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視点・論点 「春を待つ桜」

公益財団法人 日本花の会主任研究員 和田博幸

18日は関東地方を中心に大雪に見舞われました。月曜日の未明からの降雪で、首都圏では週明けから通勤や通学で交通に大きな混乱を生じました。
暖かな日が続いていた冬は一変し、不慣れな雪に戸惑われた方も多かったと思います。
この秋から初冬にかけては全国的に天気のいい日が続き、平年よりも暖かく、年が明けてからも春を思わせるような日が続いていました。

花でも暖冬の傾向は読み取れました。都内では秋から冬にかけて咲くサザンカやカンツバキの仲間は、霜で花が傷むこともなく、例年よりもきれいに咲いていました。
この降雪を機に平年並みの冬の気候に戻り、身を凍えさせているのは人ばかりでなく、樹木も急な寒さに戸惑っているのでしょうか。
二年前の二〇一四年の二月は、関東地方は二週続きで大雪がありました。観測地点によっては、五十年ぶりの大雪であったり、観測史上最大の積雪となったりしたところもありました。

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雪に慣れていない都心部の木々、特にクスノキやスダジイといった、本来は温暖な地域に育つ常緑樹は、葉の上に湿った重い雪が積もり、その重みに耐えられないものは付け根で裂けるように枝が折れ、私たち樹木医の間では、雪による自然剪定とでもいおうかと話をしていた記憶があります。今回の雪でも多少の枝折れがあったようですが、枝折れは、沢山ある枝のわずかな部分であって、厳しい自然の中で樹木が生き抜いていくためには、何本かの枝が犠牲になることくらいは織り込み済みのことです。

見た目に痛々しく見え、一般の方は心配されるようですが、健全な樹木では雪で枝が折れても大きな痛手にはなっていません。折れた枝の傷を私たちが適切に切り戻すなどして処置してあげれば、剪定したのと殆ど変わりなく、春になれば、また新しい枝が傷口あたりから芽吹いて伸び出します。うまくいけば数年後には、元と同じような樹の形に戻ります。

それよりも今回の雪は、今まで雨が降らず土と空気が乾燥していたので、樹木にとってはいいお湿りだったように私は思います。
常緑樹は厳しい冬をこうして乗り切ることもありますが、秋に葉を落とす落葉樹は、冬の寒さをどう乗り越えて春を迎えるのでしょうか。皆さんの最も身近な落葉樹であるサクラ、なかでも関心の高い染井吉野を例に話しをしましょう。

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染井吉野は普通、関東地方では八月中には来年に咲かせる花芽、花の芽と書きますが、つまり蕾と葉芽、こちらのほうは葉の芽と書き、枝と葉を伸ばす芽のことですが、これらを葉の付け根や枝の先端に作り終えています。そしてこれらの芽は夏から秋の間に伸び出さないように、抑制する物質を葉でつくり、この芽に送り込んで強制的に伸びるのを抑えています。いわば芽を眠らせているのです。

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この眠っているような状態を休眠といい、眠らせる物質は植物ホルモンの一種で、休眠ホルモンといいます。休眠は落葉樹が大切な芽を伸ばさずに止めておき固めることで、寒くて厳しい冬を無事に乗り切る手段だと考えられています。
葉で作られる休眠ホルモンは、葉が展開している間ずっと作られてはいません。植物は極力無駄なことはしないのです。
何がきっかけになって休眠ホルモンを作り始めるかというと、自ら移動できない染井吉野は、そこの環境内でスイッチを見つけています。気温だと年によって高い低いがあり、あまりにも不安定です。根から吸う水も同様です。毎年正確に時を刻みながら変化してくれるものは何でしょうか。利用しているのは日長です。夏至を過ぎて日が短くなると、正確には夜が長くなると、このことを葉が感知して、ある段階で休眠ホルモンを作るスイッチが入ります。葉で作られた休眠ホルモンを葉の付け根にある芽に送り込んで、毎年同じ時期に確実に芽を眠らせるのです。

では休眠していた芽は、どうやって目覚めるのでしょうか。花は春になり暖かくなって咲くので、気温が上昇してくれば自ずと休眠から目覚めて咲き出すと思われるでしょうが、暖かくなる前に目覚める過程がきちんとあります。ここでは真冬の寒い気温が目覚めのスイッチになります。一日の最低気温が摂氏十℃を下まわるころから、休眠状態は徐々に目覚めの過程に入ります。もうこの時には葉は落葉しているので、休眠ホルモンの芽への送り込みはありません。染井吉野の休眠解除は、実験的には摂氏二℃~七℃の低温が最適であることが知られています。この低温にある程度の日数当たることが必要で、これを低温要求度といい、染井吉野では三十日程度といわれています。これが満たされれば休眠から目覚めることができるのです。この目覚めは休眠打破と言われます。

私たちは寒さという厳しい環境を、服を着こむことや暖房を用いることで凌ぎ、暖かくなる春を心待ちにしますが、染井吉野は冬の寒さをじっと耐えているのではなく、寒さを受け入れて目を覚ましているのです。まるで真冬の滝行のようで、冷温に打たれ自然と一体となり、自己を覚醒させています。

染井吉野は自由に枝葉を伸ばしながら大きく育ち、花のにぎやかさ、そして花見の様子などから、おおらかな性質のサクラと思われますが、夏には翌年の春に咲かせるための蕾の準備をし、それが終わったら地球の周期を利用して花が咲き出さないように抑制のスイッチを入れ、真冬になれば寒さを利用して目を覚まします。そして暖かさに合わせて花を咲かせて、私たちの目を楽しませてくれます。こう見ていくと実に細やかで計画性があり、自己規制ができ、自然とも無理なく同調しています。花は見事ですがその性質も見事です。
見習いたいものです。

低温要求度はサクラの種類によって異なります。要求度の低いサクラは早咲きのサクラといわれ、有名なものでは河津桜がそうですが、それよりも早く咲くサクラがまとめて植えられているところがあります。

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静岡県熱海市の糸川沿い桜並木は、今、寒桜が見ごろです。寒桜は台湾などに自生するカンヒザクラと宮城県以南の野山に自生するヤマザクラとの種間雑種といわれ、明治時代のはじめに熱海市に持ち込まれたそうです。その後増やされて、熱海市ではあたみ桜と呼んで市内の各所に植えられました。糸川沿いにはその両側に五十八本の寒桜が並木になっていて、一月二十三日から本州で最も早い桜祭りがおこなわれることになっています。
この桜は花が長持ちします。桜で春を先取りされたい方は、熱海市の寒桜を見に行かれてはどうでしょうか。

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