者が知っていなければ、真偽を見分けることができないのです。
問題はそれだけではありません。こうして虚偽自白が出来上がってしまえば、取調官は被疑者を犯人だと思い込み、現に自白を得て、被疑者に謝罪を求めますし、被疑者の方も諦めて自ら犯人になり、表向き謝罪を繰り返し、反省した犯人を演じることで、そこに、親しげな「人間関係」が出来上がってしまいます。
そうなると、取り調べが終わり、起訴されて裁判になった段階でも、この「人間関係」が心理的に持続するかぎり、被告人は自白を撤回することができません。たとえば、足利事件の菅家さんの場合、弁護人さえも無実の可能性を考えてくれず、家族からも見放されたように思い込み、もう誰も自分のことを信じてはくれないというなかで、裁判になっても否認する勇気をもてず、そのまま一年余りも自白をし続けてしまいました。菅家さんが否認に転じることができたのは、無実を信じると言ってくれる支援者が現れてからでした。取り調べは終わっても、そこで自分の無実を信じてくれる誰かと新たな人間関係を結ぶことができなければ、それまで演じてきた「自白的な関係」を打ち破ることができないのです。
こうして見てきますと、虚偽自白をなくし、冤罪を防止するために大切なことは、取調官が被疑者について、「ひょっとしてこの人は無実かもしれない」という目で、無実の可能性を念頭に、取り調べを行うこと、そして、その取り調べの場を全面的に可視化したうえで、その録音・録画を見るとき、裁判官、裁判員、そして私たちが、虚偽自白が心理的にどのようなものであるかを正確に認識しておくことです。
今回の法律成立で、取り調べの可視化に向けての第一歩は踏み出したと言えるかもしれません。しかし、問題はこれからだということを、あらためて確認しておかなければなりません。

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