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「語彙力の強化」(視点・論点)

国立国語研究所 石黒 圭

 今日は、日本語の語彙力を強化する方法をご紹介します。
 学校教育では、どの教科を学ぶにしても、そのもとになるのは国語力だと言われます。企業でも、新入社員に求める能力の第一位は、10年以上コミュニケーション能力で変わりません。国語力やコミュニケーション能力の基盤となるのは、言葉の力、すなわち語彙力であり、語彙力がその人の理解力や表現力、さらには思考力を支えています。それでは、どうすれば語彙力が身につけられるのでしょうか。

言葉をたくさん知っている人が語彙力のある人だという考え方があります。それは半分正しくて、半分誤りです。たしかに、ボキャブラリーが貧困なのに語彙力のある人はいないでしょう。しかし、言葉をたくさん知っていたとしても、それを頭のなかからうまく引きだす力がないと、語彙力がある人とは言えません。つまり、語彙の知識が豊富にあるだけでは不十分で、それを実際に使いこなす力、運用力がないと、語彙力がある人だとは言えないのです。
ここで、語彙力とは何か、定義しておきましょう。語彙力は、「語彙の知識」×「語彙の運用」で決まります。つまり、語彙力には、言葉をたくさん知っているという量の側面と、それをうまく使いこなせるという質の側面があるわけです。
 では、量の側面、語彙の数を増やす方法から考えてみましょう。今日は、そのための方法を二つご紹介します。一つは世界を知るという方法です。言葉は現実の世界と独立して存在しているわけではありません。現実世界の反映として、現実世界と結びつく形で存在しています。
 パソコンや携帯で送りあうメールを例に考えてみましょう。今から30年前を考えてみると、パソコン通信が始まったばかりで、ほとんどの人がメールというものを知りませんでした。ところが、メールの世界が発達し、私たちがそれになじむにつれて、メールに関わる言葉が自然と口をついて出るようになってきています。
 私は朝パソコンを開けると、まずメールをチェックします。誰かに連絡する必要がある場合、メールを「作成」し、メールに「件名」をつけ、「宛先」を選び、関係者を「CC」に入れ、ファイルを「添付」し、「送信」ボタンを押します。それが終わると、受信ボタンを押してメールを「受信」します。受信トレイにある「未読」メールを確認し、必要であればそれに「返信」したり、関係者に「転送」したりします。一方、誰から届いたかわからない怪しい「迷惑メール」は「削除」します。
 メールの送受信をめぐるこうした一連の言葉は、30年前はおそらくほとんどの人が知らなかったでしょうが、私たちはメールの世界に触れるなかで、語彙の数を増やすことに自然と成功しているのです。私たちは世界と言葉のつながりを、自分自身の現実の経験をとおして、また、読書という架空の経験をとおして学ぶことができるのです。
 さて、語彙の数を増やす方法をもう一つ、今度は言葉にそくして考えてみましょう。それは、類義語を増やすという方法です。
 今、みなさんが部屋の天井をふと見上げると、「電気」がついているかもしれません。この「電気」を別の語で言い換えられないか、考えてみてください。「明かり」という和風の言葉や「ライト」という洋風の言葉がまず思い浮かびます。「照明」や「蛍光灯」という、電器店などで見かける専門的な言い方を思いついた方もいるでしょう。こんなふうに、「電気」を表す言葉には「明かり」「ライト」「照明」「蛍光灯」などさまざまな似た意味の言葉、類義語があります。こうした類義語に詳しくなると、語彙の数を効率よく増やすことができます。
 類義語を考える場合、ポイントになるのが、和語、漢語、外来語という語種です。和語は日本固有の語で、漢字だと訓読みになる言葉です。漢語は昔中国から伝わった語が中心で、音読みになる言葉です。外来語は近年海外、とくに英語から入ってきた語が中心で、片仮名で書かれる言葉です。「電気」で言うと、「明かり」が和語、「照明」が漢語、「ライト」が外来語です。この語種という物差しを当てると、類義語を考えるのが楽になります。
 以上見てきたように、語彙の数を増やすには、世界を知ることと類義語を増やすこと、この二つが有効です。
では、つぎに、語彙力の質的な側面、語彙を使いこなす方法を考えてみましょう。語彙の運用を考えるうえで大切なのが、文脈に合った言葉を選ぶことです。このことを、理解と表現という二つの面から考えてみましょう。
 文章の理解を考える場合、文脈に合った意味を選ぶことが重要です。「体調が悪いので、お酒を控えている」の「控える」はどんな意味でしょうか。これは控えめの「控え」で、節制する、自粛するという意味を表します。また、「念のため、お名前を控えさせていただきます」の「控える」はどうでしょうか。これは領収書の「控え」と同じで、メモする、書き取るという意味でしょう。さらに、「子役の俳優が、出番を控えて緊張している」はどうでしょうか。これは控え室の「控え」で、待つ、待機するという意味になります。
 「控える」のように同じ形で複数の意味を持つ言葉を多義語と言いますが、こうした多義語で難しいのが、近年急増している外来語です。たとえば、「旅行の写真をブログにアップした」の「アップ」はアップロード、「映画のラストシーンで主役の俳優がアップになった」の「アップ」はクローズアップ、「試合の後半になって、控え選手がアップを始めた」の「アップ」はウォーミングアップです。ソフトクリームもソフトボールもソフトコンタクトレンズもすべて「ソフト」ですし、コーヒーやジョーク、企業に使われる「ブラック」などもやっかいで、外来語の略語の理解には、高い語彙力が必要になります。
 一方、理解の反対の表現を考える場合、「電気」の話でお示しした類義語というもののなかから、文脈に合った形を的確に選びだせる力が必要です。ゴミ出しを例に考えてみましょう。燃やせるゴミと燃やせないゴミに分けて出すとき、ゴミを「分類する」と言うのはおかしいでしょう。ゴミを「分別する」と言わないと文脈に合いません。また、燃やせるゴミと燃やせないゴミはふつう清掃業者が「収集」に来ますが、リサイクル可能なものはどうでしょうか。「収集」ではなく「回収」に来ると思います。さらに、引っ越しのときに要らなくなったものをまとめて捨てる場合はどのように言ったらよいでしょうか。不用品を「廃棄する」でもよいのですが、「処分する」というと、まとめて捨てる感じが出てしっくりきます。
 このように、多義語ではどの意味を選ぶか、類義語ではどの形を選ぶかに、その人の言葉のセンスが表れます。言葉をたくさん知っていさえすれば語彙力が高くなるというのは幻想です。知識の量だけでなく、文脈に合わせて適切な語を選ぶという運用力が備わって初めて、真の語彙力が身についたことになるのです。

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