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お笑い芸人 石井てる美

お笑い芸人の石井てる美と申します。私は、東京大学、そして東京大学大学院を経て新卒で外資系コンサルティング会社のマッキンゼーに入社しました。そして今はお笑い芸人です。今まで何度、まわりから「もったいない」と言われたか分かりません。しかし、私にとって本当にもったいないことは、お金やステータスを手放すことではなく、やりたいことに挑戦せずに一度の人生を終えてしまうことでした。とは言え、それまでのキャリアを捨ててお笑い芸人になるという、あまりに非常識で突飛なこの決断をくだすまでには壮絶な葛藤がありました。私の経験が、何か一歩を踏み出そうとしている方の背中を押せたらと思いお話したいと思います。

大学院1年目が終わる頃、就職活動をしていた私に内定が出ました。あの外資系コンサルティング会社のマッキンゼーからです。東大生にとっても“超難関”と言われる人気の会社に見合うほど自分の頭がキレるわけではないのは分かりつつも、「頑張ればどうにかなる」という自分のモットーに従い、そして会社のブランドにも惹かれて入社を決めました。当時の私は「周りからすごいと思われるような組織でいいキャリアを築くこと」だけが現実的な正しい人生だと思っていました。

入社してすぐの頃は、忙しいながらも充実した日々を過ごしました。雲行きが怪しくなったのは半年が経ってリーマンショックが起きた頃からで、社内でも一時的に仕事が減りました。そして、ようやく手にした仕事でどうにか成果を上げようと、どんどん自分を追い詰めるようになりました。会社の人事は厳然たる実力主義です。社内での評価に脅えるあまり、萎縮して空回りするという悪循環に陥ってしまいました。「いったんこの会社に入ったからには3年はいないと履歴書に傷が付いてしまう。」当時はそんな考えに捉われていました。

その後、私は「頑張ってもどうにもできない」という壁にぶち当たりました。
精神的なプレッシャーで毎日ほぼ何も喉を通らず、毎週日曜日の午後になると過呼吸に襲われるようになります。「自ら言い出して担当案件から抜けたら悪い評価がつくから自分からは逃げられない、それならいっそ車が轢いてくれたらいいのに」と本気で考えていました。どう見ても危ない状況なのですが、この期に及んでも、見栄や体裁に雁字搦めになって自分からその状況を脱することができなかったのです。

そんなある日、自分の状態を客観的に見つめ、ふとこう思いました。「ちょっと待てよ、と。別にこの仕事をするために生きているわけではない。そもそも自分の人生なのに何やりたいこともやらずに死にたくなっているんだろう。振り回されてバカみたい。」とこのときにようやく、自分の人生なんだから好きなように生きればいいんだと思えるようになったのです。

次の瞬間、死んだ方がラクとすら思っていた私としては命拾いしたも同然だったので、いつからかずっと「生まれ変わったらやりたい」と思っていた「お笑い芸人」になろうと思い立ちました。未知の世界に飛び込む怖さはありましたが、何があっても私にとって一番大切な家族と友人を失うことはないと思えば、何も捨てるものは無いと思えました。

芸人になると決めたら、あとは行動に移すだけです。やることとしてはとてもシンプルなはずなのに、ここの精神的な壁を乗り越えるのに、とてつもない勇気が要りました。朝会社に行くと妙にリアルな現実世界が広がっていて、「何バカなこと考えていたんだろう」と、すぐに現実に揺り戻されてしまいます。「でも動くなら気持ちに勢いがある今じゃないと。この感情の波を逃したら二度と動けない」と、一日の間でも何度も気持ちが揺れ動きました。この決断のプロセスは孤独で、七転八倒の苦しみを伴うものでした。

そんな私の背中を押したのは、会社で教わった仕事のやり方です。「まず仮説を立て、検証するためにすぐに行動する。その上で仮説が違っていたなら、すぐに仮説を書き直せばいい。」そう考えると、お笑い芸人をやってみて違ったなと思えば、仮説がズレていたと思って、またすぐに引き返せばいいだけのことだ、と考えられるようになり、気持ちが軽くなりました。

こうして会社を辞めてお笑いの世界に入ったのですが、ここからも一筋縄ではいきませんでした。まず、一人で舞台に立って知らない人を笑わせるのが、こんなにも難しいことなのかと痛感し、石井てる美という一人の丸腰の人間は何もできないことを思い知らされました。それまで東大やマッキンゼーという組織の看板にどれだけ精神的に依存して安心感を得ていたかが分かりました。自分で築き上げてきたつもりでいた「キャリア」も、運よく環境や周りの人に恵まれた上で得られていたに過ぎず、どれだけ無い力をあるかのように勘違いして生きて来たかを知りました。同時に、自分だけの力で目の前の人を喜ばせることができる人は、どんな仕事であれ、どれだけ立派なことかを身を持って分かるようになりました。

お笑い芸人としてのスタートを切って以来、事務所に所属できなくて路頭に迷ったり、やりたいことを形にできなくて途方に暮れたりしてきましたが、あれから6年近く経った今も、私はこうしてお笑い芸人を続けています。失敗や恥ずかしい思いは数知れず、ですが、「できなかったことができるようになっていく」という感触があったので、自分にももう少し何かできるはずだと信じてやってきました。今では、お客さんが笑ってくれる瞬間が何より嬉しく、また、勇気を出して一歩踏み出すと思わぬ展開が待っているこの世界を楽しめるようになりました。

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大きな決断を経て今思うことは、まず決断そのものには正解も不正解も無いということです。決断したということは、スタートラインに立ったことに過ぎません。その決断を正解にするもしないも、その後の自分次第だからです。

また決断が大きなものであればあるほど、どうしても他人の目が気になるものだと思います。私は自分の心に正直になったおかげか、不思議と他人からどう思われるかが気にならなくなりました。そして、決断したらぜひ、他人と比べるのではなく昨日の自分とだけ比べるようにしましょう。また、決断や夢に対してとやかく言ってくる人にも会うかもしれませんが、自分と同じ思いを共有する人と一緒にいるようにしましょう。

ただし、何があっても100%自己責任です。決断を最後に下すのは他ならぬ自分です。その先にどんな結末が待ち構えようと自分だけのせいだと腹を括れたら、決断のときではないでしょうか。

最後に、あの頃の私のように決断を躊躇している方へ、メッセージを送りたいと思います。「あなたが飛び込みたいと思っている世界は、まだ実際に見ていないからというだけの理由で、怖い場所のように思うかもしれません。でも、勇気を振り絞って挑戦した分だけ、想像もしていなかったサプライズが待っています。本当にそう思います。何より、自分がしようとしている決断が正しいということは、自分の心が分かっているはず。他人の目なんか気にするな!自分の人生は一度きりです。だから、ウジウジではなくワクワクして、ワクワクする気持ちを勇気に変えて、どうか一歩を踏み出してみてください。」
 

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