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視点・論点 「普天間基地問題(1)~求められる複眼的視点~」

キヤノングローバル戦略研究所研究主幹 宮家邦彦

今日は「普天間基地問題」という重いお題を頂きました。私にとって沖縄は外務省時代、日米地位協定実務を担当した1980年代末以来の長いお付合いですし、沖縄返還交渉実務を担当した岳父を含めれば、我が家と沖縄のかかわりは半世紀近くなります。
 1月24日に沖縄の宜野湾市長選挙が行われ、現職市長が再選されました。日本の主要日刊紙はこの問題を相次いで社説で取り上げていますが、同じ選挙結果にもかかわらず、なぜか各紙の論調は大きく異なっています。

例えば、リベラル系各紙は、「辺野古信任とは言えぬ」、「辺野古移設には直結しない」、「辺野古容認と言えぬ」との見出しで移設に反対する民意を強調しています。この選挙だけで民意が変わったと見るべきではない、ということなのでしょう。
 これに対し、保守・中道系各紙は「普天間固定を避ける一歩に」、「基地移設を着実に進めよ」、「国と沖縄は対話を閉ざすな」といった見出しで、県と国双方に対し、現実的な手法で辺野古移転を進めるよう求めています。
 反対派は過去の選挙の勝利を根拠に「県内移設は否定された」と主張します。これに対し、賛成派は今回の市長選で「流れが変わった」と反論します。実に不毛な議論であり、双方の感情的対立を深めるだけだ、という見方は正鵠を射ているでしょう。
 私は今回、議論を少し変えてみようと思います。この番組のタイトルは視点論点ですが、まず、視点については、沖縄のウチナンチュウでも、本土のヤマトンチュウでもない、第三者の視点で、現実とは一定の距離を置いて、考えてみたいと思います。 その上で、論点についても、普天間だけでなく、より広く、沖縄という日本の島の安全保障や、日本本土との関係、民主主義と民意などの様々な角度から、可能な限り、中立で客観的に、皆さんとご一緒に原点から沖縄問題を考えてみたいと思います。
 さて、まずは視点を定めましょう。今回私は東シナ海と南シナ海の境にある架空の島国を想定しました。その島国Xは民主独立国家として長い歴史を持ち、中国、日本、沖縄、米国などを客観的に分析する聡明な指導者がいると仮定します。
 このX国の指導者の視点で各論点を見ていきましょう。まずは沖縄の安全保障についてです。

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Xから見れば、沖縄の地政学的、戦略的重要性はX以上です。より中国に近く、台湾と九州の中間に位置し、中国海軍の太平洋の出口に位置するからです。
 ワシントンにとっても沖縄の重要性は際立っています。Xの見るところ、沖縄は既に中国の中距離ミサイルの射程内にあります。現在米国は沖縄の海兵隊部隊を一部移転させ、危険分散を図っていますが、それは撤退を意味する訳ではありません。
 それどころか、米国は沖縄に残る海兵隊部隊の機動性と即応性を一層高めようとする、とXは見るはずです。日本の一部には、沖縄海兵隊が「抑止力ではない」といった議論が散見されますが、これを沖縄の海兵隊の役割を過小評価するものです。
 規模が小さい海兵隊は、他の軍種との統合作戦の一部として抑止力を提供します。海兵隊だけを取り上げること自体に違和感を覚えます。それは中国もよく理解しており、だからこそ中国は沖縄と東京の離反や米軍の撤退を望んでいるのです。
 この点については、今回の宜野湾市長選挙後も、リベラル系紙は何も触れていません。これに対し、保守・中道系紙では、「北東アジアをめぐる日本の安保環境が一段と厳しさを増している現状を直視すべき」、「同盟の強化は喫緊の課題」であり、「抑止力をさらに高める辺野古移設の戦略的な重要性は極めて大きい」と論じています。 
 続いて、東京の中央政府と沖縄との関係を考えましょう。島国Xからみれば、沖縄のような規模が小さく、地政学的に重要で、地域の大国に近い島が、近代になって、政治的、経済的、軍事的独立を維持することは容易ではないと思います。
 琉球王国が独立を保ったのは15世紀から19世紀までの450年間でしたが、当時は地域の大国である中国明・清と日本が対外活動を控えていました。沖縄はそのような「力の真空」を突いて東シナ海を中心に中継貿易で栄えることができたのです。
 しかし現在のように、中国、日本だけでなく、米国やロシアといった大国までがこの地域に進出するようになれば、「力の真空」状態は消滅します。X国が独立していられるのはその規模が大きく、大陸から比較的遠いからです。
 東京にとって、こうした近代以降の沖縄の地政学的位置は極めて重要です。同時に、沖縄の人々にとっては、この地政学的位置が19世紀に琉球の王制を廃止した、いわゆる「琉球処分」以来、東京の中央政府に対し複雑な感情を抱く原因ともなりました。
続いて日本の民主主義について考えましょう。ポイントは「民意」とは何かです。
リベラル紙の社説は、「今回は、辺野古移設に対する賛意ではなく、米軍基地早期撤去という切実な気持ちの表れ」であり、「安倍政権は県民の民意を尊重して、辺野古移設を強引に進めるべきではない」、「米軍基地のない島」が県民全体の悲願であり、住民を分断するような姿勢も改めるべし」と主張します。
 これに対し、保守・中立系紙には「普天間固定化を避けるには、やはり辺野古移設が現実的な近道だ」、と市民は受け止めた」、「具体的な解決案を示さずに、国との対決姿勢を強めるだけの知事の硬直的な手法は、県内でも、保守系を中心に冷ややかな声が高まりつつある」といった声もあります。
いずれも「民意」に焦点を当てて議論しています。では、今回の宜野湾市長選挙結果により、「民意」は変わったのでしょうか。X国から見れば答えはYesであり、Noでもあります。Xにとっては今回明らかになったのは現職市長が有権者の多数の支持を得、同時に、辺野古移設反対を唱えた対立候補が敗北したこと。この二つだけです。
 そうだとすれば、少なくとも、県民の意見が反対ないし賛成に収斂しているとはとても言えません。民主主義の下で、民意とは「移り気」でアンビバレント、すなわち「二律背反」であることが多いのです。
 最後の重要な論点は、中央政府と地方自治体の役割についてです。民主国家において法の支配を受け入れる以上、両者の適切な役割分担は国家の根本原則です。
 この点について、保守・中道系の各紙は「日本の平和と安全を守る安全保障政策は、地方自治体ではなく国が担う。辺野古移設は日米の重い約束である」、「最高裁で国の主張が認められれば、知事は判決に従うべき」だが、同時に「法理論を唱えるだけでは県民世論を和らげることはできない」などと述べています。
 これも正論でしょう。民主主義の下では権利には義務が伴います。国全体の安全保障について地方自治体が中央政府を裁判所で訴えるといった事態が生じることは悲しいことです。住民の感情に基づくポピュリズムだけでは地方自治は成り立ちません。沖縄県民を含む私たち日本国民には、様々な俗説に惑わされず、複眼的視点をもって、バランスの取れた現実的判断が求められます。皆さまには、短時間でも、この視点論点で沖縄問題を考えていただければ幸いです。ありがとうございました。

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