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視点・論点 「いま アメリカで何が起きているか」

慶應義塾大学 教授 渡辺 靖

 今、アメリカ合衆国に関して、最も注目を集めているのは不動産王ドナルド・トランプ氏が本当に大統領になるのかどうかという点でしょう。
 トランプ氏は、3月1日に11の州で一斉に行われた予備選挙、いわゆるスーパーチューズデーでも7つの州を制し、目下、共和党の候補者指名争いの首位を独走しています。
 その一方、メキシコからの不法移民やイスラム教徒などへの排外主義的発言が物議を醸すなど、指導者としての資質に対する不安も高まっています。トランプ氏に対する抗議活動も頻発しており、トランプ氏の支持者との間でもみ合いになる様子が連日のように報じられています。
 では、一体、何故、トランプ氏はこれほどまでに人気を博しているのでしょうか。

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 その理由の一つにアメリカ国民の政治不信があります。
 最近の調査によると、アメリカが正しい方向に進んでいると考えているアメリカ国民は25%に過ぎません。
 また、連邦政府、いわゆる「ワシントン」に信頼感を抱いているアメリカ国民はわずか19%、1958年の77%と比べると著しい低水準にあります。

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 「政治家は綺麗事や建前ばかりを並べている」
 「利益団体の言うことばかりに耳を傾けている」
 ワシントンの既成政治、あるいは職業政治家への憤りが募っているのです。
 それゆえ、トランプ氏のように公職経験がないこと、つまりワシントンのアウトサイダーであることは、むしろプラスに作用します。
 そして、ワシントンの常識に囚われることなく、挑発的な言動を繰り返すトランプ氏の大胆不敵さや度胸こそは、ワシントンの政治文化を変えてくれるのではないかと期待を集めているのです。
 興味深いことに、大手メディアもワシントンの一部と見なされており、大手メディアがトランプ氏の言動を批判するたびに、かえってトランプ氏の人気が高まるというねじれた現象が生じています。
 加えて、アメリカ有数の富豪であるトランプ氏は選挙資金を自己調達できるため、利益団体からの献金に頼る必要はありません。
 また、長年、テレビの人気番組の司会者として抜群の知名度を誇っていることもトランプ氏に有利に働いています。
 昨年6月に立候補を表明して以来、連日メディアがトランプ氏の動向を取り上げるため、トランプ氏はほとんど無料で自分の主張を全米に届けることが出来ています。
 トランプ氏の人気を考えるうえで、もう一つ大切なのは、一体、誰がトランプ氏を支持しているかという点です。
 ワシントンに不満を抱く有権者の受け皿として、現在、トランプ氏の人気は社会の幅広い層に浸透しています。
 しかし、その中心は「プア・ホワイト」と言われる、白人の労働者層・貧困層にあるとされています。
 アメリカでは白人の人口が減少傾向にあり、2043年には人口の50%を割り込むとされています。
 加えて、経済格差が拡大するなか、中間層の先細りが大きな問題となっています。
 分厚い中間層の存在こそはアメリカの発展や市民社会を支えてきた礎だからです。
 こうした変化は、とりわけ「プア・ホワイト」にとっては厳しい現実を意味します。
 「学校や職場でも、ヒスパニック系やアフリカ系などマイノリティばかりが優遇されているのではないか」
 「なぜ不法移民の世話のために、自分たちの税金が使われなければならないのか」
 「親の世代よりも自分たちの暮らし向きは悪くなるのではないか」
 「アメリカン・ドリームなどもはや幻想なのではないか」
 こうした怒りや不安を抱く「プア・ホワイト」にとって、トランプ氏の掲げる主張は魅力的です。
 トランプ氏は、例えば、不法移民を全員強制送還し、メキシコとの国境に高い壁を作り、その費用をメキシコに払わせると唱えています。
 そして、アメリカの雇用を奪うとしてTPPに反対する一方で、富裕層への課税を強化し、社会福祉を拡充するとも主張しています。
