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「待機児童問題と保育の『質』」(視点・論点)

日本総研 主任研究員 池本 美香

保育園に落ちたというブログが国会で取り上げられたことをきっかけに、待機児童問題がこれまでになく注目を集めています。待機児童数は7年連続で2万人を超えています。政府は2001年に「待機児童ゼロ」を打ち出し、この10年で保育所の定員は50万人も増えました。しかし、それ以上に、共働きや一人親など、保育所を必要とする子どもが増えています。

政府は先月末、緊急的な待機児童解消策を打ち出しましたが、その内容は、国の基準より手厚い保育を行っている自治体に、基準を緩和して一人でも多く子どもを受け入れるよう要請する、といったもので、安全の確保や活動の豊かさといった「質」の低下が懸念されています。ただでさえ、短期間に保育所を増やしてきたため、現場では経験の浅い保育士が増えていて、保育士による虐待や保育所での死亡事故など、深刻な事例も報道されています。
 
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毎年10数人の子どもが保育施設で亡くなっており、この10年間に死亡した子どもはあわせて150人近くに上っています。特に国や自治体が認可も補助もしていない認可外保育施設において、死亡事故が多くなっています。
私自身も5年前に息子が待機児童となり、認可外保育施設に預けるしかなく、その質が本当に心配でした。その後認可保育所に入ることができましたが、階段から落ちて頭を打ったり、アレルギーのある食材を食べてじんましんがでたりと、認可保育所なら安心というわけではありません。
認可保育所でも、治療に要する期間が30日以上の重篤な事故が、昨年4月から12月の間に342件も報告されています。
保育所に入れても、その質に不安があれば、親は安心して働けません。
入れる保育所があっても、預ける気になれないと職場復帰をあきらめる人もいます。待機児童問題については、量の拡大だけでなく、保育の「質」の維持、向上に向けた検討が不可欠です。

海外ではすでに、保育の質を確保するための取り組みが活発化しています。その背景には2つのきっかけがあります。一つは、国連で子どもの権利条約が採択されたこと、もう一つはノーベル経済学賞を受賞したシカゴ大学のヘックマン教授が「保育への投資はリターンが大きい」という研究結果を出したことです。
一つ目の子どもの権利条約は、安全・安心に加え、教育、遊びやレクリエーション、意見表明など、子どもに幅広い権利を認めるものです。海外ではこの条約に沿って政策が検討されているため、保育政策についても「働く親が子どもを預ける場所があるか」ではなく、まず「保育が子どもにとってふさわしいものとなっているか」が検討されます。すべての乳幼児に質の高い教育を保障するという観点から、保育所を学校と同列の教育機関と位置づけ、学校を担当する省庁が保育所を所管する国も増えています。親の仕事の有無にかかわらず、すべての子どもに保育所を利用する権利があり、親の所得にかかわらず利用できるように、幼児教育の無償化を進める国もあります。

保育の質が重視されることとなったもう一つのきっかけは、幼児期の教育の質が、学校教育の効率性を左右するというヘックマン教授の研究です。質の高い幼児教育を受けた子どもは、その後の学力が高いことや、成人したあとの所得が高いことなどがわかりました。これは幼児教育を通じて意欲や自尊心、創造性などの非認知能力が高まるためだと考えられています。成人になってから事後的に補助するよりも、予防的に幼児期に投資する方が、財政への負担が少ないと考えられるようになっています。ヘックマン教授の研究を背景に、海外では保育の質向上のための財源の確保に国民の合意が得られ、幼児教育への公的投資が増えています。

では、具体的に、海外ではどのようにして保育の質を確保しているのでしょうか。日本ではあまり検討されていない取り組みを3つご紹介します。
 
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第一に、保育士の処遇です。日本の保育士の平均賃金(認可保育所の保育士の約3分の1を占める公立保育所を除く)は、小学校教員の7割弱と少なく、月額で10万円以上も差があります。全産業平均と比べても、大きく下回っています。
これに対して海外では、保育士も教育者としての専門性や、子どもの安全に対する責任といった高度な役割を果たしているとみなされ、幼児期と小学校で教員の賃金格差が小さくなっています。こうした高度な役割を果たせる保育士の育成に向けて、保育士に免許の更新を義務付けたり、保育士養成校の質をチェックする国もあります。
第二に、園の運営についての評価です。日本では国が自治体に対して、年に一度は園を訪問して質をチェックするよう求めていますが、施設数が急増している自治体では数年に一度の訪問しか行われていません。外部の専門家による第三者評価も、義務付けではないため、2013年度に第三者評価を受けた保育所は5%にすぎません。
これに対して海外では、国の評価機関が全国すべての施設を定期的に訪問して評価し、その結果をホームページで一元的に公表する取り組みがあります。たとえばイギリスでは、すべての園の評価レポートがホームページに掲載されていて、親にとって、保育所選びの際の貴重な情報源となっています。全国の園の評価結果が国に集約されるため、全国の保育の質の変化や地域別の状況も把握でき、政策の見直しにも役立ちます。好事例もホームページで紹介されるので、各園がそれを見て自らの運営の改善を図ることもできます。
第三に、親の参画です。海外では、国の評価機関による訪問だけで質を確保することは難しいため、保育の質にもっとも関心が高い親に、日常的に保育の質をチェックしてもらうという考え方が見られます。親の役割として、気になることがあればすぐに園と相談すること、それでも気になることがあれば、自治体や評価機関に伝えることが期待されています。
親の代表と職員の代表が定期的に集まる運営委員会を、すべての園に設置するよう求め、親の意見やアイディアを質の向上に活かそうとする国もあります。さらには、保育士不足や財源不足を補うために、親が交替で保育士の補助をしたり、大掃除や施設の修繕を親たちで行う例もあります。こうした親の参画は、親同士が親しくなるきっかけにもなっています。
日本は保育の質を、保育士の努力だけで確保しようとする傾向も見られますが、海外の動向をふまえれば、保育の質を高めるためには、保育士の養成の在り方や賃金水準を見直すことが必要です。さらには、実質的に子どもにふさわしい保育が提供されているか、外部の専門家による評価をすべての園に義務付けることや、保育の質の向上に親の力を積極的に活かすことも期待されます。
海外では、保育を子どもにとってふさわしいものとするために、実にきめ細かな配慮が見られます。保育士を採用する際に、過去の犯罪歴などをチェックすることが、多くの国で義務付けられています。園の活動に対して、子どもが意見を表明する権利を、法律に記載する国まであります。財源の制約から質の話を後回しにして、目先の待機児童解消に取り組むより、より長期的な視野を持って、子どもの権利や効果的な公的投資の視点から、
すべての子どもに質の高い保育を保障する方向に、舵を切ることが求められます。また、その方がむしろ、財源確保に向けた合意を得やすいという面もあると思います。

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