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視点・論点 「アスリートの発信力」

スポーツコメンテーター 為末 大
 
きょうはアスリートの発信力について話しをしたいと思います。

2016年、リオでオリンピック・パラリンピックが開催されますが、それが終了したあと4年間、東京オリンピック・パラリンピックまで、いろんなアスリートの言葉というのが非常に注目される4年間になると思います。
皆さんも挨拶の中でアスリートの言葉を引用したことがあるのではないかと思います。「自分で自分をほめてあげたい」有森さんの言葉ですけれども、こういったアスリートの名言というのが、非常に世の中には強くインパクトを残しますが、それは何故なんでしょうか。
ひとつ大事な点として、アスリートの言葉というのは実体験から出てきているというのがあると思います。アスリートのレース後のインタビューの中で語られる言葉は、原稿がないもので、彼ら自身が実際に体験した生の言葉が語られています。そういった言葉というのは非常に強く皆さんの胸を打つのだと思います。
私は常々アスリートは発信しなければいけないというふうに語っていますけれども、時々アスリートのほうから、「私たちは競技だけやりたいんだ」と、「どうして発信しなきゃいけないんだ」というふうに言われることがあります。そういったときに私が例に出すのは、フランスのスポーツ界の例です。
フランスでは、アスリートの中に強化費が使われていると。アスリートたちが強化をしていく上で、オリンピックを目指していく上で、必要な費用というのがありますが、これを予算として使っていく中で、どうしてこの予算をアスリートに使わなきゃいけないんだというふうに議論があったそうです。このときにフランスのスポーツ界というのは、こういった説明をしまして国民の理解を得ました。    
その説明というのが、アスリートたちに強化費を使うということの半分は、現役時代に活躍をすることによって国民に勇気を与え、またはフランスという国の存在感を高めると、こういうために使われている。残り半分は、現役時代、または引退したあとのアスリートが、自分が他の人ではできなかったような体験、トップアスリートでなければできないような体験をオリンピック、世界大会でしてきたものを、これを社会に還元する事だというふうに言っています。
実際にトップアスリートが体験する世界というのは、非常に特殊なものです。私もオリンピックの時に、初めて自分の靴ひもが結べないという体験をしました。あの時の感覚は人生の中であの一瞬しかありません。
また、私はオリンピック、世界陸上の舞台で「ゾーン」または「フロー」状態と言われる非常に高い集中に入った状態を経験したことがあります。そのときの私の体験というのは、全く観客の声が聞こえなくなって、自分の足音だけ自分の体に響いていると、そういう体験をしました。
こういった体験を選手が自分の体の中だけで閉じるのではなく、社会の中で語っていくことが非常に重要なのではないかと考えています。
私は現役時代の始めの頃は、1990年代でしたけれども、いまとの大きな違いというのはインターネットがあるかないかだと思います。今、現在のアスリートの言葉というのは、インターネットを通じて世界中に発信することが可能です。これはものすごく大きな可能性を秘めている一方で、非常に危険をはらんでいるとも思います。
ソチで行われた冬季のオリンピックのときに、LGBTについてロシアがとった態度に対し、アスリートたちがインタビューで話しを聞かれるという経験をしていました。日本のアスリートたちは面くらっていて、何て言っていいか分からないという表情をしていましたけれども、海外のアスリートたちはこの問題に対して「私はこう思う」「私は反対だ」というふうに話しをしていました。
スポーツ選手に対して「レースはどうでしたか?」「これからの将来の展望はどうですか?」という質問は当たり前のようにされますけれども、これが実際に日本を飛び出して海外になってくると、日本が置かれた国際的な立場に対しての意見ですとか、または世界中でいま問題とされていることに対しての意見を聞かれるということがあります。
また、このときに想像しておかなければならないのが、自分の言葉というのが日本の常識の中で語ったとしても、それがイスラムの世界での常識だったり、他国での常識としても判断されるということです。これが日本の常識だけで語ったことであったとしても、他の国、他の民族に対して、傷つけるようなことがあったときには、小さからない問題になる可能性があると思います。こういうことに対して選手というのは、いつも意識しておく必要もあると思います。
選手が言葉を発していくときに、必要な3つの要素が私はあると考えています。
一つ目は想像力。先ほどもお話しましたけれども、自分がしゃべっていることが一体人に対してどんな影響を与えるのか、どういうふうに受け取られるのかということを考えていく必要があります。また、インターネットが広がった時代ですから、日本の中で自分の発言が閉じるということではなくて、世界中に自分がしゃべっていることが伝わっていくということも想像力を働かせる必要があると思います。
この想像力を働かせるためには、実際に他の国の文化はどうだろう、この国では自分の発言はどういうふうに受け取られるんだろうということを、日頃から考えておく必要があると思います。自分がしゃべる事が人にどういうふうに受け取られるのか、こういうことに想像力を働かせる必要があると思います。
二つ目は「本質は何か」ということを考えることです。
自分自身がしゃべろうとしているときに、特に私も若いときそうでしたけれども、しゃべり出して最後までしゃべったあとに、結局自分が何を言いたかったのかよく分からなくなったと、いうことがありました。
こういうことがないように、しゃべる前に自分がしゃべりたいことの本質はなんだろうかと、本当に伝えたいことはなんだろうかというポイントを絞り込んで、しゃべっていく必要があると思います。
私はよく何かをしゃべるときに、「これは小学生のお子さんが聞いても分かる話しだろうか」また、「例え話に置き換えてもちゃんと伝わる話しだろうか」ということを考えて話しをします。本当に自分自身が理解をして、身についた話しというのは、どんな言葉に置き換えても相手に語ることができますし、むしろ簡単な言葉で語れることほど本質ではないか、というふうに私は考えています。
三つ目は正直に語るということだと思います。選手の時にどうしても自分自身がしゃべる言葉というのが、レースで負けたあとの言葉なんかは、何か自分を守ってしまうというところが私にはありました。そういう言葉に関して、やはり聞いているほうは「何だかこの選手、本当のことをしゃべってない感じがする」ということを察してしまいます。むしろ選手にとって、そのときの正直な気持ち、悔しいなら「悔しい」、失敗したなら「失敗した」、「次は負けたくない」と、こういった正直な気持ちを語るときに、聞いているほうの胸に響くというのを体験しました。
選手の言葉というのは、どんな言葉であれ、世の中の人は受け取って何か学びを得てくれると、そういうふうに私は考えていますから、アスリートである方はぜひ「自分の正直な気持ちで語る」というのを心がけてほしいなと思います。
私がアスリートの言葉に可能性を感じたことはたくさんありますけれども、ひとりのパラリンピアンの言葉というのが、私の人生に対しても影響を与えました。
そのパラリンピアンが語った言葉というのは、右足を失った、右足が義足の選手でしたけれども、その選手が目の前にハードルがあって、それを手に持ってしゃべっている言葉でした。
どういう言葉だったかといいますと、「私は事故で右足を失った。そして左足は残っている。失った右足を後悔して生きるのか、残った左足の可能性を見て生きるのか、私は後者を希望と呼ぶ」と、こういうふうにその選手は語っていました。
私は現役時代に様々な怪我で悩みましたけれども、そのときに走れなくなったり、アキレス腱が痛いと、できなくなったことを考えるよりも、可能性を考えていくと、そういうことがピンチを切り開いていってくれたのではないかと思います。
2020年、東京でオリンピック・パラリンピックが開かれますが、このときにスポーツ以外の世界に大切な価値観を提示する、このときにアスリートの言葉というのは非常に大切ではないかと考えています。是非、アスリートの言葉に注目していきたいと考えています。

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