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視点・論点 「師匠と弟子」

落語家 立川 談四楼

現在落語家は東西で850人ほどおります。いかがでございましょう、ご想像と、多かったでしょうか、少なかったでしょうか。これは空前絶後の多さでございまして、私が入門してからでも倍増、三倍とは言いませんが、そのくらい増えているのでございます。平成第二次落語ブームと言われている所以なんでございますけれども。その内訳は、東京、関東に500人強、そして関西、上方に300人強ということで、およそ850人と、こういうことなんでございますが、すべてが師匠に弟子入りをして芸名をもらい、そして身の回りの世話をはじめ、楽屋修行、前座修行というものをして、一人前の落語家になっていくわけでございます。

つまりこの弟子入りをする、そして修行をすると、こういう人たちをプロの落語家と言っているわけでございまして、例えばものすごく達者な人がいて、もうお客様の前で落語をやるとわんわんうけて、それでお金になって食えている。でも弟子入りはしてないし、修行もしてないという人は、残念ながら落語家ではないのでございますね。
いわゆる入門ということでございますね、我々は会社に入るわけではございません。入社でなく入学でなく入門という、つまりこの仏門に入るとか言いますね、門を叩くとかもい言います。ですからこう何かを得るために何かをこう捨てて入ってくるとこういったニュアンスでございましょうか。
弟子になりますと、付き人時代なんかはいわゆる芸界の約束事ですとか、芸人としてのスタンス、あるいはその生き方を学ぶわけでございますね。
落語の稽古もちろんしてもらうんですけれども、皆さんはよく、「ずっと真打ちになっても稽古をつけてもらえるんですか」とおっしゃるんですが、実はそうではなくて最初だけですね、基礎。最初からプロはいませんから、まぁ二席から三席、五席ほど稽古をつけてもらうんです。基礎を教わるわけですね。そしてまた今度は師匠が、この話はあの師匠がいいから稽古に行ってらっしゃい、この話はあの師匠だという風に、出稽古ということになるんですね。
なぜそういうことになるかと言いますと、惚れてますから、もうもうどんどんどんどん本当は一人の師匠から全部教わりたいんですけれども、そうするとコピーができあがってしまうんですね。コピーは本物をしのぐことができません。そこでちょっと薄める意味もあって、幅広く吸収しなさいよということで、末には、その師匠のDNAを受け継ぎつつオリジナルを作っていくというのが、我々の大きな仕事なんでございます。
 

弟子にしてもらってありがたいといつも思っております。
師匠がいて弟子がいる、その師匠に「あなたはなぜ弟子をとったんですか」と伺いますと必ず、「私も師匠に弟子にしてもらったから」と答えます。
つまり真打ちになると弟子がとれるんですが、真打ちになるということは、つまりいわゆる後進育成の義務が生じると、こういうことでもあるんでございますね。
面倒くさいですよ。そりゃ、弟子をとる段になると、もう面倒くさいんです。イロハからですからね、イチから教えて、物覚えのいいのもいれば悪いのもいる。酒癖の悪いのもいたりなんかする、とゆうようなわけで、デメリットをかかえることなんですが、そうしてもらったわけでございますね、師匠から。
ですからその恩を返すのは我々の世界。師匠ではないんですね、上ではないんです、恩は下に返していくという。ですからこうお弟子さんに返していくという、そういう世界なのでございます。
これを徒弟制と呼んでおりますね、師匠と弟子。落語界はなんとか、これが保っているわけですけれども、漫才という世界がございます。若干崩れつつございますね。
西の方は特に師匠でなく芸能プロダクションが作った養成所というところ、ここからデビューしてくる例が多ございますね。ですからこう師匠がいないのでございますね。東京の漫才師は、若干その徒弟制が残っておりますが、それとても芸能社がたくさんございますから、そこの養成所からデビューするというような例が増えておりまして、落語家とちょっと違いますね。
つまり、芸人を目指しているのか、タレントを目指しているのかという違いがあるのではないかと愚考する次第なんでございますけれども。
この師弟というものは、親子にも例えられるんですね。真打ちの義務、師匠の義務というものは、この弟子を真打ちにするというのが義務でございますから、なった時の喜びというのは大変なものでございまして、その時、「どうです、師匠とお弟子さんで会をやりませんか」なんて言われると、親子会と銘打たれることがあるのでございますね。つまり親子に例えられて、血のつながりはないんですけれども、実際の親子よりも濃いところがあったり、そしてまたその絆が強かったりする部分もあるのでございますね。
この落語界はなんとかその徒弟制を保っているのでございますけれども、なぜならば、まずはお客さんが「そこがいいから、そこが好きなんだよ」とこう言ってくれる。心強いですね。そして我々も考えるのは、そうでなきゃ伝わらないものっていうのがあるんですね。
伝承芸のひとつでございますから、消えつつあるその徒弟制の中でも、徒弟制を崩すと、この我々の世界が崩れてしまうのではないかと、そんな危惧ももっているのでございます。
ものを伝えるのには、対等ではなかなか伝わらない部分があるんでございますね。高いところから低いところへ、こうして伝わっていくものというのが伝統芸ではないかと思っているようなわけなんでございます。
そして、ここのところちょっとおもしろい現象といいましょうか、不思議な現象がございまして、さきほど漫才界はその徒弟制が崩れつつあると申し上げましたけれども、そういう世界、あるいはその、お笑いの、ピン芸人さん、一人でやる芸人ですね。漫談をやっていたとか、そういう人達はなぜかこの落語界に今次々と参入をしてきているという、これどう思われますかね?
つまり彼らは師匠がいなかったんでございますね。徒弟制への憧れも若干あるのではないかと、そう思ったりもしているんです。
既にその世界で実績のある人が、例えば相撲ですと、大学相撲で強かった、町場で強かったなんていう人は、幕下付出とか、そういう制度がありますけれども、我々はないのでございますね。イチから、前座さんから修行をするという、そういう世界になっているのでございます。
そして、今こうテレビをご覧になっている方で、お仕事おもちの方も多いと思うんですが、たまたまその世界が徒弟制でなかった場合ですね、ちょっとこう提言といいますか、おすすめしたいことがあるんです。
それは、自分のこの気持ちの中に心の中に徒弟制を設けてですね、いらっしゃるでしょ、敬愛する人、尊敬する人。身近にいてもよし、映画界でもいいです、小説家でもいいんですけれども、そういう人を勝手にね、自分の師匠にしてしまうんでございますね、はい。
そうすると身近な人だとちょっと接し方が変わってくると思うんですよ。敬意をもって接するようになったり、「あの監督はこんな作品を今お撮りになったんだな」とか、「この作家は、あ、今度はこういう作品を発表したのか」とか、そういう風にあの見る目がちょっと変わって、生きる上で潤いがでるのではないかと、おすすめする次第なのでございます。
きょうは師匠と弟子、そして徒弟制の不思議ということについて、お話を申し上げた次第でございます。是非、心の師匠、もってみて下さい。

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