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社会活動家 湯浅 誠

今日は「自立」について考えてみたいと思います。

一般に「自立」とは自分で立つこと、誰にも拠らずに立つこととされます。英語でも自立はindependenceと言い、依存dependに否定の接頭辞inをつけた言葉となっています。Independenceは「独立」とも訳し、independence dayといえば独立記念日のことを指します。他国の支配から脱して国として自立した日です。他に拠らず、他の支配下から脱することが「自立」。依存しないことが「自立」という言葉は「自由」という概念と密接に結びついていることがわかります。
 他方、ご自身が障害者で、東京大学先端研究所の専任講師でもある熊谷晋一郎さんは「自立とは依存である」と言います。どういう意味でしょうか。熊谷さんは、東日本大震災の際のご自身の経験をもとにこのことを説明されています。
あの震災が発生したとき、熊谷さんは東京大学の研究室におられました。揺れでエレベーターが止まり、彼は建物の外に出られなくなりました。階段はありますが、彼自身はそれで降りられません。もし火災が起きても避難ハシゴを使うこともできません。非常な恐怖を感じられたと言います。
 実は私の兄も身体障害者で、東京の職場で震災を経験しました。東京ですから、東北や北関東ほどの揺れはなかったわけですが、兄にとってもそれは強い恐怖を感じる体験だったようです。その後数年、兄は不眠に悩まされました。
 そして熊谷さんは、そのご自身の体験を「自立」という概念と結びつけて語ります。自分にとって階下に降りる手段はエレベーターしかない。それゆえ、エレベーターが止まってしまうと降りられない。それはエレベーターに強く依存しているという状態だ、と。他方、健常者はエレベーターはもちろんですが、階段でも避難ハシゴでも降りることができる。それは階下に降りるにあたって頼れる手段がたくさんある、拠れる先がたくさんある、依存先がたくさんあるということだ。エレベーターがダメなら階段、階段もダメなら避難ハシゴと、つまり依存先のたくさんある人が、特定の依存先に強く依存することがなくなり、そこに拠って立つこと、それに支配される、自らを委ねる必要がなくなる。だから「自立とは依存なのだ」と、彼は言います。より正確には「自立とは依存先の分散なのだ」と言うわけです。
 どうでしょうか。私は熊谷さんの意見にも深い説得力を感じます。一般的にも、誰にも頼らずに生きていくのが「自立」だと言いつつ、何歳になっても「人は一人では生きていけない」とも言っています。「自立」という言葉の中身、その実態は、多くの人が思っているほど自明ではない、と言えるかもしれません。

 もう一つ。「自立」をめぐって、最近私は大変うつくしい言葉に出会いました。9月に学生たちと一緒にスウェーデンに研修旅行に行ったのですが、その際、障害者のデイアクティビティセンターのスタッフが、学生に「自立とは何か」を問われて、次のように答えました。
 「私たちがいた食堂は庭に面しており、そのスタッフは落ち葉がたまり始めた庭をみやりながら話しました。センターの利用者たちが庭で落ち葉を掃除しているとすると新しく来た利用者は、最初は何をしていいかわからずにぼーっと立っている。そのうち、自分から他の人に混じって掃除をし始める。それが自立です。そしてそのうち、この食堂に座って庭を眺めているときに、落ち葉がたまってきたからそろそろ掃除をしないとなあと考えるようになる。それが自立です」
 どうでしょうか。ここには「誰にも頼らず生きていくのが自立だ」という「自立」概念のもつ、肩ひじ張ってつっぱっているような堅さがない。もっとやわらかく、そして人の暮らしの中に違和感なく溶け込んでいる感じがします。
 福祉の分野では「自立」を3つの側面に分ける考え方があります。「日常生活自立」「社会生活自立」そして「経済的自立」です。「誰にも頼らず生きていくのが自立だ」というとき、私たちは主に「経済的自立」のことを考えています。しかし「自立」はそれだけではなく、「日常生活自立」つまり炊事や洗濯ができ、朝起きて夜眠るという生活サイクルがつくれているか、とか、「社会生活自立」つまり地域や職場であいさつしたり、言われた言葉の中身を理解したりといったコミュニケーションがとれるかとか、を総合的に見て判断するものだ、という考え方です。
 たとえば私はホームレスの方たちとお付き合いしてきましたが、ホームレスの方たちの中には、大工や調理といった仕事の腕はたしかだけれども、行く先々で同僚たちとトラブルを起こしてしまい、職を転々とした末にホームレス状態に陥ってしまったという人がいました。これは「社会生活自立」が果たせないがゆえに「経済的自立」も難しくなってしまった例と言えます。
 また、重度障害者の方たちの中に「自立生活」を目指し、実践されている方たちがいますが、ある方は「自立とは、今日の夕食に何を食べるか、財布の中身と相談しながら自分で考えられること」とおっしゃっていました。施設で暮らしていると、自分で夕食のメニューを決められないからです。これは「日常生活自立」にフォーカスした言い方と言えます。
 そう考えると、「おれは自分の稼ぎで暮らしている」と胸を張っている世のおじさまたちの中にも、自分で食事を用意したり、自分の洗濯物を自分で洗えない人たちがいることに思い至ります。この方たちは経済的には自立しているかもしれませんが、日常生活自立は果たせていない。この方たちは自立していると言えるのだろうか、という疑問もわいてきます。

 このように考えてくると、「自立」を「誰にも頼らずに生きていくこと」と考えるのは少し狭すぎるように、私には思われます。むしろ、こう言えるのではないでしょうか。「自立」とは、毎日の暮らしを、ときに他人の手も借りながら、そしてインフラといわれる公共物やさまざまな用途を持つたくさんの便利な器具も使いながら、手に届くたくさんの選択肢の中から、悩みながら必要と思うことを選び取れること、そして失敗してもそこから学び、試行錯誤の中で自分の人生を築いていけることだ、と。
 「自立」は肩ひじ張って自分に閉じこもることではなく、他者に開かれています。自立しているイスや三脚も大地に支えられ、大地に依存しているわけです。強すぎる「自立」幻想は、かえって他のもろもろに支えられている自分のあり方を見えなくさせ、自分やそして周囲をも生きづらくさせる。そしてこれは、一個人にとどまらず、地域の自立にも、国家の自立にも通じることではないか。私はそんなふうに考えます。
 父親不在の中で子育てに奮闘しているお母さんたち、自分はまだまだ自立できていないと悶々としている学生や若者たち、居場所を求めながらさまざまなプライドが邪魔してそれを見つけられない中高年の男性たち、他者を求めながら他者に疲れてもいるすべての人に届くことを願って、私の話を終わります。

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