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視点・論点 「裁判員制度6年の歩みと課題」

国学院大学教授 四宮 啓
 
裁判員制度が施行されて先月の21日で6年が経過しました。今年の3月までの統計では、裁判員裁判によって7,000人以上の被告人に判決が言い渡されました。58,000人以上の国民が,裁判員・補充裁判員として法廷に座って証拠調べを聴き、評議・判決に参加しています。
 施行3年を経た段階で政府は,法律に基づいて,裁判員制度の検証を行いました。審理期間が著しく長期となることが見込まれる裁判を裁判員の対象事件から除外できるとするなど,いくつかの改正を提言し,今国会で裁判員法の改正が行われました。
 立法的な手当はなかったそれ以外の課題のうち,裁判員の心の負担,量刑の判断,守秘義務について考えてみたいと思います。

はじめに,裁判員の心の負担の問題です。裁判員制度は重大な犯罪を対象とするために,残酷な証拠を見ることもあり,心の負担が心配されています。しかし重大事件を裁判員裁判から除外すべきではないでしょう。裁判員制度には,被告から生命や自由を奪う結果となる裁判が,法に基づいて適正に行われているかを主権者としてチェックする意味があるからです。
だからといって裁判員に無用な負担を掛けることはもちろん避けなければなりません。
まず,裁判を担当する専門家が,必要で十分な証拠を厳選し,カラーでなく白黒写真とするなどプレゼンテーションの仕方を工夫する必要があります。また裁判官が裁判員と十分なコミュニケーションを取ることが必要でしょう。

次に,裁判終了後のケアを充実させる必要があります。心のケアで心に留めるべきなのは,普通の経験でないのは裁判だけでなく,守秘義務があるためにストレスの軽減方法も普通と同じようにはできないということです。ストレスを軽減させるためには,その人を孤立させないことと,思いを吐き出させることが大切とされています。そこで裁判を担当した裁判員・裁判官が一緒に,精神衛生の専門家も含めてグループで話し合うことができれば,裁判員経験者を孤立させず,思いを語ることができ、ストレスの軽減を図ることができるでしょう。

 次は量刑の判断についてです。最近,裁判員裁判による量刑の判断が,裁判員が入らない高裁や最高裁の判断で覆ったケースが続きました。一つは,大阪寝屋川市で起こった幼児に対する両親による傷害致死事件です。
この事件では裁判員の入った第1審は,検察官の求刑の1.5倍の刑を言い渡しましたが,最高裁は重すぎるとして破棄しました。
 もう1つの量刑に関するケースは死刑事件です。裁判員裁判で死刑を言い渡した3件のケースについて,高等裁判所がいずれも死刑は重すぎるとして無期懲役とし,最高裁もこれを支持しました。
 これらの最高裁判決の特徴は,他の裁判との公平性を重視していることです。この考え方の背後にある考えは,犯罪の責任は「何をやったか」を基本に責任の大枠を決め,その枠の中で被告の性格,生い立ちなど「どんな人か」は微調整要素として刑罰を決定するという考え方です。
もちろん,裁判を行う上で公平性を考えることは大切です。しかし,適正な裁判にとって必要なものは公平性だけではないでしょう。最高裁の考え方について私が特に疑問なのは,裁判員と裁判官が議論する際に,公平性,つまり同じような事件の先例の傾向を共通認識として,議論の出発点にすべきだとしている点です。それでは裁判員は,先例の傾向から逸脱することに大きな躊躇を覚えるのではないでしょうか。
これまでの先例の傾向は専門家が積み上げてきたものです。また犯罪の責任の考え方も,専門家が考えてきたものです。量刑にも健全な社会常識を反映させることは裁判員制度導入の目的の1つでした。「裁判官は行為に注目し,裁判員は人に注目する」とも言われます。裁判員時代には,そのバランスをとり,先例の傾向や犯罪の責任の考え方についても,国民の受け止め方に配慮した新しい考え方が求められるべきではないでしょうか。
 ただ死刑だけは別に考えるべきだと思います。死刑は被告の命を強制的に奪う究極の刑罰です。個人の尊厳の中核である生命は,できる限り尊重されなければなりません。この観点からは,たとえ命を奪う判決が裁判員裁判で出されようと,生命を存続させる機会はできる限り保障される必要があります。つまり死刑の問題は,裁判員制度の問題というより,生命の尊厳の問題として考えるべきだと思います。

 最後に守秘義務です。裁判員を経験した方の感想は,毎年95%以上の方が「よい経験だった」と答えており,これは制度導入以来一貫しています。
 
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他方で,今年の3月に行われた日本世論調査会の調査によると,裁判員制度は「定着している」が30.9%,「定着していない」が65.3%でした。
 
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また,選定された裁判員候補者について辞退がみとめられる率は年々向上し,最近では70%に近づいています。
 
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これは,裁判員経験者の「よい経験だった」という思いが,社会で共有されていないことを示しているのではないでしょうか。
 ある裁判員経験者のお話です。裁判員の任務には,家庭や職場の協力が必要です。その方が無事に任務を終えて帰宅しました。ところが家族はだれも,裁判員の経験について訊きません。翌日職場に行きました。そこでも同僚からは一切質問がなかったというのです。
他方,私がアメリカで経験したことです。小さな町のレストランで昼食を摂っていると,後ろのテーブルに大学生が3人座りました。するとそのうちの1人が,「ぼく,昨日まで陪審員やってたんだ。」と切り出しました。他の2人は彼にたくさんの質問をしていました。この日米の違いはどこからくるのでしょうか。
 私は,守秘義務の在り方が大きく影響していると思います。アメリカの陪審員には法律上の守秘義務はありません。原則,話すことが自由で,話さないでほしいことが例外なのです。これに対して日本では,法律上裁判員経験者には広い守秘義務が課されています。もちろん,公開の法廷で行われたことや裁判員になった感想は話してもよいとされています。しかし原則禁止で話せることは例外です。勢い安全策で,黙っていることになります。社会もそう考えて,訊くことをしません。
 これでは「よい経験だった」という経験者の思いが社会で共有されるはずはありません。
もっとも効果のある「広報」は,経験者が語る事です。そのためには,法律の運用を原則禁止・例外自由から,原則自由・例外禁止に変えるべきではないでしょうか。話していけないのは,法律が定めているように,①他人のプライバシー,②評議室で誰が何を言ったか,意見は何対何だったか,③自分が関与した判決の当否,に限られる,という運用にするのです。そうすれば,日本の裁判員にとっても言ってはいけないことが明確になり,家庭でも職場でも,「よい経験」が共有されていくでしょう。そのことによって,裁判員という任務に対する誤解や不安も解消されてゆくでしょう。

これまで課題を考えてきましたが,この制度は始まってまだ6年です。小学校に入学したばかりです。他方で,この制度は刑事司法をより透明で公正なものへと大変革をもたらしました。それのみならず,社会に対しても,教育,労働環境,メディア報道など,大きな影響を与え続けています。私たちの社会をより自由でフェアで責任ある社会にしていくために,また討論して決める民主主義をさらに深化させるために,長期的な視点をもって,裁判員制度をよりよいものに育てていくことが必要であると思います。
 

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