 どれも「プア・ホワイト」の心に響きやすいものです。
 もちろん、例えば、全米に1100万人いるとされる不法移民を全員強制送還することは容易ではありません。
 不法移民によって支えられている産業も少なくなく、ビジネス界からの反発も予想されます。
 しかし、選挙戦の今の段階では、政策の具体的な実現可能性よりも、有権者の不満や不安を理解し、自分こそは解決できる候補者であることを訴えることが重要です。
 振り返ってみれば、2008年の大統領選で旋風を巻き起こしたオバマ大統領も、当時の今頃は「一つのアメリカ」「チェンジ」「Yes, We Can」といったフレーズが注目を集めていましたが、政策の中身は曖昧でした。
 トランプ氏の日本をめぐる発言などについても、選挙戦の今の段階では神経質になる必要はないと私は考えています。
 ただ、いくら「プア・ホワイト」の望む主張といえ、例えば、シリア難民の強制送還やイスラム教徒の入国禁止を訴えたり、テロ容疑者への拷問や家族らの殺害を支持するなど、トランプ氏の言動がしばしばあまりに過激で、非人道的との批判も強いです。
 また、メキシコとの国境に壁を作るという発想に象徴されるように、アメリカの周りに壁を作り、国際社会からの孤立傾向を強めるのではないかとの懸念もあります。
 一般に、中間層の力が弱くなると、社会全体としての余裕がなくなり、国内的には排外主義の傾向が強くなり、対外的には内向きになり孤立主義の傾向が強まるとされています。
 トランプ氏の政策に関しては、単にトランプ氏個人の資質の問題としてではなく、社会変化に伴う問題として捉える視点も大切だと私は考えます。
 そして、同じく中間層の先細りが懸念される日本や欧州など先進国に共通する課題であるとも考えています。
 トランプ氏には身内である共和党内からも反発の声が挙がっています。
 イラク戦争やTPPに反対し、富裕層への課税強化や社会福祉の拡充を支持するなど、これまでの共和党の基本方針と矛盾する主張を唱えているわけですから当然です。
 加えて、2009年までは民主党員で、しかも政治経験は皆無の人物が「共和党の顔」になりつつあるのです。
 共和党の指導部は、このままでは11月の大統領選本戦はおろか、同時に行われる連邦議会選挙でも民主党に敗れてしまいかねないと、「トランプ降ろし」の動きを活発化しています。
 正式な党の候補者指名には過半数の代議員の獲得が必要ですが、共和党の指導部としては、何とかそれだけは阻止し、7月の党大会での決選投票に持ち込みたいところでしょう。
 なかには「トランプ氏は共和党のフランケンシュタインであり、国を救うためには(民主党の)ヒラリー・クリントン(元国務長官)に投票するしかない」と有力紙に寄稿する共和党内の有識者まで現れ始めています。
 しかし、指導部がトランプ氏への圧力を強めれば強めるほど、ワシントンや職業政治家に反旗を翻しているトランプ氏の支持者は盛り上がります。
 指導部にとってはまさに頭の痛い問題です。
 トランプ氏の躍進は「共和党」という党の根幹を揺さぶっています。
 そして、それは政治不信や中間層の先細りといったアメリカ社会の抱える問題の写し鏡でもあります。
 アメリカ時間の3月15日には5つの州で一斉に予備選が行われますが、オハイオ州とフロリダ州をトランプ氏が制すれば、代議員の過半数獲得が現実味を帯びてくるため、その結果に注目が集まっています。
 最後に、民主党ですが、こちらはヒラリー・クリントン氏が候補者指名を獲得する公算がほぼ確実な情勢です。

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 ただ、白人層や若年層からの支持が弱い、新鮮味がない、正直さに欠ける、ウォール街の利益団体との距離が近すぎる、といった課題も浮かび上がっています。
 仮にトランプ氏との一騎打ちになって、「クリントン氏はワシントンの職業政治家の典型だ」と攻撃された場合、彼女の経験や実績がマイナスに作用する可能性もあります。
 今後の大統領選の展開を読み解くためには、アメリカ社会を取り巻くこうした状況を頭に入れておく必要があるでしょう。

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