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視点・論点 「温泉文化の原点」

温泉評論家 石川 理夫
             
 日本人にとって温泉はとても身近な存在で、親しまれています。温泉は心とからだを温め、疲れやストレスを和らげます。そして温泉地に滞在すると深い安らぎ、解放感を味わえます。そうであるのに、ある意味温泉ほど軽く見なされ、また全体的な研究もされてこなかったものは少ない、と私は感じてきました。
 しかし日本人は、昔から温泉をただ娯楽・慰安の対象とばかり見ていたわけではありません。

じつはそうした見方は比較的新しい、近代の所産です。温泉が湧く土地の人々が長い時間をかけて温泉とかかわる中で形成された<温泉地>の歴史、温泉文化と向き合うと、人々がどれほど深く温泉に敬虔な思いを抱いてきたか、理解できます。そこから私は、温泉地の存在意義、今日的な価値というものを再評価できるのではないかと考えています。

 地中深くボーリングして温泉を得る現代と異なり、本来温泉はすべて自然に湧き出てくる<自然湧出泉>でした。地下から不思議な温かさを保ち、独特の湯の香や味わい、堆積物を伴う温泉・鉱泉の湧出は、人智を超えた神秘的な現象と考えられ、畏怖・畏敬の対象でした。ヨーロッパ大陸の先住民ケルト人は、大地から湧き出る温泉や泉にそれぞれ固有の名前を持つ神の存在を認め、その多くは女神でした。温泉や泉は、他界・地下に住む神々との交信の場、と考えられていたようです。
 神が居る場ですから、温泉や泉は聖なる場、聖地とみなされました。それは宗教的な聖地とは性格が異なります。温泉や泉は、それを飲んだり浴びたりするうちに心身のさまざまな痛みや症状が緩和するという癒しの力、<治癒力>を秘めていることに人は気づきました。つまり温泉は「治癒力を伴う聖地」とみなされたので、人々はひときわ敬虔な、感謝の気持ちを温泉の湧く場所に寄せたのです。

 ヨーロッパの温泉地や泉からは、ケルト時代から古代ローマ帝国時代にかけて、人々が温泉や泉の女神に捧げた奉納物が多数出土しています。奉納物から、人々がどのような願い事を託したのかが、わかります。フランス・セーヌ川の源となる泉からは、手足や頭、胸、目や性器、内臓の正確なレリーフなど、人体の一部をオークの木でかたどったもの、目の見えない少女像などが出土しています。
 
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つまり人々の願いの大半は、温泉や泉の神がもたらしてくれると信じる治癒力にかかわっていました。    
 日本でも人々が温泉にどのような思いで接してきたかを、文献が伝えてくれます。
 奈良時代前期の『出雲国(いずものくに)風土記』には、島根県玉造温泉や出雲湯村温泉を、「ひとたび湯を浴びれば端正な美しい姿になり、再び湯浴みすればどんな病も治る」ので、出雲湯村温泉を「薬湯」、玉造温泉を「土地の者は『神の湯』と称えている」と書き記しています。
 
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 平安時代に右大臣・藤原宗忠は熊野詣での際、和歌山県湯の峰温泉の自然湧出湯壺「つぼ湯」で湯浴みした感動を「この湯に浴すれば万病を消除するといわれる」「これは神の験(しるし)にほかならない」と日記『中右記』につづっています。

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 温泉の神秘的な湧出現象と恵みに対する畏敬と感謝の思いが、日本でも温泉信仰を育みました。歴史ある温泉地の湯元=泉源を見守る場所に建つ温泉神社や温泉寺、薬師堂はその表れで、日本の温泉文化と温泉地をかたちづくる基となっています。
 
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江戸時代に民俗地誌学者の菅江真澄は、蝦夷地(北海道)の温泉場ではアイヌの人々が、北東北地方でも多くの温泉地に「湯の神」が神仏習合でまつられていたことを記録しています。                         
 温泉信仰は今では無くなってしまったわけではありません。別府をはじめ大分県の温泉地では、共同浴場の入口や脇に「人々を病から救う仏」とされる薬師如来がまつられ、地元住民はまず手を合わせてから入浴しています。温泉利用の根っ子に、温泉がもたらす恵み、喜びへの感謝、慈しみの気持が今も流れていることがうかがえます。
 
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 温泉地が人を癒す聖なる場、治癒力の聖地であったことは、温泉地にもうひとつ新たな固有の特性を生みました。温泉地はどんな人でも受け容れ、安らぎ、癒される場ですから、何より平穏・平和な場でなければなりません。つまり戦のさなかでも敵味方なく受け容れ、傷や病気を治す湯治場であり、平和な癒しの避難所(アジール)とみなされたのです。
 アジールとは、元はギリシア語で「不可侵」を意味する言葉で、古代ギリシアのポリスの中心にあったパルテノンのような神殿が典型的にアジールと認められ、そこに逃げ込んだ人を捕まえることはできませんでした。同じように日本の縁切寺もアジールと考えられます。ドイツ語のアジールは「避難所、逃げ込み場、憩いの場所、平和領域、聖域」といった、関連する広い概念をはらんでいます。
 中世ヨーロッパの共同浴場は平和の場、アジールとみなされ、日本でも南北朝時代の書物(『源威集』)に、京の都で「合戦がない日は、敵も味方もなく湯屋に集っては、世間話をして過ごし、何の問題も生じなかった」と記されています。
新大陸アメリカのネイティブ・アメリカン諸族も、温泉場を偉大な聖霊(神)が居る「治療の聖地」とみなし、部族間の戦争のさなかでも「温泉場では決して争ってはならない」と合意し、互いの戦士の傷を癒していました。                          
 戦国時代に現在の石川県加賀温泉郷の山中温泉や箱根の底倉温泉に戦国大名や太閤秀吉が、「温泉場では軍勢が乱暴狼藉を働いてはならない」という禁制を出し、湯治場の平穏・平和を守らせています。

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ヨーロッパでは18世紀半ばの七年戦争の最中に、ハプスブルク家オーストリアとプロイセンという戦争当事国同士が、温泉地にかかわる画期的な国際協定を取り交わしています。それは現在のチェコとポーランドにまたがる4カ所の温泉保養地を「平和な中立地帯」と定めて、傷病兵の療養を互いに認め合ったのです。

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 これは例外的な事実ではなく、その後19世紀のナポレオン戦争の最中にも温泉地の中立平和を保証する保護状が出されています。じつは温泉地にかかわるこうした歴史、実績が国際赤十字創設に貢献したことも忘れてはならないと思います。そしてまた、先の戦争の時にも温泉地は集団学童疎開の場となり、また傷病兵士の療養所となりました。
 ふりかえれば、3.11のとき第二次・第三次避難所として温泉地・温泉宿は被災者の方々を温かく受け容れました。とくに以前から三陸地方の湯治客が多かった北東北の自炊湯治場は長期滞在が可能で、多くの被災者の方々に喜ばれたといいます。
このように平和な癒しの避難所、アジールとしての温泉地の存在意義は、過去のものではなく、これからも大切です。温泉文化の原点、温泉地の歴史を見つめ直すことで、温泉に対する私たちの慈しみの思いを新たにしていただければと思います。

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