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名古屋大学CHT共同研究員 河江肖剰

今日は、私が関わっている、ギザのピラミッドを造った人々が住んだ町、『ピラミッド・タウン』の発掘を中心に、最新のピラミッド研究についてお話ししたいと思います。

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エジプトのピラミッドはあまりにも有名であるため、その謎は、ほとんど解けているのではないか、というイメージがあります。しかし実際には、ピラミッドの謎はいまだ解けておらず、現在でも様々な考古学調査が行われています。
例えば、先月、エジプトの考古省は、宇宙から降り注ぐ「宇宙線」と呼ばれる粒子を利用して、ピラミッドを透視する国際プロジェクトを行うという驚くべき声明を発表しました。この技術は、じつはすでに福島第一原発でも使われており、日本の名古屋大学や高エネルギー加速器研究機構によって行われます。さらに、フランスやカナダの研究チームも加わり、サーモグラフィーやドローンを使った3D計測も行われる予定です。    
こういった先端技術によって、これまで不明な点が多かった、ピラミッドの構造について明らかにしようしています。さらに、2年程前には、大ピラミッドを造ったクフ王の時代の「パピルス」(植物の茎を用いて作った古代エジプトの紙)が初めて、紅海沿岸のワディ・エル=ジャルフという鉱山で発見されました。そこには、ピラミッド造営に関わったメレルという監督官の日誌が書かれていました。
 
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それによれば、良質な石灰岩の石材をトゥーラという石切場からギザのピラミッドへ輸送したことや、ギザの建築現場まで約10キロの道のりを3日かけて運んだことなど、これまで知られていなかった、古代の労働者たちの具体的な活動記録が3ヶ月以上に渡って記されていました。
こういった調査や発見の中で、現在最も注目を集めている発掘のひとつが、ピラミッドを造った人々が住んだ町「ピラミッド・タウン」です。ここは1980年代後半に発見されてから、現在でも考古学調査が行われている巨大な都市遺構です。私もメンバーの1人として、10年以上に渡り、ここで発掘を行っています。
 
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この古代都市を発見したのは、アメリカ人考古学者マーク・レーナー博士です。

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レーナーは、ギザで最も長く発掘調査を行っているピラミッド研究の第一人者です。それまでは、ナイル川を挟んで東側には、生きている人の町があり、西側には死者の町であるネクロポリス(墓地)があると言われていました。しかしレーナーは、ピラミッド建造が国家プロジェクトであれば、ピラミッドのすぐ側に町は作られたはずだと考え、スフィンクスの400メートル南にある「鴉の壁」と呼ばれる巨大な壁の南側を発掘し、見事、この「ピラミッド・タウン」を発見したのです。
 
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これはちょうど「ピラミッド・タウン」を発掘している写真です。私たちは多国籍チームで、多いときだと20カ国以上から考古学者や専門家が集まり、発掘調査を行います。これまでの4半世紀以上の発掘によって、この「ピラミッド・タウン」の構造や、どのようなものを食べていたのか、どのような生活をしていたのか、そして、どのような社会であったのかが分かりつつあります。
 
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これが「ピラミッド・タウン」の地図です。町の中心は、長屋のような作りで、私たちは「ギャラリー(Gallery)」と呼んでいます。ここには、様々な物資をエジプト国内や、現在のレバノンやスーダンから運んでくる「遠征隊」の人々が寝泊まりしていたと考えられます。町の東側は、一般の人々が住んでいたと考えられるエリアです。南西には、高官や神官が住んでいた巨大な邸宅跡がいくつも発見されています。王宮はまだ見つかっていませんが、現在、サッカー場になっているこの空白地帯にあるのではないかと考えられます。
当時、ここに住んでいた人々の主食はパンとビールでした。「ベジャ」という円錐形の素焼きの土器を使って、発酵種を用いて、主にエンマ小麦でパンを焼いていました。一度、実験考古学として、この古代のパンを再現して作ってみたことがあります。実験考古学とは、遺物や遺跡がどのように使われていたのかを復元したり、再現したりする試みです。実際に行うことで、机上では気付かなかった情報を得ることができ、発掘同様、常に刺激的で楽しいです。古代のパン作りの再現にご協力頂いたのは、ベーカリー・コンサルタントの笠原さんという方です。
 
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素焼きの壷の代わりに、植木鉢を用いて、パンを焼いたところ、ぎっしりと中身が詰まった、風味豊かなパンが焼け、酸味が少しあり、ライ麦パンを彷彿させました。後に、カロリー計算をしたところ、「ピラミッド・タウン」で発見されているベジャ土器の容量を考えると、なんと約9500キロカロリーにもなることが分かりました。
この町からは、ゴミの山も発見されています。そこは「土器の丘」と呼ばれています。

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ここは日本で言う貝塚のようなものです。考古学者にとって、ゴミは情報の宝庫です。宝の山です。そこには、当時の人々が捨てた道具や、動物や魚の骨、土器や石器など、その時代の生活を教えてくれる遺物が堆積しています。
この「土器の丘」の発掘によって、当日、そのエリアに住んでいた人たちの食生活が分かりました。彼らは、大量のビールを飲み、そして柔らかい仔牛の肉や、狩猟で得た野生の動物などを食べていました。

最近、私は、この古代の町についての本を書きました。『ピラミッド・タウンを発掘する』というタイトルです。本には「ピラミッドを作った人々は、どういった人々であったのか?」という話しだけでなく、「なぜピラミッドを作ったのか?」、それは王の墓なのか?どうなのか? そして、最初にお伝えした国際プロジェクトとも関わりますが、「ピラミッドをどのように作ったのか」という建造方法や内部構造についても書いてあります。こういった中で、特に強調しているのは、当時の「人間」に焦点を当てるということです。人間が存在しないピラミッド像は、ともすれば宇宙人や超古代文明といった荒唐無稽の話に繋がります。さらに、かつて言われていたように、ピラミッドは奴隷によって建てられたものでもありません。こういったことは、「ピラミッド・タウン」の存在からも明らかになっています。
 
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最後に…「ピラミッドの謎は謎のままだからこそ惹かれる」と思われている方もいるかもしれません。しかし、私は、「謎の奥には、さらに深い謎がある」のだとお伝えしたいです。いま一般に知られている謎は、もはや謎ではありません。例えば、ピラミッドが王の墓かどうかという話しが、日本のメディアで紹介されたりしますが、そういった議論は学術的にはされていません。いま、私たちが立ち向かっている謎というのは、ピラミッドを作り上げた当時の国家や社会という、もっと巨大なものです。みなさんにも是非、そういった謎の一端に触れて頂き、そして、これまでにない新たなピラミッドの姿をイメージして貰えれば、現場で働く研究者として、とても嬉しいです。

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