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「歌を共有する心」(視点・論点)

歌人 永田 和宏

 私はもう50年近くも歌、短歌を作ってきたことになります。
考えてみますと、一三〇〇年以上前に生まれた詩型が、和歌そして短歌として受け継がれ、現在進行形で作り続けられている、そのこと自体、世界的にみても他に例を見ないものであります。どの新聞にも短歌俳句の欄があり、そこにごく普通の人々が投稿をする。そんな国はどこにもありません。

そして、年に一度、宮中歌会始が催されます。国民に開かれた行事として、誰もが同じ題で歌を詠み、詠進する。それらが、皇族の歌と同じ場で披講される。今では国民と皇室をつなぐ行事の一つとして定着していますが、このような形でひとつの詩形式が国民に共有されている例も、また世界にはないと言っていいと思います。

実は私は、もう10年以上前から、この歌会始の選者もしております。今年、1月の歌会始のお題は「人」でしたが、私はこんな歌を詠進いたしました。

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 二人ゐて楽しい筈の人生の筈がわたしを置いて去りにき           永田 和宏

 ちょっと説明しづらい歌ですが、「筈」がひとつのキーワードになっています。「わかってくれる筈」とか、「できる筈」とか、ごく普通に使われる「筈」ですが、本来、弓の両端にあって、弦を掛ける部分を言うんですね。この筈と弦がうまく合わなければ矢は飛ばず、それがうまく合うということから「当然のこと、道理、わけ」という意味になったんだそうです。

 あなたと二人いれば、あるいは二人いればこそ、これからが楽しい人生の後半生となる筈だったのに、あなたは私を置いて逝ってしまった。その「筈」に私は置いてきぼりを食ってしまった、そんな意味の歌です。私を置いて、逝ってしまった人、それは私の妻、歌人の河野裕子です。
 
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 新聞に発表されますと、多くの方から感想をいただき、泣いてしまったという感想も多くてこちらが驚きました。歌に反応があるということはいつもうれしいことですし、この歌の場合も、そのままで受け取っていただき、それで心を動かされたと感想をいただければ十分なのですが、実は、この一首は、河野裕子が亡くなる少し前の一首を本歌とした、一種の本歌取りのつもりで作った歌でありました。

 河野の歌は、遺歌集となった『蟬声』のなかにあります。
 
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 これからが楽しい筈の人生の筈につかまりとにかく今日の一日    河野 裕子『蟬声』

 この歌を作ったころ、河野は乳がんの再発後、一年余りのときで、いよいよ抗癌剤が効かなくなってきた頃でした。
 
河野の「これからが」には、子供たちがそれぞれに独立したあとの人生の後半を、連れ合いと一緒に楽しく生きる筈だったという思いがあっただろうと思います。ちょうど家を建て替えて、彼女の仕事部屋なども作ったところでした。その部屋をとても気に入っていましたが、そんな「人生、これから」という筈だったのに、という思いがあっただろうと思います。

「これからが楽しい筈の人生」、だからその「筈」になんとか掴まって、不如意な「今日の一日」をやり過ごそうとしているように見えます。
「筈」が少しも「筈」ではなかったことの悲しさ。必死にその「筈」に掴って、一日一日をやり過ごそうとしていた彼女の健気さ。その思いをなんとかもう一度救い上げてみたかった。それが、私の一首をなす作歌の動機であったのかもしれません。

河野にとっては「これからが楽しい筈の人生」であったのでしょうが、私にとっては「二人ゐて」こそ「楽しい筈の人生」なのだと、彼女に言ってやりたかったのかもしれません。私の歌から、もし河野の一首をちらっとでも思い浮かべてくれる読者があれば、私の一首には、もう少し深い陰翳を感じとっていただけるのではないかと思います。
    
和歌、短歌という詩型では、それが短いがゆえに多くのイメージを一首のなかで重ね合わせることはできません。そんな制約のなかで、あらかじめ読者が記憶している先人の歌、あるいは古歌を〈引用〉しつつ、そのイメージを重ねながら、自らの表現あるいは情調を複雑化、立体化、重層化しようとするのが「本歌取り」と言われる手法です。

もう少しその本質について考えてみますと、それは表現手法として便利だ、効果的だという他に、根本には先人の作った歌に対する敬意と言ったものがあったと思われます。単に先の歌を利用すると言うだけではなくて、誰か他の歌人が作った歌が好きで、そのイメージに自分を重ねながら、そこに自分の思いを付け加える。そんな歌への尊敬の思い、先の人が作った歌を大切にしたいという思いが強くあっただろうと思うのです。

現代においても、月々何万首もの歌が作られています。しかし、作るだけで、それが誰にも記憶されないで消えていくだけでは、あまりにも情けないことです。

私は先に、『近代秀歌』という新書本を出しました。これは近代の歌百首を取り上げたものですが、そこには一つのメッセージがありました。それは、たとえあなたが歌人でなくても、歌を作っていなくても、近代の歌人たちが遺したこんな素晴らしい歌に一度くらいは接してほしい。そしてできればそのうちの何首かでも記憶し、口ずさんでほしいという思いからです。

歌は本棚の奥にしまっておいては宝の持ち腐れだと思うのです。歌は生活のさまざまの場で口ずさまれ、語られることによってのみ、次の世代に受け継がれてゆく。さまざまの場で思い出してやってこそ、生き生きとした表情を保ちつづけるのだと思います。それが歌を大切にするということであり、大切にするとは、すなわち歌をみんなが共有するということに他ならないと思うのです。
たとえば銀杏の葉が散る風景に出会ったとき、

  金色のちひさき鳥のかたちして銀杏ちるなり夕日の岡に       与謝野晶子 『恋衣』

という与謝野晶子の歌が口を衝く。友人と酒を飲みながら、ふと

  白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけり     若山 牧水 『路上』

という若山牧水のフレーズがちらっと頭をかすめ、それから酒飲みの牧水の話をする。

なにも歌一首をすべて覚えている必要はないのです。歌の断片でもいい、そんな日常の場に歌が顔を見せるということがあれば、歌にとってこんな幸せな思い出され方はないのではないでしょうか。それが歌を大切にするということだと思うのです。
道端を歩いていて、ふとその道端の草に目が行く。もしその草の名前を知っていたら、それだけでその風景は違ったものになるはずです。同じように、日常生活の中で、ふと歌一首が思いだされる。そんなことがあれば間違いなく、その時のあなたはちょっと豊かな気分になるはずです。
できるだけ多くの人が、歌を覚え、日常生活の中で折に触れてそれを思い出していただきたいと思っています。

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