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東京外国語大学教授 黒木英充

シリアの内戦が5年目に入っています。状況は年ごとに悪化し、現在は残念ながら暗闇のなかで先がまったく見えなくなってしまったようです。
今日は、このように長期化したシリア内戦の現状がどうなっているのか、このまま内戦が続くとどうなるのか、そしてそもそもどこに問題の根があったのか、振り返って考えてみたいと思います。

5月下旬に、シンポジウムに呼ばれてシリアの隣のレバノンのベイルートに行って参りました。そのシンポジウムではシリア北部のアレッポ出身のアルメニア人キリスト教徒の歴史家と6年ぶりに再会しました。彼はアルメニア共和国に避難していたのですが、そこからベイルートまで飛んできたのです。シンポジウムが終わったらすぐにバスに乗ってアレッポに行って、奥さんと御嬢さんに会うのだと言いました。私は彼の自宅が市街戦の前線すぐ近くにあることを知っていたので驚きました。御嬢さんが婚約していて、婚約者もアレッポ残っている。この6月に結婚する予定で、奥さんも母親として一緒にいる、というのです。彼はもう一人の下の御嬢さんを連れてアルメニアに移っていて、家族が離れ離れになっているのでした。

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彼が乗ったであろうバスは、この赤い部分を通ってアレッポに向かったはずです。その後、彼に送ったeメールに返事がなく、心配しております。
 このようにシリアは現在、ざっと4つに色分けされる状況にあります。首都ダマスカスと中部、地中海沿岸部、そして第2の都市アレッポの一部がアサド政権側の支配下にあります。ちょうど1年前の6月にイラクの主要都市モースルを陥落させて一挙に前面に躍り出てきたIS・イスラミックステートは、その後支配地域を広げてきましたが、最近はトルコとの国境地帯でクルド人民兵組織に押し返されています。緑色の部分はヌスラ戦線というアルカイダ系民兵組織が中心となった、もろもろの反体制派組織が押さえているところで、北西部の豊かな農村部と、南部の、イスラエルが約50年間にわたって占領を続けているゴラン高原に接している地域がそれに当たります。
 アサド政権側は、ここにきてじりじりと後退を始めたように見えます。ISというよりも、むしろヌスラ戦線中心の反体制派に押されているのです。ではなぜこのアルカイダ系組織が最近になって勢力を強めているのでしょうか。そこには中東諸国の間の関係の変化が反映しています。
 
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 スンニ派対シーア派の対立としばしば言われますが、実はスンニ派諸国の内部では微妙な対立関係が存在してきました。湾岸産油国の間ではサウジアラビアとカタールがライバル関係にあり、カタールはトルコのイスラム政党のエルドアン政権、エジプトのムスリム同胞団のモルシ前政権と親密な関係を築き、支援してきました。
 
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ところが2年前の夏にモルシ前大統領が事実上のクーデタで失脚し、軍人出身のシシ政権ができると、サウジがすぐさまこれを支援することとなりました。一方、エジプトと、トルコ・カタールとの間の関係は大変悪化しました。モルシ前政権がエジプト国民のシリア内戦での反体制派への参加を認めていたのとは180度異なり、シシ大統領はアサド政権側に接近する方向に舵を切りました。こうして、サウジもカタールやトルコと同じくシリアの反体制派を支援してきたのですが、その対立関係が影響して、反体制派支援が効率的に進んでいなかったと言われています。
 それが大きく変化したのが今年になってからです。

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1月下旬、日本人人質事件が大きなニュースになっていた頃、サウジのアブドラ前国王が亡くなり、サルマン国王に代替わりしました。新国王は、スンニ同士で対立していてはシーア派のイランに対抗できないとして、2月末にカタールのタミム首長、トルコのエルドアン大統領、エジプトのシシ大統領をサウジアラビアに招きます。どんな会合があったか定かではありませんが、少なくともシリア内戦に関しては、サウジ、カタール、トルコが一致協力することで合意ができたのです。このスンニ派大同団結があって、シリアのヌスラ戦線がまとまった支援を受け、アサド政権側に対して攻勢に出て、この春から北部の地方都市や南部のヨルダン国境地帯を次々に陥落させ始めました。

 それでは、このままシリア内戦が続くとどうなるでしょうか。どこかで停戦合意が出来なければ、いつかアサド政権が倒れるかもしれません。その時には、現状から推測を重ねれば、ISとヌスラ戦線がシリアを二分しているか、あるいは両方とも元は同じアルカイダ系ですから、和解して一つのアルカイダ的な国家になっているかもしれません。
 ヌスラ戦線は6月10日にアレッポの西にある村で、ドルーズ派というシーア派から分かれた宗派の村人20人以上を虐殺しました。この民族浄化的な暴力はシリア国内のドルーズ派の人々に大変な恐怖をひき起こしました。特に南部の一部にドルーズ派が集中的に住んでいるのですが、ここにもヌスラ戦線やISが迫っています。
 そして6月22日にイスラエル占領下のゴラン高原で次のような事件が起こりました。イスラエル軍の野戦病院に向けて走っていた救急車が150人ほどのドルーズ派住民に取り囲まれ、乗っていた2人の負傷者は引きずり出されて攻撃され、一人はその場で死亡、もう一人は意識不明の重体となりました。イスラエル政府は否定していますが、イスラエルがヌスラ戦線など反体制派の負傷兵を治療しているのは公然の秘密で、実際にゴラン高原のドルーズ派の人々は、その負傷者がヌスラ戦線の者と信じていて、北部で自分たちと同じ宗派の人々を虐殺したグループだから復讐した、というわけです。
 このように、スンニ派のシーア派、さらにはキリスト教徒などの少数派に対する宗派的な敵対心が燃え盛っての民族浄化的殺戮、それに対する反撃という事態が、このままでは今後シリアでいっそう多くみられるようになるのは確実です。そしてそれはこうしてイスラエルをすら、巻き込み始めているのです。なお、イスラエルはこうしてアルカイダ系のヌスラ戦線と関係を持ちながら、つい3日前にはISから、パレスチナのガザのハマスと一緒に攻撃の対象とされることが宣言されています。
 こうした暴力は、実はシリア内戦で急に始まったわけではありません。
 
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もっと古く遡ることはできますが、直接的には9/11事件の後のアフガニスタン戦争、そして次にイラク戦争でサダム・フセインのバース党政権が倒されたことに直接の出発点があります。サダム・フセインはアルカイダ的組織を徹底的に取り締まっていたのに、アメリカによる戦争を通じてそれが国内に広がり、現在のISを生み出してしまったのです。そして今のシリアでは内戦でISだけでなく多数の民兵組織が生まれてしまいました。そのうちの「穏健派」とされるいくつかの集団にアメリカは正式に武器を提供して軍事訓練を施し始めています。

そもそもアルカイダは、1979年のソ連のアフガニスタン侵攻に対抗するためにアメリカが支援した「自由の戦士」が元になっています。
 どうやら私たちはシリアの内戦がさらに悪化して続くことを覚悟しなければいけないようです。

しかしそれを食い止めるためには宗派的な対立感情を鎮めるためのソフト面での貢献、焼け石に水と見えるかもしれませんが、対話の機会をつくり出して、今燃え盛る火を少しでも沈静化して停戦を実現することから始めるしかないと思います。

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