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視点・論点 「シリーズ・東日本大震災5年 人を救うのは人」

NPO法人よろず相談室代表 牧 秀一

2011年に起きた東日本大震災の被災者は、仮設住宅から復興住宅への入居が進んでいます。私は、東北の復興住宅の高齢化は、すぐに21年が経過した阪神の復興住宅の現状に追いつき、同じ問題が突きつけられるのではないかと危惧しています。
きょうは、阪神・淡路大震災をきっかけに始めた被災者への支援活動についてと東北の復興に向けて何が必要かについてお話します。

阪神・淡路大震災当時、神戸市にある私の自宅は音を立てて激しく揺れ、ゆがんでいきました。このまま自宅が崩壊すると思い、死を覚悟したその直後に揺れは治まり助かりました。あの時の恐怖は忘れることはないでしょう。
 夜間高校の数学教師だった私は学校が避難場所となったこと、自宅と学校間の町並みが壊滅状態となり勤務が困難となったことで、約2週間、自宅近くの避難所でボランティア活動に専念することを校長に申し出て許されました。その後も定年退職するまで勤務に支障のない範囲でボランティア活動を続け、それは21年経った今も続けています。
 現在、震災にあった独り暮らしの高齢者らを支援しているNPO法人「よろず相談室」の原型は、震災直後のこの避難所での活動にあります。活動内容は(1)今後の生活、不安、悩みについて個人的な相談に乗ること(2)「よろず新聞」を作り身近な生活情報(義援金の受け取り方、開業している病院、風邪の予防方法など)を毎晩、各部屋の避難者に届け説明することで、顔を覚えてもらい人間関係を作ること―を主な活動内容としました。
 現在のよろず相談室の活動は、(1)復興住宅に住む震災高齢者への訪問活動(2)震災障害者の集いと問題提起(3)識字教室(4)全国から送られてくる月約200通の手紙を東日本と阪神の被災者に届ける手紙支援(5)東日本の被災地支援などです。
 東日本大震災の被災地へは、「よろず相談室」は震災1か月後から支援を始めました。支援活動の条件は「神戸の活動を捨てないこと」「細く長く支援し続けること」としました。数か所を幾度も訪問し、信頼関係を築く活動を心掛けています。私たちはこの5年間で福島県いわき市、宮城県石巻市、気仙沼市など東北の被災地を約50回訪れています。

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 実は、初めて南三陸の惨状を見たとき、「私たちには何もできない」と仙台まで帰りました。しかし、ここまで来たのだからと翌日、ボランティアが行っていないという石巻市内の避難所を訪問、これから先どうすればいいのか悩んでいる人々の話にひたすら耳を傾けました。それから月1度、「また来たよ」と石巻と気仙沼の避難所・仮設住宅を訪問。人と出会い、共に悩み、一人ではないと伝え続けました。
 被災地に住む多くの人は、職場を失い、遠く離れた所でしか働くことができません。また、故郷に帰ることができなくなった若い世代が多いのです。したがって、地元では高齢者の割合が増加し、超高齢社会となっています。
 活動内容は、仮設住宅で話を聞くだけでなく、被災地の子ども支援、神戸の教訓を伝え被災地の「支援者への支援」も行っています。
活動を共にする大学生のチンドン屋は、にぎやかな楽器と衣装で被災地を元気づけ、音楽隊の心染み入る音色は、被災地を優しく包みます。「また来て―」の声を全身に浴びて、チンドン屋と音楽隊は、そこに住む人々との再会を約束しています。
 
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 6年目を迎える東北の被災地は、復旧・復興工事が遅々として進まず、また、復興住宅の入居時期が遅れ、被災者は「来年○月入居予定だが、一体いつになるやら・・・」と疲れているのが現状です。東北の被災地は、閉塞感に包まれていると感じています。
 私は、厳しい現実を抱える東北から目をそらすつもりはありませんが、活動継続の不安も抱えています。それは、神戸の活動が多岐にわたるにも拘わらず、メンバー全員が社会人であることで活動時間が制約されること、そのためのマンパワー不足、および活動費用の問題を抱えているからです。
さて、ここからは、これまでの21年間の活動を通し「心のケア」「訪問活動」について実感した出来事をお話します。
 私は「心のケア」に専門家は必要だが、最後の砦なのだと考えています。
 弟2人を失い、母が震災障害者となった少年は「僕は不登校になりました。でも仮設で一緒に遊んでくれた大学生のお兄ちゃん、お姉ちゃんのおかげで自然と学校に行くことができました」と話しました。また、両親を亡くし、離れ離れの生活を余儀なくされた姉妹は「私はキャンプファイヤーなど楽しい思い出をいっぱい大学生たちに残してもらい、救われました」と振り返り語りました。
 傷ついた人にとって「楽しい思い出」は、悲しみを乗り越え生きていく力を与えることだと思います。また、その力はわれわれのように普通の人から得られるのだと気づかされました。
次に、「訪問活動」は、肩ひじ張ってこうしなければならないと思い過ぎてはなりません。気負うことで支援者は頑張りすぎ、そこから義務感が生まれ苦痛になるからです。「何をするのでもなく、なんとなく、ずっとそばにいる」。このことが支援者・当事者の距離を近づける。本音の会話が生まれ、心身が癒されるのです。
 行政の施策は、見回り支援などいくつかありますが、安否確認の域を超えることはありません。「生きているか死んでいるか」ではなく、「今日も楽しかった」と思ってもらえるような訪問のあり方が、なにより重要なのだと思います。
 東日本大震災の仮設住宅に住む高齢者は「何もいらないけど、話し相手が欲しい」と言いました。
 ボランティアや行政による訪問活動や見回り活動だけで十分だと思えないことが目立ちます。それは、自治会活動の衰退であったり、近所付き合いがなく電球を替えられず困っている人が増加していたりすることなどです。日々生活する上で欠かせないことばかりです。
震災被災者にとってこれまでの年月は、どのような人生の歩みだったのでしょうか。疲れ果てた震災障害者・震災高齢者が、これからの日々を有意義だと思えるために、私たちは何をしなければならないのでしょうか。
 東日本では、復興住宅の高齢化率はすぐに阪神を上回ります。支援のあり方は、地元の行政・社協・市民・ボランティアが一体となる必要があります。そのためには、まず個人情報の壁を低くする必要があると思います。
少なくとも行政とボランティアが互いにできぬことを補い合い協力しなければ、被災地の非常事態を抜け出すことはできません。
 私たち被災地に住む行政とボランティアに課せられた重い課題です。

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