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自然環境研究センター理事長 大塚柳太郎

世界人口は72億を超え、2060年代には100億を突破すると予測されています。
今後の人口増加の大半がアフリカで起きる一方、出生率の低下による人口減少がヨーロッパ諸国や日本につづき、アジアやラテンアメリカでも始まろうとしています。このように、人口は未曾有の変化をつづけており、将来の地球環境や世界経済、ひいては私たちの生存への影響を危惧されている方も多いのではないでしょうか。
私は人類生態学を研究しており、人びとの生き方が集団レベルでの出生と死亡に反映されることに注目してきました。この数年取組んできたのは、ヒトがアフリカで誕生してから現在までの約20万年間、地球という空間で生きてきた歴史を、人口に着目して描きだすことです。

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これは、人口の変化に影響したエポックメーキングな出来事と、その開始年代、そして当時の人口です。
今から265年前、ヨーロッパで人口転換が始まりました。人口転換については後で詳しく述べますが、この時の世界人口は7億2000万と、現在のわずか1割だったのです。
今日は、これらの出来事が、ヒトの生き方と人口をどのように変えたかをお話しします。

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過去の移住の研究は、発掘される人骨や遺物に基づくだけでなく、最近では分子生物学が進歩し、生きているヒトのDNA分析から移住ルートの推測も行われています。
さまざまな研究成果を総合すると、私たちの祖先は誕生の地アフリカにしばらく留まった後、東北部から西アジアへ進出しました。その後、約7万年前に西アジアからユーラシア大陸の広域へ、約5万年前にアジアから海を渡ってオセアニアへ、さらに約1万4000年前に地球の寒冷化で海面が低下し陸地になっていたベーリング海峡をとおりアメリカ大陸に渡ったのです。
移住の結果、ヒトは「汎地球型動物」になり、世界各地で多様な生き方を始めたのです。

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つぎの出来事は定住です。定住生活は、不慮の事故や怪我を減らし、身体へのストレスを軽減するので、死亡率を低下させ出生率を上昇させます。その結果、人口が増加し、農耕の引き金にもなったのです。
最古の定住集落は、西アジアのメソポタミアで発見された1万3000年前のものです。その1000年後の1万2000年前に栽培型のコムギが出現し、それから徐々に、3500年もかけて野生型から完全に置き換わったのです。
中国の長江流域では、8500年ほど前にイネの栽培化が始まり、3000年ほど経ってから水田稲作が完成しています。
ほかにも、東南アジアでイモ類を栽培する農耕が始まり、アメリカ大陸では、トウモロコシを栽培する農耕と、ジャガイモを栽培する農耕が始まっています。
農耕には多くのタイプがあります。古代文明が興ったのは、生産性が高く長期保存が可能な作物を栽培する農耕圏でした。ムギ農耕圏では、5500年前に成立したメソポタミア文明を皮切りに多くの文明が生まれ、稲作農耕圏では、5300年前に長江流域で最初の文明が生まれています。一方、アメリカ大陸のトウモロコシ農耕圏とジャガイモ農耕圏でも文明が生まれたのですが、旧大陸ほど規模は大きくなりませんでした。

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世界人口の長期的な変化には、緩やかな増加の後に急激な増加が起き、その直後に停滞あるいは減少に転ずる、人口循環がみられます。終盤の急激な変化は、「第一の人口循環」では、紀元前3世紀ころから紀元5世紀ころに、「中世の人口循環」では、1000年ころから1400年ころに起きました。
人口転換の終盤における変化を丁寧にみると、顕著な地域差が見出せます。中世のころまで、文明の中心地だった東の中国と西のヨーロッパを合わせた人口は、世界人口の約半分を占め、この両地域における変化が、世界全体の変化を左右したのです。
「第一の人口循環」の時、東では中国の秦王朝と漢王朝の成立、西ではローマ帝国の成立が人口を急増させました。そして、漢王朝と西ローマ帝国の崩壊が社会の混乱を招き人口を急減させたのです。
「中世の人口循環」の終盤における人口急増の原因は、農耕をはじめとする技術が庶民に広く浸透したことです。一方、人口の停滞・減少をもたらしたのは、東では13世紀に始まったモンゴル帝国の領土拡大による混乱、西では14世紀にヨーロッパで繰り返されたペストの大流行です。モンゴル軍の長距離遠征も、中国起源のペスト菌がヨーロッパに運ばれたのも、皮肉なことに、世界的な交易圏の拡大にともなう一側面だったのです。
興味深いことに、中国およびヨーロッパとは異なり、インドやアフリカなど世界のほかの地域では、どちらの人口循環の終盤にも、人口は一貫して増加をつづけていたのです。

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産業革命とほぼ同時に、イギリスを皮切りにヨーロッパで人口転換が始まりました。人口転換とは、粗出生率も粗死亡率も高い「多産多死」から、粗死亡率だけが低下する「多産少子」を経て、「少産少子」に移行する過程です。死亡率の低下には農業の進歩などによる衣食住の改善が寄与し、出生率の低下には産業構造の変化や核家族化を反映した出産抑制の増加が寄与しました。
人口転換における「多産少死」の時期が、人口の急増期にあたります。イングランドとウェールズの場合、180年間に6倍以上に増えたのです。
人口転換によりヨーロッパでは人口が急増し、人口密度を高めただけでなく、新大陸に多くの移住者を出しました。その数は、1815年から1914年までの100年間だけでも6000万にのぼっています。
ヨーロッパ人の大量移住により、新大陸はヨーロッパ出身者が多数を占め、先住民をマイノリティに押しやったのです。
19世紀にはいると、世界人口の増加率がさらに高まりました。アフリカ以外の途上国で19世紀から、アフリカ諸国で20世紀前半から、人口転換が始まったからです。途上国の人口転換は、出生率と死亡率の差がさらに大きなものでした。世界の人口増加は、1960年代後半にピークを迎え、年増加率は2%を超えたのです。

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最後に、今世紀の人口と人口密度の変遷をみましょう。世界人口は増加をつづけ今世紀中に110億を超えます。これほど増大する人口が、地球環境と調和して生きていけるかが大きな問題なのです。
地域別には2つの問題があります。1つは、アフリカの急激な人口増加で、右に示す人口密度の変化にも表れています。アジアの人びとが、稲作をはじめ長い年月をかけて高めてきた人口密度のレベルを、一気に越えるのです。
もう1つの問題は、アジアやラテンアメリカの国々が、前世紀の高い人口増加率から、今世紀中に人口減少に転じることです。前例のない急激な変化が、社会経済の不安定化を引き起こすのではないかと危惧されているのです。
現在、私たちは多くのグローバルな問題に直面しており、人口問題もその1つです。私たちは、「地球人口」という共通認識をもち、その歴史的な変化から人口問題の本質を理解し、将来のヒトの生き方を考える時に来ているのです。

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