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視点・論点 「2016年春闘と景気動向」

三菱UFJリサーチ&コンサルティング主任研究員 小林真一郎
 
今年も春闘が本格化しようとしています。
春闘とは、「春季生活闘争」の略称であり、新年度が始まる4月を前に、労働条件の改善をめぐる、労働組合側と経営側の話し合いのことをいいます。ここでいう労働条件とは、賃金だけではなく、労働時間や職場の衛生環境など多岐にわたりますが、やはり交渉の中心は賃金です。

今年の春闘を取り巻く環境をみると、失業率は低く、労働需給はタイトな状態にあります。有効求人倍率など、一部の指標はバブル期並みに改善しています。
企業業績の改善も続いています。企業部門全体の利益動向をみると、2014年度に過去最高益を更新し、今年度はさらにそれを上回る利益を獲得できる見込みです。
このように、賃金にとって、上昇しやすい条件が整っているといえます。

それでは、大幅な賃上げが期待できるかというと、どうも、そうではなさそうです。

まず、労働者側の代表である連合は、「月例賃金」の引き上げが重要だとして、「定期昇給2%とベースアップ2%の計4%の賃上げ」を求めています。
これに対して、経営側の代表者である経団連は、収益が拡大した企業に対して、前年を上回る賃金の引き上げを呼びかけていますが、あくまでボーナスを中心とした「年収ベース」での賃上げであり、「ベースアップ」については慎重な姿勢でいます。
ベースアップとは、ベアとも呼ばれ、賃金の水準を底上げするものです。過去2年間は、大企業を中心にベースアップが実現し、賃金水準の改善につながりました。
これに対してボーナスは、企業業績が悪化すると支払われない可能性もある、不安定な所得です。確かに、これまでのところ企業の業績は順調に改善しています。しかし、原油安や中国をはじめとした海外経済の減速を受けて、今年に入ってから株価が大きく下落するなど、景気の先行きに対する不安感が高まっています。実際、このまま海外経済の悪化に歯止めがかからなければ、日本の景気も悪化することになりそうです。このため、経営側としては、将来にわたってコストの増加するベースアップではなく、業績が悪化すれば支払わなくても済むボーナスで対応したいと考えているのです。

 ところで、通常であれば、賃上げ交渉は、労働組合側と経営側の間で行われるものです。しかし、安倍首相が賃上げの必要性を繰り返し訴えるなど、第2次安倍政権誕生後は、政府が交渉に介入するようになっています。これは、賃金交渉の行方が、安倍政権の経済政策であるアベノミクスの成功のための重要な鍵を握っているためです。なぜ、賃上げとアベノミクスが関係するのでしょうか。

アベノミクスは、「大胆な金融緩和」、「機動的な財政政策」、「民間投資を喚起する成長戦略」という手段を3本の矢になぞらえ、強い経済を取り戻すこと、すなわち「デフレからの脱却」と「経済の好循環の実現」を最終的な目標としています。
その期待する経済の好循環の流れを具体的に説明すると、まず、「大胆な金融緩和」によって人々のインフレ期待が高まると、値下がりするまで待とうという買い控えの動きがなくなり、個人消費が増加します。同時に、財政支出の拡大によって公共事業を増加させます。この結果、企業の売り上げが増えて業績が改善します。
次に、企業業績が改善すれば、雇用・賃金が増加しますので、家計の所得が増えて、個人消費を押し上げます。こうして企業業績がさらに改善するというサイクルが繰り返され、家計と企業の両方において所得が増加し、継続的な景気の拡大が達成されることになります。
また、この過程において、当初は期待だけであった物価の上昇が、需要の回復とともに実際に上昇していくことになります。同時に業績改善により、企業の設備投資も増加すると見込まれます。

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安倍政権が誕生して3年がたちました。この間、雇用情勢と企業業績が改善してきたことは、先ほど述べた通りです。しかし、賃金の上昇ペースは鈍いままです。このため、安倍政権の誕生直後には、新政権への期待感もあって堅調に増加した消費は、徐々に勢いが弱まっています。
このままでは、経済の好循環を達成することは危うくなってきます。そこで、安倍政権は、企業に対して、もっと賃金を上げてもいいのではないかと呼びかけているのです。

ところで、なぜ、賃金は上がらないのでしょうか。過去の2年間の春闘では、賃上げの約束がされたはずです。しかし、労働者1人あたりの賃金の伸び率をみると、2014年度には+0.5%と4年ぶりに増加に転じましたが、その伸びは低く、2015年度に入っても伸びは高まっていません。

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これにはいくつかの理由が考えられます。
第一に、非正規雇用者が増加しているためです。労働者に占めるパート、アルバイト、派遣社員といった非正規雇用者の割合は年々上昇しており、こういった賃金の低い人たちが増加することで、1人当たりの賃金上昇率が抑制されています。
第二に、中小企業では賃上げの動きが遅れているためです。確かに企業全体でみると業績は順調に改善しているのですが、それは大企業を中心とした動きです。このため、賃金を引き上げようにも、その原資が不足している企業も、中小企業の中には引き続き多いのです。
本来なら、ここで労働組合に対し、賃金の引き上げなどの労働条件の改善に向けて交渉する役割を期待したいところです。しかし、労働組合の組合員数は減少が続いており、最近では雇用者の5分の1以下に過ぎません。労働組合を持つ企業の多くは大企業であり、さらに組合員の多くが正社員であるため、非正規雇用者や中小企業にまでは、春闘の結果がなかなか浸透しないのです。
それでは、今年の春闘で、多くの労働者が大幅な賃上げを獲得できれば、景気はよくなるのでしょうか。
確かに、賃金が上がれば、一時的に消費が増えますので、景気は盛り上がるかもしれません。しかし、労働者が将来の生活に不安を感じたままであれば、たとえ賃金が増えても、その多くが貯蓄に回ってしまう可能性があり、効果は限られてしまいます。安定的に景気をよくしようとすれば、労働者が安心して生活できる状態になる必要があり、それは毎年、少しずつであっても、着実に賃金が上がっていくと期待が持てる状態です。
そのためには、労働者側が求めるベースアップの持続的な達成が必要です。同時に、賃金上昇が幅広い企業、多くの労働者にも広がって行くことも重要です。
さらに、経営側にも、将来を見据えた人事戦略をとることが求められます。人口の減少が進む中、いずれ労働力不足が深刻化する懸念があります。目先の利益にだけとらわれて、労働条件の改善を怠っていると、本当に必要な時に十分な労働者を確保できないリスクがあります。長期的な視点に立って、人材を確保・育成するためのコストを惜しむべきではないでしょう。賃金の引き上げは、人材への投資であると考えることもできます。

このように、賃金は足元の景気はもちろん、さらに先の景気にも大きく影響する可能性があります。2016年の春闘がその出発点になるのか?今年の春闘の動向からも目が離せません。

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